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人は「怒り」を選んでいる?

FROM ボブ・バーグ

「怒り」というのは多くの人が問題を抱えているテーマだ。さて、ここで言う「怒り」というのは、健全でない「怒り」のことを指すものとする。

例えば、自分の愛する人が傷ついていれば、それに対して「怒り」を覚えるのは当然であるし、誰かの不正を正すために怒るという場面だってあることだろう。

つまり、そういった「怒り」は正当なものだ。だが、今回とりあげる「怒り」とは、人間関係においてネガティブな結果しか生まないような、マイナスの類いのものを指していると考えて欲しい。

私たちは「怒り」を自ら選んでいる?


さて、私たちが何かに対して怒るとき、それはみずから「怒る」という対応を選んでいるということであり、ほかの誰かによって「怒らせられる」わけではない。

少し変わった言い方かもしれないが、私たち自身がふだんから、「そんなことで私を怒らせることができると思うな」という気構えでいれば、実は意外と怒りを覚えることなんてないものだ。

ただ、怒りの引き金になるような事というのは確かに存在する。時に意図して相手がそのきっかけをこちらに向けてくる場合もあるが、多くの場合は相手が無意識のうちにおこなってしまうことだ。

しかし、「怒りに任せる」ということを選択すると、それは自分の幸せや生産性を損なうだけでなく、まわりへの影響力まで失うことにつながる。

逆に「怒りを克服する」ことを選択すれば、より幸せに、多くのことを成し、そして他人に対してもカリスマ性を発揮できるようになる。つまり、「怒り」というものをコントロールすることができれば、その結果として生じるあらゆるものをコントロールすることにつながっていくのだ。

「怒り」が強い人、そうでない人の違いとは?


さて、ユダヤ教の格言には「もっとも強い者とは、自分の感情をコントロールし、敵、あるいは潜在的な敵をも自分の味方にすることができる者だ」という言葉がある。相手が家族であっても友人であっても、人間関係において怒りに身を任せるといったようなことをすれば、次第にあなたのまわりから人は遠ざかっていく。

そして、ビジネスにおいては、怒りに任せた結果、リーダーとしての影響力を失い、仲間からのコミットメントを得られなくなってしまうということも大いにある。

逆に、いつも落ち着いていて、紳士的な対応ができるような人であれば、その人のまわりにはいつも人が集まっていることだろう。

実は私自身も、この怒りの扱い方について問題を抱えていたものだ。

私の場合は、エゴの強さと自尊心の欠如が問題の根底にあった。たいていの場合はまあ…人に親切にできていたとは思うのだが、何か間違いを指摘されると、ついついそれを自分の人格への非難や批判と捉えてしまう悪い癖があったのだ。そのせいで、指摘されたことに怒りを覚え、さらに恨みに似た感情を相手に向けてしまっていた。

それは、ある種の自傷行為にほかならなかった。それに気づいた私は、これは絶対に克服しなくてはいけないと強く感じたのである。

「怒り」に支配されず、影響力を持つ人になろう


ほかに自分が抱えていた性格上の問題も一緒に解決したかったので、効果的にこれらに向き合う方法を調べあげ、実践した。幸いにして、今はそういった問題は解消されたのだが…。このことは、私の人生にとって大きな転換点となった。

もちろん、この変化というのは、なにも私にだけ訪れる限定的なものでは決してないはずだ。克服しようと思って努力したそのだれしもに、必ず変化は訪れる。

ネガティブな感情について、ガンジーもこのように言っている…

「恨みや憎しみの感情を持ってはならない。それは、頭の片隅を誰かに無料で貸し出しているようなものだから。」

もし、相手を恨みたくなるような場面にいても、そういう感情をストレートに相手に向けるかどうかは、自分で判断することができる。何も特別なことではない。ただの選択なのだ。

「こんなことで自分は相手を憎まない」ことを選んでいけば、恨みや憎しみの気持ちに支配されない自分であり続けることができるだろう。

逆に、相手を恨んだり憎んだりすることをよしとしてしまえば、それだけあなたの魅力は半減し、影響力も損なわれることになる。

そう、「怒り」を克服することができれば、きっともっと幸せに、多くのことを成し、本当の意味で影響力のある人物になることができる。どうだろう、これは克服するべき価値のあるものではないだろうか?

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#怒り #感情 #リーダーシップ #マネジメント #対人関係

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