彩った塗料すら台無しのドス黒い何かを削り落とす

スクラッチアートというものをご存知だろうか。


いわゆる"お絵描き"の一種なのだが、黒い面を尖ったもので削ると、下に塗られた様々な色が出現し、削った軌跡で絵を完成させる。


ここ最近(とはいえ10年ほど前から聞いたことはある)…海外などで流行している新しい絵の描き方らしい。


ダイソーなどで普通に売っており、黒い面には初めから白線が書いてあるので、それを削ると作品がすぐに完成する。


けっこうキレイな色合いになって、完成品を眺めるのも楽しいので、興味がある人は一度手に取ってみて欲しい。


ちなみだが、スクラッチアートは手作りできる。


作り方は非常に簡単だ。


まずはクレヨンで自由に色を塗る。色合いが多いとなお良いと思う。


その上から黒のクレヨンで真っ黒に塗り潰すと、尖ったもので黒い部分を削れるようになる。


僕も仕事で1度作ったことがあるのだが、黒いクレヨンで全面を塗るのは根気が必要で、そういった場合は黒のアクリル絵の具を使うのがいい。(ちなみに水彩絵の具はクレヨンをはじいてしまうので使えない)


諸事情でより短い時間で塗る必要があったので、試行錯誤していたのだが、ゲームのスプラトゥーンなどででよく見るローラーを使って塗るのが1番手っ取り早いことがわかった。


しかもクレヨンだとどうしても塗り方が荒くなりがちになるのだが、アクリル絵の具+ローラーだと塗りも非常に綺麗で、削ったときの色の差異が際立つようになる。


黒がよりハッキリ映るほど、作品が美しく見える。不思議な話だ。


全てを塗り替えてしまう黒色が他を際立たせているのだから。


まるでどこかのバンドの新しい試みみたいに。








XIIXの新曲「スプレー」、他アーティストとのコラボレーション第2弾であるこの曲は、前回とは趣向を変えて慣れ親しんだメンバーが集まった。


斎藤宏介の学生時代の後輩であり盟友…2018年に「Diver's High」でもコンビを組んだSKY-HI。


斎藤宏介と同じ早稲田大学出身であり、自身が作詞作曲・演奏した「白と黒のモントゥーノ」にゲストボーカルとして斎藤を迎え入れた谷中敦。


学校というパーソナルな繋がりとこれまでの共作の積み重ねを経て、今回のコラボレーションは実現した。


タイトルの「スプレー」から連想するのは、彼らがそれぞれ持つ音楽性で曲を染め上げ、多彩な色合いでコラボレーションでしかできないような華やかでド派手な作品であること。


今、まさに音楽業界の中心を駆け抜ける彼らならば、そうすることも不可能ではないはずだ。


だが、実際に完成を迎え、世に放たれた作品はかなりミニマムな世界観だったように思う。


暗闇の部屋でスポットライトだけが照らされ、思い思いの所作で佇み、

狭い路地のような場所で並び立つように演奏し、

無機質に置かれたたくさんマイクと向かい合い黙々とパフォーマンスをしている。


"スプレー"のカラフルな要素などはほとんど現れず、MVはかなりシンプルな構成で描かれていた。



ゲストアーティストである2人のパフォーマンスも、決して主張の激しいものではなく…

大きな山場でのリリックは用意されているが、それ以外の場面ではコーラスや身振りでの表現に終始しているSKY-HI。


確かな存在感は示しているが、バリトンサックスが決して主役の音色にはならないような旋律を奏でる谷中敦。



XIIXよりも前に出て、自分達が主役に躍り出ることは最後までなかった。


それで2人が無駄遣いになっているかいえば…そんなことはない。


ただ、あくまでXIIXの音楽性からはみ出すことはなく、バンドの楽曲を構築する一要素にしかなっていないのだ。


SKY-HIと谷中がXIIXの世界へ入り込んだことで、全てが黒く染め上げられてしまったような…そんな感覚に陥った。


でも、そうするとおかしなことになる。


上塗りされてしまったのにも関わらず、その音は間違いなく確かな存在感を示しているのだ。


その性質は明らかにXIIXとは別物である。


片や世界的な知名度を誇るスカパラバンドの一員、片やプロデュース業など様々な活動を精力的にこなすバイタリティ溢れるラッパー…どちらも主役を喰ってしまいかねないほどの魅力を秘めている。


それらがXIIXのカラーに染まったとき、その音楽性は薄れるどころか凝縮された。


白黒の音楽に確かな色づきが生まれ、モノクロとカラフルがどちらも損なうことなく、美しい作品が生まれたのだ。


大多数はモノクロな景色のはずなのに、美しい色合いに自然と目を惹かれてしまう。


黒く塗り潰した場所から必要な部分だけを削り取り、本当に求められる色だけが姿を現した。


きっと表面をスプレーで塗装するだけでは表現できない奥行きのある芸術性が、本来なし得ない共存を実現させたのだろう。


多分こんな曲、そうはないはずだ。


浮かび上がった色たちは、潰されたはずの黒を通して、より鮮明に自分らしさを強めている。


光があるから影が生まれる、なんて言葉はよく聞くが、影があるから光がより鮮明になる…という言葉は現実でほとんど使うことはない。


影が主役の世界だからこそ、本来正道であるはずの光が異質の魅せ方を成し遂げた。


一貫して斎藤宏介の音楽をカタチにすることを徹底したXIIXだからできることであり、彼をよく知り尽くしたSKY-HIと谷中敦だから…その世界に入り込むことができたのだろう。






彼の中にはずっと生まれてくる音楽があった。

過去には許容量を超える前に捨ててしまったこともあったらしい。

それを表現する場所があまりにも少なすぎたから。

言い換えてしまえば、胸の中で描かれた絵を何度も何度も黒く塗り潰していたのであろう。


生まれるはずだった美しい作品は、消えることのない黒色で丹念に塗りつぶされていった。

本来創造すべきものをあえて破壊する。

おそらく創作活動において、その行為は正しくないのだと思う。


あまりにも損失が大きすぎるから。


きっと万人にとっては、それが揺るぎない事実になる。


でも、斎藤宏介の音楽は"正しく間違える"ことに重きを置いているような気もする。


"正しい選択の先が 正しい未来だろうか?"


黒塗りを繰り返してきたキャンパスには、何層にも折り重なって…奥底には様々な色が隠れている。


今回、削り取ったのは果たして"スプレー"の部分だけなのだろうか。


いや…きっと、描いて滲んで固まった"絵の具"の部分もあるはずだ。


“白い月”でも、”オレンジの花”でもない…選ばれることのなかった色たちが。


少しばかり時を遡った頃に、描いたものの結局姿を見せることのなかった絵が。


根気もいるだろうが、諦めずに削っていけば、その頃の景色に辿り着ける。


そこは"絵の具"が固まった部分なので、どれだけ丁寧に塗っても、デコボコになっているかもしれない。


色もグチャグチャに混じって、歪なものになっているかもしれない。


だが、その時にしかなし得なかった思いと表現が確かに混在している。


あの頃はカタチにする術を持たなかったのかもしれない。


台無しにしてしまったのかもしれないけれど。


壊して、捨てて、削ぎ落として、選ばれなかったからこそ見える未来がそこにあった。


人生で経験した様々な感情を乗せて、あの日に滲んだ色が満を持して姿を見せる。


そんな固まってしまった色に少しだけ水分が与えられて、夜空のような黒色に滲んで混ざる。

そうして、また新しい音楽が生まれる。


あの日の熱量は何一つ変わらないままで。






一瞬の交わりは文字通り瞬間的な煌めきとなって、余韻もないまま過ぎ去っていく。


良くも悪くもXIIXはこの先変わることはないのだろう。


今回の景色もいつか黒く塗りつぶされていくのかもしれない。


ただ、消えるわけではない。


"うるさいバカまだまだワガママなまま馬鹿馬鹿しい夢語るガキのまま"

"わかってほしいとは言わないけど変わらない変わる気がない"


そう高らかに歌うSKY-HIはいつかの選べた光なのかもしれない。


ド派手に注目を浴びて、日本の音楽シーンの正道を歩んでいく…誰もが望むアーティストの最たる成功例だ。


実際に斎藤宏介にもそんな機会はあったらしいが、彼がそれを選ぶことはなかった。


自分のなかに成し遂げたい音楽があるのならば、脇目は振ることしなかった。


きっと振り返ることもなく、必要ないものは自ら望んで捨て去っていくのだろう。



そして、谷中敦は選びたかった未来の完成形なのかもしれない。


大きく主張しなくても…確かに存在感を示す音楽。


音の中で生きることを喜びとする斎藤ならば、至上の喜びであろう。


けれども、彼はフロントマンとしての矜持も強く持ってる。


もはや矢面に立つことは避けられない。


音をだけを鳴らしていく道も諦めているんだと思う。


先陣を切って、音を鳴らす快感を知ってしまったから。



でも、そのどちらも失った先が今に至るこの場所なのだ。

可能性を潔く捨て去って辿り着いた未来がある。

そんな全ての思いを手繰り寄せて、重ねて…色鮮やかじゃなくても、人を魅せる音楽ができあがった。


その最たる理由は、選ばなくて、進まなくて、立ち止まる選択をしたから。


黒く染め上げないと、見えてこない世界が今まさに出現したのだ。


折り重なった黒の隙間で、また今日も見えない部分で熱を帯びいている。


歌に終わりはないのかもしれない。


気がつけば、黒い塗料が滴っている。


目の前に見えるのは、交差した照明を照らされる見慣れた2人だった。

知らない音が顔を覗かせた瞬間に、キャンバスの端から黒く染まっていく。


闇夜の景色を再び削ったとき。


僕らの眼前には…見慣れたはずなのに、真新しい景色が広がっている

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