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最近のMCUにどうしても感じてしまう3つの違和感について

どうも。

世間、というかエンタメ・ファンのあいだでは、話題ですね、これ・

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映画「ブラック・ウィドー」に


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テレビ・シリーズの「Loki」ですね。

これらは、マーヴェル・シネマティック・ユニヴァース(MCU)がエンドゲーム後に仕掛けてる次の展開ですよね。

これに加えて、

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すでに放送されて人気だった「ワンダヴィジョン」もそうだし

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このあとには「ホークアイ」と言う新しいシリーズも控えています。

これらはまだほんの一例で、来年、再来年にかけていろいろあるんですけど、そりゃ、もう大ファンの方にとってみたら、「わー、もう、絶対見なきゃ」ってことになると思うんですけど、僕みたいな、「あくまで映画ファンで、話題性につていく程度で見てる」タイプの人間から言わさせてもらうと

ついていけん(笑)!

あるいは

やりすぎ!

という気持ちの法が、どうしても勝ってしまいます。

といいつつ、これまで、それでもまがりなりに僕も追いつこうとしてましたけど、「もう、ちょっと限界かな・・・」と思い始めたので、その理由について書こうと思います。

①ファンに忠誠心を使わせるには、量が多すぎ

ひとつは、これに対しての不満がありますね。

「アヴェンジャーズ」でキャラクターを大集結させるがゆえに、その前段階としてそれぞれのキャラクターをバラ売りで映画で見せてきてたわけじゃないですか。

 僕も最初はそれ「おもしろい」と思って、10年くらい前ですよね?トライしようとして「Thor」とか「キャプテン・アメリカ」から見始めていたんですよ。

でもですね

途中で挫折したんですよ(苦笑)!

なぜか。妻の出産が2回あったから。2012年と2016年ですけどね。

 大人だと、人生でこういうことがあるから、全部見るの、楽じゃないんですよ。出産期におちおち映画、行ってられないですからね。この影響で、長男の出産のときに「アヴェンジャーズ」の一番最初のヤツが映画館では見れなかったし、長女のときがたしか「キャプテン・アメリカ」と「Thor」の、あれは2本めだったかな。見れなかったんですよね。

 こういうものって、よほどのファンだったらそれでもついていけるものなんですけど、「映画好きだから見てみようかな」くらいだと、緊張感がプツッと切れて、やがて見るのがめんどくさくなるものなんですよ(笑)。

 で、映画でも、全部見るの、結構大変だったのに

そのうえに「テレビ・シリーズまで全部見ろ」だと!

という気分になるんですよね。

最初は「ワンダヴィジョン一本くらいなら」と思ってたんですけど、正直「ロキ」がトレイラーの時点でそそられなかった上に、なんとなく見始めた妻からの評判がすこぶる悪かったうえに、ツイッターから流れる僕のTLからの評判も悪かった。そうなると「おいおい、そういうのにまで、いちいち、つき合せるのかよ」という気分になってしまってですね。

 それで「ホークアイ」とかまで今年さらにあって・・・なんてことになると、「もう、そんなには時間作って見れないよ・・」となるんですよね。評判よかったら見るかもしれないんですけど。

 MCUともなると、全世界に億単位くらいのファンがいるからできることだとは思うんですけど、これがコアなマニア層相手の商売だといいんですけど、「一般の映画ファンを相手に、こんなに忠誠心使わせる商売って、ちょっと傲慢じゃない?」という疑問はどうしても湧いてしまいます。

②すぐれた役者や監督を総動員してまでやる作品?

その次に感じる疑問がこれなんですよね。

映画に関して言えば、僕の一番の関心ごとがオスカーとかのアワードもので、次がコメディ、インディ映画界隈での話題作。「一般のヒット作」はその次、4番目の優先度です。

 ただ、MCUだったりDCだったりって、間違いない大ヒット作ではあるし、最近だとそれこそオスカーにノミネートされた役者とか監督、次々と動員してきたりするわけじゃないですか。僕の好きな監督、俳優、女優もそこに含まれます。だから見たくなる、という側面もあるわけですよ。

 そう思って「ブラック・ウィドー」も見に行ったわけです。これだって、スカーレット・ヨハンソン、レイチェル・ワイズ、フローレンス・ピューという、オスカーにノミネート、レイチェルは受賞経験者ですよね、こういう人が3人も揃ってます。彼女たちならシェイクスピア演劇でもこなせそうなくらい、演技しっかりしてます。ただ

そんな大女優たちが、コスチュームに身を包んでまで、やる映画??

・・・この疑問が見ててどうしても湧いたんですよねえ・・。

 これに限らず、MCUとかDCとかって、実力派俳優、過剰に出すぎですよね?そうそうたる俳優たちが一斉にコスプレして、さも高尚な映画であるかのような見せ方してますけど、「でも、スーパーヒーロー映画だよ、これ・・」と思ってしまうんですよね。これ、日本における「仮面ライダー」とか「ウルトラマン」でもそうでしたけど、「もともと子供向けに、駆け出しだったりB級の役者さんがやる仕事だよ、これ」という気持ちがどうしても浮上してしまうんですよね。話の大筋だって、そんなに変わるわけじゃないですからね。

 最近思ったんですけど、これだったら「ワイルド・スピード」とかの方がB級役者の出演に徹している分、本来のチープさがあって愛おしい気さえしてきたんですよね。ヴィン・ディーゼルやザ・ロックで、映画に高尚な感じなんて出ないじゃないですか。でも、そんなことしなくても、アクション映画のフランチャイズとしてのリスペクト、しっかり受けてるじゃないですか。そういう感じでいいんですよね、本来。

 ただ、そんな僕でも

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フローレンス・ピューだけは今回、ベタ惚れしましたけどね(笑)。

ただ、そう思える演技やってる人もそう多くはなくて。我が家だとよく妻が、「クリスチャン・ベールはあんなにいい役者なのに、彼が低い声でI'm Batmanといった瞬間に萎える。あんな俳優がマント羽織ってまでやる役とは思えない」とすごくネタにしてたんですけど、その気持ちが今、わかったような気がしてます。

③「スタン・リーの願い」なら、もう十分かなっている

あと、これ見てて思ったんですけど

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もう、スタン・リー御大の願いならかなってるんじゃないかと思うんですよね。

リー御大はそれこそ、1930〜40年代のアメコミ最初の全盛期に若手の駆け出しで、60〜70年代の、それこそまだアメコミ映画がB、C級の役者しか使えなかった時代、90sのDCの成功を横目で見た時代、そういうのを体験した上で2000s以降のマーヴェルの成功をなしとげた人ですよね。

「アメコミは、やりようによっては文学にも匹敵する価値があるんだ」という信条の持ち主で、彼は一生をかけてそれを証明しようとしてきた。それが「Xメン」のMr.Xとマグニートにマーティン・ルーサー・キングとマルコムXを託したり、黒人や女性といったマイノリティをスーパーヒーロー映画の主役にしようとしてきた。その功績は僕もすごく感じるし、MCUがこの20年でここまで大きくなった影にもその要素が色濃いとも思うんです。その意味ですごくリベラルなメッセージあると思うから。

 だけど、ことがここまで大きくなってしまって、残ってしまったものが「ただ無駄に大仰で意味がありそうで実はそんなにないプロジェクト」に陥りかねない可能性があるんじゃないか・・・。その危惧をなんか感じてしまったんですよね。

 その意味で僕がマーヴェルで見て心から本当に気に入ったのは「ブラックパンサー」と「スパイダーバース」だけなんですよね。コメディ好きな手前、「アントマン」が「ポール・ラッド、頑張れ!」という気持ちで見てますけど、本当に積極的に見てるのはその程度です。

 なので、これからは「ほどほどに」お付き合いしてみようかと思ってます。あと、時間かけて、僕が感じてる違和感、ほかの人も徐々に気がついていくんじゃないかなと思うし、その人数が大きくなりすぎると・・・とは考えますけどね。





 



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