小さな身体に街を背負って

2017年5月2日、
NBAの名門、ボストン・セルティックスの本拠地「TDガーデン」では、MVPチャントが巻き起こっていた。

その声援の先にいたのは、セルティックスのエース、アイザイア・トーマスという選手だ。
彼はコートにいる選手の中で、最も小柄な175cmという身長にも関わらず、両チーム、そして自己最多の53得点を挙げ、チームを勝利へと導いた。

この日の彼には、どうしても活躍しなくてはならない理由があった。


アイザイア・トーマスの紆余曲折な半生

少年時代から周囲より身長が低かったアイザイアは、そのハンデを覆すべく熱心にバスケットボールの練習に取り組んだ。
その甲斐あって、豊富なスキルと強靭なメンタリティーを身につけた彼は、当時から自分より身長の高い相手から得点を量産していた。

大学に進学してからも、彼は3年連続で平均15点以上を挙げるなど、非凡な得点力を示した。
しかし、迎えた2011年のNBAドラフトでは、サクラメント・キングスから全選手最下位となる60位で指名を受けた。
平均身長が約2メートルに及ぶNBAというリーグにおいて、彼の175cmという小柄な体格は順位を落とすのに充分な要因であった。

ドラフト最下位という低評価で始まった彼のキャリアだが、1年目の中盤からスターターに抜擢され、平均で11.5点と「予想以上」の好成績でルーキーシーズンを終える。
そして、3年目にはチームで2番目に高い平均20.3得点と順当に成長を重ねた。

しかし、3年目のオフ、アイザイアは金額面でキングスと契約の折り合いが付かず、フェニックス・サンズへの移籍を決断した。
ところが、この移籍はアイザイアにとって凶と出る。
サンズには、アイザイアと同じポジションに2人の主力選手がいて、戦術的な相性からチームは分裂。
アイザイアはチームからトレードに出されてしまう。

しかし、このトレードがアイザイアにとっての転機となる。
後に本人も「あのトレードがまちがいなく俺のキャリアを好転させた」と語っている。
移籍先のセルティックスは、プレーオフ(=レギュラーシーズンで上位成績を収めたチームのみが出場出来るトーナメント)当落線上にいて、お世辞にも強豪チームとは呼べなかった。
しかし、職人気質の選手が揃っており、守備力には定評があった。
そこに得点力に秀でたアイザイアは見事にハマった。
最初にアイザイアに与えられた役割は、「ベンチからの点取屋」であったが、チーム最高の19.0得点を記録し、チームをプレーオフへと導いた。
そして、翌年となる2015/16シーズンはスターターに昇格し、自己最多の平均22.2得点をマーク。
アシストでも平均6.2と数字を伸ばし、オフェンスの中心となり、オールスター選出も果たした。

さらに翌年の2016/17シーズンは、彼の「伝説」のシーズンとなった。

彼は、1試合平均28.9得点を記録し、チームを東地区1位に導く。
さらに、40得点越えを5度も達成し、自己最多得点記録も52まで伸ばした。
そして、なにより彼の「勝負強さ」が異常に際立ったシーズンだった。
最終Qである4Qに得点を量産する事から、「King in the fourth」というあだ名が付けられ、ゲーム終盤に得点をした際の、自身の手首(腕時計)を指す(今はオレの時間だ)ジェスチャーは、記録以上に人々の記憶に残った。

そんなアイザイアにとって順風満帆なシーズンであったが、プレーオフが開幕する前日に悲劇は起こった。
彼は妹を交通事故で亡くしてしまう。

失意の彼は、悲しみに耐えつつコートに立ったものの曲者揃いのシカゴ・ブルズ相手に2連敗を喫した。
しかし、第3戦からは4連勝でプレーオフ1stラウンドを突破する。

2ndラウンドの相手は実力拮抗のワシントン・ウィザーズ。
妹の告別式に参列した数時間後、第1戦が試合開始となったが、アイザイアは試合に出場。
試合中に接触プレーで前歯を失うも、33得点を挙げ勝利した。
試合後のインタビューでは、
「バスケットボールをプレイすることがオレを前に進めてくれる」
と発言した。

そして、迎えた5月2日、ウィザーズとの第2戦が行われた。
実はこの日は亡くなったアイザイアの妹、チャイナ・トーマスの誕生日であった。
妹を失った悲しみと、前回負傷した前歯の手術の痛みを振り切るようにプレイした彼は、なんと自己最多の53得点を挙げチームを勝利へと導く。

彼のどんな困難にあろうと前進する姿勢は多くの人々を勇気付けた。
そして、彼はボストンの人々からMVPチャントを受けた。


ちなみに、このウィザーズとのシリーズは、第3、4、6戦を落とし、勝負は最後の第7戦にもつれたものの、第7戦でアイザイアは29得点を記録し、見事チームを勝利に導いた。

しかし、この時すでにアイザイアの身体は限界に達しており、3rdラウンドとなる東地区の決勝全試合を彼は欠場した。
エースを欠いたセルティックスは1勝4敗でクリーブランド・キャバリアーズに敗退を喫した。

そして、この年のオフ、衝撃的な出来事が起こる。
セルティックスのフロントは、チームのエースであるアイザイア・トーマスをトレードに出した。

多くのセルティックスファン、そしてアイザイア本人もこのトレードに落胆したが、結果的に(スポーツチームビジネスという観点から)このトレードはセルティックスの勝利で明暗を分けた。
アイザイアの代わりに手に入れたタレントは、チームを東トップクラスの戦力へと押し上げた。
一方のアイザイアだが、今までの激闘で酷使した身体は本来の能力を出しきれなくなってしまっており、シーズン終盤にさらにトレードに出されて以降、彼はチームを転々とするジャーニーマンとなってしまった。


スポーツがくれたもの

私は2013年辺りからボストン・セルティックスというチームを追いかけてきた。
とりわけ、2016年からの4年間、私は大学生だったという事もあり、試合観戦にかなりの時間を費やせた。
今になって振り返っても、アイザイアがチームを引っ張った2016/17シーズンは「伝説」と呼べるシーズンで、あの時あの瞬間にほとんどリアルタイムで試合を観戦出来た事を幸運に思っている。

アイザイアの紆余曲折なキャリア、そしてあの「伝説的なシーズン」から私が学んだことは、

「敗者の美学」

2017年のプレーオフ、3rdラウンドでキャバリアーズに負けた時、正直、私はどこか清々しさを感じていた。
あのシーズンのセルティックスは、持てる能力を最大限に出して戦った。
特にエースのアイザイアは、妹を失い、前歯が抜け、精神も肉体もズタボロになりながら東地区の決勝までチームを連れていった。
ファンである私の想像すら超えていた。

たかが、スポーツ観戦ではあるが、アイザイアというチームのエースに、私は腹を括っていた。
彼でダメなら仕方ないと。

本気で優勝を目指していた彼らには失礼かもしれないが、負けるということは決してダサい事ではないと思った。
全力を尽くして戦った者は、たとえ敗れても美しいのだ。

だから、私も挑むことを恐れずに生きようと思った。

#スポーツがくれたもの
#R25

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