九龍漫画へ向けて vol.3「守りたい気持ち」

無感情な戦闘狂が変わる時って「人を守りたい」って思った時なのではないか。そこにフォーカスして考えてみた。

私は大学時代守りたかった友人がいた。彼女は私と同じく寂しがり屋で、大学から一人暮らしを始めた彼女と私はお互いに寄り添うように互いを大事にした。彼女には彼氏がいて、その彼氏はよく彼女を傷つけた。私はそれによく怒っていた。そうよく怒った。それが人を大事にすることだと思っていた節はある。

彼女と会って私は思いやりを持つようになったと思う。それまでの私は友人にも正しさを強いるような人間だった。「あなたのためだからおかしいことはおかしいと言う」というスタンスで、それを彼女にも求めた。すると彼女は言った。

「大羊ちゃんがそれを求めるならそうしてもいい。けど私は基本、他人に嫌なところがあったら離れるだけだし、その嫌な他人に干渉しようとは思わない」

それを聞いた時私は大層びっくりした。そしてひるんだ。私は彼女を舐めていた。優しくて寂しがりやの彼女を下に見ていたんだと思う。ところが彼女は聡明で、誇りも持っていた。大学時代の彼女は弱々しく私の好きなようにさせてくれていたけど、たまにそういう強さを見せて私を驚かせた。

彼女に対する私の感情は大体、信頼と平穏、それを崩すことへの恐怖と自己嫌悪であった。

「守りたい」っていう気持ちは、傲慢なのだと思う。今の私はそう思う。そして私は実際守れる精神力も立場も持ってはいなかった。彼女はなんだかんだ寄りかかる先として異性を求めていたから。でも、私は守れる自分になりたかった。

これを元に物語を描くのなら、きっと光るのは守られる側がそれを許さないと意思表示する時。守られる側がプライドを起こす時。そしてそれに対して守る側の戸惑いの感情とそのプライドを尊重する選択をする時の成長が描けるのではないか。

また明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?