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スコット・ウォーカー死去 日本でアイドルでもあった、実験的な魅惑のバリトン

どうも。

・・いやあ、これは本当に紹介するのがツラいですね。

伝説のシンガー、アーティスト、スコット・ウォーカーがなくなってしまいました。個人的にものすごくショックです・・。

僕は1980年、10歳の時から洋楽リスナーなんですけど、その頃から、「もう少し早く生まれてたら聞けたのに」という音楽にはすごく興味がありました。この

彼が所属していた3人組、ウォーカー・ブラザーズも、そんな代表的な人たちでしたね。小学生時分だったかな、「60年代に日本だとビートルズと人気を二分した」なんて言われるとワクワクしたわけですよ。「えっ、そんなにすごい人たちなんだ?!」って。ちょうど、あの頃、モンキーズの再放送があってリバイバルしてたから、そのついでに同じ時代に日本で人気のあったウォーカーズの名前が出てきたんだと思います。

ただ、そのあと、普通に「ビートルズの最大のライバルはストーンズ」とか、「1967年はヒッピーのサマー・オブ・ラヴ」「60年代後半からハードロックとプログレが」だとか「フォークロックは1965年から」とかの常識を教えられることになるわけですけど、ウォーカー・ブラザーズが出る幕なんてなかったんですよ。

ところが、大学に入って、あれは1989年だったかな、当時所属していたアメリカン・トップ40研究会の先輩が、「俺の叔母さんが大ファンだったんだよ。日本で大人気だったのは本当のことみたいよ」と教えてくれて、最初に聴いた曲がこのあたりでした。



この2曲ですね。「太陽はもう輝かない」と「My Ship Is Coming In」。どちらも、彼らの本国のアメリカではなくイギリスでチャートのトップとるくらいの大ヒットを記録しています。僕がイギリスの古いチャートに興味を持ち始めるキッカケにもなっています。

そしてウォーカーズのベスト盤も買いましたよ。でも、なんかひどいジャケ写の。メンバー写真もない、風景と字だけが書いてあるような、駅前で違法で売られているような感じのヤツですね。あれを買ってみたんですけど、すごくショボい装丁だった割に、僕、このベスト盤のCD、よく聞いたんですよ。なんか、あのスコットのヴィヴラートの効いた低音と、ティンパニーとストリングスの効いた、スケールの大きなオーケストラ・サウンド。あれが妙にそそったんですよね。当時の日本の受け方だと、「ロックというよりは、ムード音楽、イージー・リスニング」的な扱われ方もしてたようですけど、この当時から、「他のそういうタイプの音楽とは何か違うな」とは感づいてましたね。ただ、このベスト盤から後追いするようなことはなかったです。

そして時は流れて1995年。ちょうど僕がブリット・ポップに凝ってた頃ですけど、その頃に「スコット・ウォーカーが復活して強いリスペクトを浴びている」と聞いてビックリして、これを聞いたんですよね。




ストリングスと美しいバリトン・ボイスは健在でしたけど、「えっ、なに、この怖い実験的な音楽は。こんなになっちゃったんだ!」とビックりしましたけどね。

これが出て間もなかった頃って

ブリット・ポップの中のサブジャンルの中で「バロック・ポップ」という、まさにストリングスを多用した路線がこの当時すごく人気がありましてね。その元祖としてスコット・ウォーカーの名前がよく出てくるようになったんですね。僕の場合は、これが一番大きかったかな。



パルプに至っては、アルバム1枚プロデュースもされたりして。それでスコットの過去作への興味がすごく高くなっていきましたね。

で、

1967年のソロ・デビュー作、「Scott」を皮切りにして、彼が1970年までに発表した5枚のソロ作。これが一番評判が良かったので、聞いてみたんですよね。そうしたら。

ソロ・デビュー作に入ってた「Amsterdam」という曲、これを、まだジギー・スターダストになる前のデヴィッド・ボウイがカバーしてたんですね。そこでまた繋がったというか。ボウイ自身も、このころはまだ声が高いですけど、



とりわけ、この頃、1985年くらいなんて、かなり声が低くなって、スコット・ウォーカーばりのバリトンの歌い回しになってしまってますからね。「ああ、影響力あるんだなあ」とここでまた親近感を覚えました。

で、スコットのソロなんですが、最初の方は「でも、ラウンジ・ポップっぽいし、いまひとつロックとの接点が見出せないなあ」と思って、若干戸惑いはあったんですけど

この、1969年発表の、ソロ第4作目「Scott 4」。これ、一般的に最高傑作に数えられることが多いんですけど、ここで彼が示していた”先駆性””創造性”はしっかりわかるようになりましたね。



この2曲は今聴いても最高ですね。上は、始まりはフラメンコみたいですけど、曲に入ればREMの「Losing My Religion」みたいな緊迫感溢れたフォークロックだし、下の「Boy Child」は、ストリングスなのか初期シンセなのかよく分からない絶妙な音色で、ファンタジックでサイケデリックな陶酔感がある、1969年でこのクオリティは凄いと思ったし、「ああ、だから、そのあとにつながるんだ」と納得しましたね。

これでスコットを追うのが楽しくなりましたね。彼は70年代に一度食えなくなってカントリー・シンガーで生計を立てる時期があったんですけど、それが終わって1984年、この「Climate Of Hunter」というアルバムで復活して、この時も少しブームになってたんですよね。

ニュー・ウェイヴで、この声だから、まんまボウイでしょ?この時期彼は

朗々と歌うタイプのニュー・ウェイヴ系のアーティストから多大なリスペクトを受けます。特にシルヴィアンのは、「Climate Of Hunter」にも雰囲気が近いですしね。

・・と、キャリアを追ってたら音楽的に楽しかったんですけど、そこでyoutubeをはじめとした検索文化ができて、「アイドルだった頃のスコット」というのを実感できるようになります。

1969年に、日本でウォーカー・ブラザーズとして「不二家LOOKチョコレート」のCMにどアイドルな感じで出演しています。

この時、ウォーカーズ、存在していなかったのに、日本のためにあえてコンサート活動やってたという、不思議な時期でもあったんですよね。

そして、この時期、ウォーカーズは日本で当時最も知名度のあった洋楽雑誌、ミュージック・ライフで、表紙を撮りまくっていたんですね。

1967年から70年にかけて、ウォーカーズ、およびスコット、なんと12回も表紙になっています!!

すごいですよね。特に1967年には5回も表紙になっている上に、スコット対ポール・マッカートニーのイケメン対決まで2回にわたってあるという(笑)。それくらいの色男だったんです、スコットは。

この1968年の日本公演の、EPなのかな、これは。すごいでしょ、黄色い歓声?それくらい人気だったのです。このころの少女、今回、スコットの死のニュースは届いているのかな?

そうしている過去を検索しているうちに、スコットもゆっくりとしたペースで新作を2006年、2012年と発売し続けます。

この辺りまで行くと、僕自身も難しすぎてついて行くのなかなか大変でした。本音言うと、「Tilt」までで止めといたほうがよかったかな、とも思うんですけどね。

でも

ボウイの生前最後のアルバム「Blackstar」のジャズ・エッセンスから、なんとなくスコットの影響、感じません?スコットのやったことを、ものすごくわかりやすくやったら、このボウイになるんじゃないかと思うんですけどね。歌い方なんてモロでしょ(笑)。

そしてスコット自身も2006年に自身を追ったドキュメンタリー「30th Century Man」で久々に公の場に姿を表し、話題を呼んでいました。

そして遺作は、ナタリー・ポートマンがエレクトロ・ディーヴァに扮することで話題になった「Vox Lux」という映画のサントラでした。

そして、スコットの死に際してもトム・ヨークを始め、実に沢山のアーティストが、スコットのキャリアに多大なるリスペクトを送っています。

一般の人から見たら、「アイドルで時代が終わっていた人」。しかし、実際は、「アイドルじゃなくなって、カルト・アーティストになった底力で、自身のキャリア全体の功績を証明した人」。こういう一生を遅れるアーティストというのは、そうはいないと思います。

では、最後に、ウォーカーズ最大の名曲でシメたいと思います。邦題がピッタリです。「涙でさようなら」。



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