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わたしの正義についてー1.ロマンに満ちたロシア

数年前に某サイトに掲載した書評ですが、わりと力を入れて書いたので再掲します。ちなみにこのロシアシリーズは何本か続きます。

ロシアとわたし

 「かっこいいものとうつくしいもの、ロマンのあるものが好きです」。ソーシャルネットにつきもののプロフィールには、たいていこんなふうに書きます。漠然とした表現ですが、分裂しすぎる私の好きなもの(=正義)を表すには一番しっくり来るからです。
 この要素を満たすものの筆頭といえば、私にとっては「ロシア・アヴァンギャルド(とロシア)」です。特に1917〜30年代初期のロシア・アヴァンギャルド芸術とその関連ごとについては、つかず離れずでもう20年以上追いかけています。1917年のロシア革命によって誕生したソビエト社会主義連邦共和国に「労働者中心の素晴らしい国になる」と皆がユートピアを夢見た短い数年間。芸術家たちも新たな国にふさわしい美術や音楽、演劇、文学、建築、そして日用品のデザインに至るまで斬新な作品をたくさん生み出しました。でも、ユートピアは形にならなかった。そのことは今の歴史が如実に表しています。だからこそ、作品自体にはこの上ない強度を持ちながらも夢破れた、この時代の芸術に惹かれたのでしょう。といっても、私自身はごくニュートラルな思想の持ち主なので、スターリン独裁時代や東西冷戦時代につながった政治思想などへの偏りはありません。楽しいので調べはしますが、単純に当時の作品を「かっこいい!」と感じ、その作品と周辺文化を知りたいと思ったまでにすぎません。

大人に覚悟をさせた赤い星の国

 自発的に調べ始めたのは大学生の頃ですが(これには理由があるのですが、また後日)、ロシアを意識し始めたのはその少し前です。
 ミハイル・ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を完了し、旧ソ連を解体させたのが1991年12月。同じ年の4月、高校への入学を翌日に控えていた私は、突然父から「明日から通う高校を見に行こう」と誘われました。父が入学式の日にウラジオストックへと旅立つことは知っていました。3〜4年ごとにアジア周辺国への単身赴任があり、中学や大学の入学時期にも重なったことはありましたが、そんなことを頼まれたのは今も昔もその一度だけです。当時は気にも留めませんでしたが、父は「何かが起こっても仕方がない国」だとそれ相応の覚悟をしていたのかもしれません。国外からの入国審査にもKGBが関わり、揉めることもよくあったと聞きます(商社が間に入るビジネスなのでどうかわかりませんが、個人だとかなり大変だったはず)。極端な例では「シベリア行きになる!?」という噂も。万が一のことがあったら……と考えるのも変ではなさそうです。私には、何も言わなかったけど。でもこのエピソードを振り返る時、当時のごく一般的な日本人がかの国に抱いていた印象が、父の行動からなんとなく見えていたような気がするのです。
 ちなみに現地での暮らしは大人の男性でもそこそこしんどかったようで、今もあまりいい思い出話はしてくれません。でも働く人には恵まれたらしく、お別れの時に現地の男性社員さんたちが「親愛の印だから」と餞別にくれたという赤い星のついた時計(のヘッドだけ)をたくさん見せてくれました。街で買ったというイマイチなめしが足りず微かに獣の香りが残るロシア帽、ロシア語の雑誌や新聞、トランクの底の方から関税でよく通ったなというほど出てきたキャビアの瓶詰めを、適当にくるんだざら紙や新聞とともに目の前に広げながら。そんな父のお土産は赤い星の輝きと社会主義の無骨さに溢れ、私の心をこれ以上なくワクワクさせてくれたのです。まだ見たことも聞いたこともない、遠い海の向こうにある「得体の知れない国」の断片。それを手にできたことの嬉しさが、のちに興味を持つ上での基礎を形づくったのだと思います。

ロシアの文化に触れてみる

 ということで、まずは私も昔は知らなかったロシアの文化ついて、いろいろな側面から書かれた本をご紹介します。神保町や京都にあるロシア料理のお店を尋ね、パン屋でピロシキを見つけたと言っては食べ、関西のケーキ屋「パルナス」の名前にいちいち引っかかっていた私には欠かせない、食についての一冊から。

亡命ロシア料理

 ソ連からアメリカに亡命した批評家コンビが、伝統的なロシア料理を文学的な側面から紐解いたエッセイです。若鶏のサラダやボルシチなど正式なレシピも掲載されていますが、文中の工程だけでもそれっぽい料理ができるとおぼしき44篇。ロシアの伝統料理には欠かせない調理具「壷」、「キノコ」や「サーモン」などの食材、飲み物、料理とテーマは多岐に渡ります。また料理の心構えや地方の違いにも触れており、幅広い側面からロシア料理を知ることができます。
 また「母国語のようにやさしいタン(牛タン/母国語)」などのダブルミーニングや言葉遊び、キップリングやパステルナークの詩のもじり、香辛料と色を重ねた比喩など、文学や芸術に関する表現がふんだんに出てくるのも楽しい部分です。
 同書では、伝統料理を「故郷から伸びているいちばん丈夫な糸は、魂につながっている(略)胃につながっている」と国と繋げる大きな力として描いています。日本では「男性の心を掴むなら胃袋を…」と言われます。どうやらそれ以上の力を持つらしいロシア料理の奥深さを、この機会に知ってみてもよいのでは。

共産テクノ ソ連編

 All Aboutのテクノポップガイドでもある著者のものすごくニッチな音楽本。90年代にテクノミュージックの洗礼を受けたので電子音楽系にも惹かれる私ですが、旧ソ連にこれほどたくさんのテクノポップアーティストが活躍したとは、この本を読むまで知りませんでした。同国初のシンセサイザー「エクヴォディン」を弾き、その演奏をガガーリンもスプートニク内で聞いたというミシェーリン、国営レコードからリリースすべく、ソ連スポーツ委員会の「スポーツと音楽」シリーズに合わせて「スポーツテクノ」という一ジャンルを確立したラジオノフ&チハミロフなど計42組。通例だったという西側の曲のクレジットなしカバー曲(ある意味でパクリ)の検証報告、国営レコードとアーティストの関わりなど当時の音楽業界の慣例などを知ることができます。またロシア・アヴァンギャルドのデザインを応用したジャケットリストやモスクワ探索レポートなど、ボリュームたっぷりのコラムもあるので、まずはそちらから読んでみるのもお薦めです。

『共産テクノ ソ連編』が発売できたのはインターネットでの情報探索が可能になったことが大きかったそうですが、下の『スプートニク』はグラスノスチを経て出た一冊。90年代後半は旧ソ連時代にうやむやになった事件に対し、新たな資料を調査、解読した作品の翻訳本をわりとよく見かけた気がします。一見関係のない要素が繋がっていく過程は、当時の圧政の恐ろしさを伝える一方で、時空を超えたロマンを感じさせてくれます。

スプートニク

 ソビエトとアメリカが月面一番乗りをかけて争っていた1960年代後半、ソユーズ2号の乗組員として選ばれた宇宙飛行士イワン・イストチニコフとライカ犬クローカ。しかしドッキングを予定していたソユーズ3号から突如遠ざかり、軌道修正後戻ってきた船内はもぬけの殻。その後、上層部は「有人ではなく自動操縦だった」と発表、イストチニコフはこの世から抹殺されてしまった! 
 情報の隠蔽工作も少なくない時代、人間一人をいなかったことにするなど至極簡単でした。関連資料も機密事項として金庫に保管されるか廃棄されるかで外部に公開されることもありません。しかしグラスノスチによってさまざまな場に現れ始めたのが運の尽き。フォンクベルタの壮大な「消えたイワン・イストチニコフを探す旅」もそこから始まりました。大元のきっかけは、彼が1993年にニューヨークのサザビーズで行われたオークション「ロシアの宇宙計画史」で手に入れた写真や日記。オリジナル写真にいるイストチニコフが、以前見た雑誌では完全に消されている。なぜそんなことをする必要があったのか…と興味を惹かれた著者が、スプートニク計画と一人の宇宙飛行士の関係を辿っていく。まるでノンフィクションかと見紛うような展開を繰り広げる作品です。

なかなか独特なロシアの世界が垣間見られる3冊だと思いますが、いかがでしょう。

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