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シーレの宿命、クリムトの歓喜。

ミラノでドゥオーモの周りを歩いていたら、エゴン・シーレの企画展の垂れ幕が目に飛び込んできた。パラッツォ・レアーレという美術館。すぐ傍にあるドゥオーモや、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアに比べればさすがに規模が小さいが、高い天井と緩やかで厳かな階段は、かつて王宮であった頃の雰囲気を残している。
その日の夜は寝台列車のユーロスターに乗ってパリへと向かうことになっていた。しかしそれまでは何もない。どうせ計画の無い旅だ。ほんの時間つぶしのつもりで寄ってみることにした。

シーレは1890年オーストオリア生まれの印象派の画家だ。僕は彼の有名な自画像だけを知っていて、その眼差しにぞくりとするものを感じていた。しかし、まとまった作品群を見るのは初めてのことだった。
中に入ると、シーレが生まれた頃のオーストリアの世界情勢がパネルで紹介されていた。第一次世界大戦前夜の不穏な空気が感じられる写真が掲げてある。イタリア語の読めない僕は、そのまま先へと進んだ。平日の昼だというのにそれなりに混んでいる。ちょうど「春の文化週間」に当たり、国中の美術館が無料開放されていたせいかもしれない。

関連作品として、グスタフ・クリムトの絵画も展示されていた。シーレとクリムトは親子ほどの年齢差がありながら、師弟と言うより、親友のような関係を結んでいたらしい。だが二人の作風は全くの正反対であるように僕には感じられた。

クリムトは非常にシンプルな筆致で肉体を描き、官能を表現していた。
肉体には必ず官能が宿る、いや、肉体そのものが官能であるとでも言いたげだった。
単純な一本線で描かれた女性のお腹のラインが、肉体の歓喜や恍惚を見事に表現していた。肉体!あぁ人間の肉体こそが彼にとっての全てだったのだ。
クリムトの作品の中で一番有名な「接吻」もまた、肉体から溢れ出るような歓喜を表現している。その筆致は落ち着いてはいる。しかし、その一筆一筆に「歓喜よ永遠なれ」という祈りが込められているようだった。

一方でシーレの絵はどうだろう。


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