死にたい夜にかぎって

恋人と別れた。
理由なんて大したことはなくて、ただのすれ違いだった。生来、人に裏切られることが多かった僕がやっと信頼できるかもしれないと思えた相手で、自分たちは特別な存在で、一生大切にできるなんて思っていたのに、なんということもないその辺の恋人たちと同じように時間とともに離れていってしまったのだ。
ただ、僕たちにその辺の恋人たちと違うところがあるとすれば、別れても連絡を取り合っていたことだ。近況を話し、愚痴を言い合い、時には少しだけエッチなこともした。彼女ではなくなってしまっても彼女みたいな人としてそばにいてくれたことは、新社会人として働き始めて、慣れない生活に精神をすり減らしていた僕にとってすごく嬉しいことだった。
社会人のしんどさにも慣れてきて、彼女とも友人のような関係性に戻ってきた頃、研修が終わった。研修ですら限界に近かった僕はそこで本当の社会の厳しさを思い知る。詰め込めるだけ人を積み込み、家畜のように職場に搬送される満員電車、専門用語だらけで殆ど理解できない仕事、威圧的な先輩社員、到底定時では終わらない仕事量、なんとか終わらせたと思うと締め切り当日に仕様変更する取引先、友人ではなくただの仕事仲間であると壁を感じる同期。僕は限界だった。別れてから日が経ち、もうただの友人のようになっていたにも関わらず、過去の思い出に縋り、元恋人に助けを求めた。「会いたい」と。
過去は美化されるものだ。悪い思い出は時間が経つと薄れるが、良い思い出はただ輝きを増していく。暗い生活を送る人間にとってはより一層強い光として。今を明るく生きている人間にとってはただの思い出にしかすぎないのに。

僕は恋人と別れた。
死にたい夜にかぎって、あの子はそばにはいないのだ。

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