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早稲田歴5年

この春、同期の仲間たちは社会に飛び立っていった。
そして、孤独の大学生活が始まった。

先に断っておくが僕は独りは好きだが、孤独は嫌いだ。
要するにただの寂しがり屋。
卒業時期が同じ友達は何人かいるが、
休学やオンライン授業のみだったりであまり会う機会はない。

2年生ばかりのクラスで演習を受講し、
バイトに明け暮れる、
平凡でしがない大学5年生。
その1ヶ月目が終わろうとしている。

この1ヶ月間、僕を常に付き纏っていたのは"恐怖"だった。
正確に言うならば、”自由という恐怖”

僕は曲りなりも過去4年間、何かに熱中していた。
最初の3年間は新歓で運命的に出会ったよさこいサークルに専念していたし、
引退した後はとある単年度組織の運営として赤褌の野郎共をサポートしていた。
苦悩をしたことがあっても、妥協をしたことはない4年間だったと胸を張れる。
いつでも誇れる自分と、いつでも胸を張って語れるエピソード尽くしの4年間。

ただ、あまりにも充実しすぎてしまった。

これまでの密度の濃さが、時間のハードルを上げてしまった。
「人生の夏休み」なんて揶揄される大学生活、
これほどまとまって自由な時間が使える期間は今後の人生で無い気がする。
だからこそ密度の濃いものにしたい。
これまでの、4年間のような。


しかしながら、5年目にもなると熱中するほどやりたいものもそこまでない。
だってやりたいことはとりあえずなんでもやってきたから。
実際"大学生でやりたいことリスト"に残されているのは、
「キャンピングカーで友達と旅をする」だけだ。

しかしながら、
やってみたいことはないが、やったことないことはたくさんある。

それは言わば、ベストではないけどベターな選択肢だ。
この一年は、そんなベターな経験に費やす一年にすると決めた。
だってベストはもうないんだもん。

ベターな、という思考になったらやりたい事はたくさん出てきた。
原付で日本一周・地下アイドルの運営・長編小説の執筆。
既にどれもこれも実現に向けて動き出しているが、
ベターな選択肢故にどれもこれも心からのやりたいことではない。

だからこそ怖い。

本当にこれは心を燃やし、己が没頭できるほどのものなのか?
卒業するときに「いい一年だった」と、胸を張れるものなのか?
今の自分にとって最適解となる選択なのか?

分からない、

だから怖い。

「何を経験してもそれは全て自分の糧になる」とこれまでの僕は思ってきた。
しかし、それは余裕のある時間の中だから言えたことでしかなかった。
「この選択は"膨大な時間""なんでもできる可能性"の中で満足のいく選択か」
終わりが見え始めた自分にはその思考が巡ってしまう。

"なんでもできる"、という可能性は、
その可能性の大きさに比例して僕にプレッシャーを与えてくる。

でもこれはこれまで自分が頑張ってきたから生じる悩み。
時間を有効活用し、自分が頑張ってきた証拠でもあると気付いた。
時間の有限性とその重み。
それに気付けた事を今は不幸にい思うかもしれないが、
これに気付けた事でいつか幸福に繋がるのかもしれない。

今の選択が正しいのかは分からない。
これから正しい選択が見えるのかも分からない。
でもこれまでと同様に、
苦悩はしても妥協はしたくない。

5年目の早稲田、
最初の1ヶ月は迷いの1ヶ月であり、誓いの1ヶ月となった。


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