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《独自選出》ラテンアメリカ・ロックアルバム50選 10~1位

どうも。

ではお待たせしました。停電で大きく遅れていましたラテンアメリカ・ロックアルバム50選、ついにトップ10の発表。

トップ10、こうなりました!

はい。どれもものすごく名作ばかりになりました。

10位から行きたいと思います。

10.Corazones/Los Prisioneros (1990)🇨🇱

ラテン・アメリカにおける「チリ・コーリング」

10位はロス・プリシオネロスチリが生んだ国民的なロックバンドです。こういう感じです。

はい。すごく、1980年代に生きる姿勢の若者風というか、いかにもあの当時のパンクスな感じの写り方ですけど、彼らは1980年代から90年代の初頭を駆け抜けた存在でした。当時チリは独裁者、アウグスト・ピノチェの統治下。1973年に軍人として左翼活動家を大虐殺しただけでなく、レーガンやサッチャーもが手本にした、富裕層を強く優遇した現在のネオリベの走りでもあります。彼らは1984年にデビューすると、当時のラテン・アメリカでは先端のパンク/ニュー・ウェイヴ・サウンドに、若者たちの社会への不満を乗せた歌詞で一気に国民的な人気バンドの座に登りつめます。この時は同時にアルゼンチンやスペイン、ちょうどどちらの国も独裁政権が終わった直後でもあったんですけど、「ロックをスペイン語で歌おう」ムーヴメントがあって、スペイン語を母国語とする国の間でロックを広め、それぞれの地にツアーに行くルートも作っていました。その波に乗り、プリシオネロスもチリ国内だけでなく、南米全体に広がっていきました。このアルバムはそんな彼らが1990年発表した4枚目にして、到達点ですね。ここで彼らが
聞かせるのはロックバンドの枠を飛び越え、ユーロハウスやオールドスクール・ヒップホップでした。どっちも1990年当時だと先端とされてたサウンドですよ。この2つをバンドが両方こなした例って、あんまりないというか、スタイル・カウンシルでもビッグ・オーディオ・ダイナマイトでもうまくいってた感じはしませんでしたからレアな成功例ですね。ハウスの方はある時期のペットショップ・ボーイズみたいに聞こえて少し前の時期に聞いたら古臭く感じたかもしれないんですが、時代が回って今そのあたりがまたクールに聞こえ始めてもいるから、そのタイミングで本作が再評価しやすくもなっている気もしたので、デビュー作でなくこちらで選びました。ローリング・ストーンのセレクトでは本作23位でした。なお、本作のリリース年にピノチェ独裁政権は終了。民主政治に戻っています。

9.Hasta La Raiz/Natália Lafourcade (2015)🇲🇽

天才少女。日本は宇多田、ラテン・アメリカはナタリア

9位はナタリア・ラフォルカーデ。この人は今日的にもすごく旬なメキシコ、そしてラテン・アメリカのアーティストですね。読者の皆さんの中でも名前を聞いたことがある人もいらっしゃるのではないかと思います。

ナタリアは1984年生まれ。今年39歳なんですが、世代的に日本の宇多田ヒカルと1歳違いになります。彼女の方が一つ下ですね。ナタリアもキャリアを15歳の時に始めてるんですよ。ただ、その時にポップ・グループで口パクでテレビ出演したのが嫌で、オルタナティヴな音楽嗜好になり、18歳だった2002年に正式にソロ・デビュー。この時から曲は全曲彼女の作詞作曲、アコースティック・ギターを持ち、当時のミシェル・ブランチをラテン・テイストかつクラブ・テイストに寄せたオルタナティヴ・ロックで早くもナショナル・チャートで1位を獲得。この時から天才少女ぶりを発揮していました。19位で紹介したフリエッタ・ヴェネガス同様、メキシコをオルタナ・クイーンの産地にするのにいきなり貢献したわけです。ただ、彼女の名声を蹴決定的にしたのは30歳の時に発表した本作です。この前作で彼女はアグスティン・ララという、メキシコで1930〜50年代に活躍したボレロの男性シンガーのトリビュート作を出しているのですが、その影響でよりトラディショナルなフォーク・アプローチを行い、少ない音数の中をアンビエントの揺らぎやアコギやストリングスの洒落たアレンジを有効に活かした音楽表現を目指す方向に向かいます。歌詞もより個人的で深遠な「愛」に向かい合い、スペイン語圏ではここでの評価も高いようですが、言葉がそこまでわからなくとも、デビューの頃よりもむしろ若々しくなった舌ったらずのハイトーン・ヴォイスからみずみずしく紡がれる彼女なりのフォーキーな歌の数々はすんなりと入っていける説得力に溢れています。このアルバムはラテン・グラミー賞を始め多くの賞に輝きヨーロッパでもヒット。ローリングストーンのセレクトでも15位に入ってます。この後、ナタリアはこの路線を強化。よりメキシコの伝統とジャズに接近し、よりストイックに実験的に音楽世界を展開。さらに研ぎ澄まされてきています。

8.Clube Da Esquina/Milton Nascimento & Lo Borges (1972)🇧🇷

南米から生まれた、最高の一期一会のケミストリー

 8位はミルトン・ナシメント、そしてロー・ボルジェスによる「Clube Da Esquina」。これは今日、かなりの人気アルバムですね。日本の音楽ファンもこれを話題にすること非常に多くて僕のXのタイムラインでもよく見かけます。ローリング・ストーンのセレクトでもこれは4位に入ってました。近年非常に人気の1枚だと言って良いと思います。ただ、不思議な気がしないではないんですよ。僕、ミルトン・ナシメントって、ジェイムス・テイラー、ポール・サイモンとかデュラン・デュランとかと共演してた関係上、80年代から知ってましたけど、良いイメージなかったんですよ。それはうちの妻もよく言ってたことなんですけどね。それは彼の80年代以降のイメージがよくなかったから。80s当時のシンセとプログラミングに頼った音でアダルト・コンテンポラリーやってたイメージ。それがどうしてもあったんですよね。

ところが1972年作のこれはそんな80s以降のミルトンとは全く別人。彼自身、その真似できない独特のハイトーン・ヴォイスは当時から武器なんですが、デビュー当時は優れたボサノバのソングライターであり、さらに言えば1970年代に入ればかなり先鋭的な、ロックとカテゴライズして良い作品を次々と作っている。その原動力となったのは、彼の住むブラジル第3の都市ないミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテのアパート、「レヴィ・ビル」の住人たち。そこに一人が当時20歳にすぎなかったロー・ボルジェスであり、彼の兄のマルシオ・ボルジェス、トニーニョ・オルタ、ベット・ゲデス、ヴァギネル・ティーゾといったミュージシャンたち。ミルトンよりもかなり若めの別名「街角クラブ」の彼らは、この当時のロックやジャズの先鋭に表現に興味があり、それをミルトンのサウンドに反映させていきます。とりわけローはこの2年前にミルトンと「Para Lennon E McCartney」で共演。それがいわば2枚組サイズで拡大したのが本作です。このアルバム、影響源としては参加メンツのほとんどの人が言うようにビートルズです。それも中後期のストリングスとかホーンとか、後期のスカスカのサウンドとか、その辺りですね。これ、じっくり聞けば「確かに」ってわかるんですけど、他のビートルズ・オマージュみたいに具体的なフレーズのパロディみたいのがないのでわかりにくいんですよ。曲そのものはむしろ、ジャズとかソウルの影響が感じられる、今でいうシティ・ポップの走りっぽい感じするんですよね。ミルトンの手癖と、街角クラブ側の趣味が混ざり合って生まれた特殊な感じなんですけどね。その辺りが今、人気なのかとも思うんですけど、なまじビートルズの影響受けてるものだから一切甘ったるさがないんですよね。「洗練と実験」が相まって不思議な緊迫感があるというか。だからなのか、曲も強いんですよね。晩年のデヴィッド・ボウイにパクリ疑惑のある「Cais」とか、僕自身がブラジルの曲で一番大好きな、ローのヴォーカルによる「Trem Azul」とか。このタイムレスさに関しては南米でもトップクラスでしょうね。ただ、それがたもと分かつと、ミルトンも街角クラブ側も力が出せないという。これを含め70年代前半はこの布陣での政策のミルトンなんですけど、一世一代の一期一会のケミストリーだったんでしょうね。


7.Ventura/Los Hermanos (2003)🇧🇷

00年代南米文系ロックの最高峰

そして7位もブラジルです。ロス・エルマーノス。これはブラジルだと非常に名盤の誉れ高い1作で、ブラジルのモダンデイ・クラシックと呼んで良いと思います。若めの音楽好きの人が大概絶賛するアルバムとして知られています。

このバンドですが、こういう人たちです。

この4人ですが、中心となるのはイエローのシャツ着たマルセロ・カメロと、左端のロドリゴ・アマランチ、この2人が交互にヴォーカルをとる双頭バンドとして知られています。彼らが注目されたのは1999年、シングルとなった「Ana Julia」という、ウィーザーの「Buddy Holly」に似たタイプの曲がその年のブラジルで最大ヒットになった位に売れたんですね。ただ、それがあまりにも売れ過ぎたものだから、その次に反動がきてセカンド・アルバムが失敗。そこで起死回生を狙ってこのサード・アルバムを2003年に作ったならば歴史的名盤が出来上がった、というわけです。このアルバムは、、マルセロとロドリゴという、一つのバンドに奇跡的に揃った才能がぶつかり合った結果に生まれた最高の結晶ですね。一般にマルセロの書く曲がウィーザーっぽく、ロドリゴの曲が彼の声質の問題もあってストロークスっぽく聞こえるんですけど、その不思議な癖の組み合わせを絶妙に生かしながら、70年代のカエターノ・ヴェローゾの頃のような洗練されたMPBサウンドをそこに混ぜ、さらにUSインディのペイヴメントあたりのインディ・サウンドを手本にしたようなロウファイ・レコーディングに、ストロークスの影響か独特の歪みのかかった軽い質感のガレージ・ロックギター・サウンド。これらがケミストリーを起こして、ここでしか鳴っていない独自の世界観を構築しています。このアルバムはローリング・ストーンのセレクトでも29位に入ってましたけど、同じ時代に活躍したアルゼンチンのババソーニコスとか、メキシコのゾイ、僕も20位台で入れてますけど、この時代は他の世界同様に南米でも文系バンドが強いんですけど、彼らと比べても到達した地点ではこのエルマーノスのアルバムの方が僕は上だと思うんですよね。

残念ながらエルマーノスはこの後もう1枚アルバムを作った後に2007年に活動休止。以降はマルセロ、ロドリゴともにソロ活動で、たまにライブのために再結成。2019年にツアーやった時はブラジルでこのテのバンドとしては完全に異例のスタジアム・ライブまでやってました。彼らが続いていてくれてたらブラジルのロック界も今よりは少し良くなってたんじゃないかと思いますけど、それだけ後継者がこの後に育っていないということです。


6.El Dorado/Aterciopelados (1995)🇨🇴

南米が生んだ、知的で奇抜でパワフルなオルタナ・クイーン

 6位はアテルシオペラードス。。女性シンガー、アンドレア・エチェヴェリと男性ベーシストのエクトル・ブイトラーゴによるコロンビアの首都ボゴタが生んだオルタナティヴ・ロックバンドです。

このアテルシオペラードスは90sにおけるラテンアメリカのオルタナティヴ・ロックの世界では専門家の誰に聞いてもベストに挙げるんですよね。ローリングストーンでは、この次に出たサード・アルバム「La Pipa De La Paz」を3位にしてますけど、他の同様のランキングでは僕が今回選んだ方をトップ10に入れたものもよく見るし、一般的にはこっちが最高傑作説多いです。あとラテングラミーでの受賞歴もかなり豊富で、かなりリスペクトされているバンドです。

このバンドですが、結成当初はなんとハードコアなパンクバンドで、93年のアルバムは全編粗いパンクです。それが95年くらいになってくると、この当時の国際基準お女性のオルタナティヴ・ロックになってきます。ちょっとグランジっぽい曲野そうだし、そこにちょっとアコースティック・ギター混ぜる感じとか、当時のホールとかアラニス・モリセットに近い感じで。で、そこに乗るアンドレアのアルトの力強い美声がまた色っぽいんですよ。このクオリティだけでも南米では突出したセンスだったはずだし、気にされたんじゃないですかね。時はちょうどあのシャキーラがデビューしようとしてた頃。コロンビアを世界に向けてこじ開けた存在でもあったわけです。この後にこの2人はコロンビアのフォークロアのファッション・テイストとサウンドを深めていき、坊主頭のパンクスだったアンドレアはいつの間にかノーメイクのロングヘアが腰まである自然派女子みたいになって、それもそれでよくはあるんですけど、でも、そこで物足りないと自分たちで思うのか作品によってロック回帰したりして高い人気保ってます。

彼ら今も健在です。こんな感じです。

アー写、ライブ写真、いつもこんな感じなんですけどね、アンドレア。ぶっ飛んでます。そんな彼女はコロンビアでは最高峰の大学出てる才媛。スーパー・ウーマンです。

5.Re/Cafe Tacvba (1994)🇲🇽

中南米ロックの流れを変えた、渋谷系的ミクスチャーのレジェンド

いよいよトップ5に入りました。5位はカフェ・タクーバ。メキシコが誇る超大物バンドですね。とりわけこの「Re」というアルバムは中南米社会では最大の名盤扱いを受けておりまして、ローリング・ストーンのセレクトでも1位。このほかにも1位になってるのを見たことあります。このテのランキングの大常連、大定番作です。彼らは90sの、まさにオルタナ・インディ・カルチャーが生んだタイプのバンドだと思うし、僕自身も彼らのことは90年代に東京で知ってますね。輸入盤で話題だったし日本盤もでてたので。ただ、その時はこのアルバムでなく、2作後の作品だったような記憶があります。

そんな彼らはこういう人たちです。

この4人です。そのひときわ背の低い小動物っぽくてキュートなフロントマン、ルーベン・アルバランの癖の強い鼻声ヴォーカルがひときわ目立つんですけど、彼を筆頭にキーボードのエマヌエル・デ・レアル(左端)、残り2人兄弟なんですけどギターのホセロ(右端)とベースのエンリケ(真ん中)のランヘル兄弟、全員にソングライティング能力が備わっているところも大きな強みです。

彼らはすでに紹介したカイファーネス(25位)やマルディータ・ヴェシンダ(32位)よりは遅れてメキシコ・シティのロック・ムーヴメントに入った世代ですが、その少しの遅れゆえにこれまでのラテン・アメリカのロックで大きな影響を誇っていたパンク/ニュー・ウェイヴの影響下から逃れ得て、90sの世界的なインディ/オルタナティヴの波に乗れたのだと僕は思ってます。そのことは1992年のデビュー作でもすでに片鱗を見せていますが、94年のこのセカンドではそれが一気に開花。ヒップホップやハードコア・パンクにも対応できる柔軟さを持ちながらも、メインとなるのは軽快なリズムに乗ったネオアコ・サウンド。これ、彼らにしてみたらメキシコのトラディショナルなフォーク・ミュージックを元にしているのだとは思うんですが、これが不思議と80sのアズテック・カメラみたいな、日本の渋谷系が手本にしたのと微妙に共鳴する同時代性を感じさせるんですよね。彼らがこの世代のおしゃれ世代に刺さったのは偶然の必然だったような気はしますね。フリッパーズ・ギターが日本でそうだったように、ここからラテン・アメリカのサブカルチュアルな音楽の流れが一変したような、そんな手応えを感じます。

彼らはこの後も作品を積み重ねて中年米きっての大物バンドになりますが、ここ10数年は新作が5年おきで、最新作が2017年。まだ50代半ばまでの年齢なので、もう少し活発でいいかなとも思いますけどね。


4.Clics Modernos/Charly Garcia (1983)🇦🇷

アルゼンチンから生まれた、最高難易度シンセ・ポップ

 ここから先は、これ、始める前にも言いましたよね。4人、アルバムがソロとグループで2枚重複している人がいるって。その4人の作品が順次入っていくことになります。

まず4位はチャーリー・ガルシアの「Clics Modernos」。アルゼンチンが生んだ2人のロックの父の1人です。1951年生まれのチャーリーは72年にフォーク・デュオ、スイ・ジェネリスで大成功を収め、70年代後半に、14位に入りました、当時のアルゼンチンでは最大規模のスーパーグループ、シティポップ・プログレバンド、セル・ヒランで成功を収めます。そのバンドが1981年までで解散。ここから彼はソロとして成功を収めていきますが、このソロ第2弾作は誰もが彼の最高傑作とする作品です。ローリング・ストーンの先日のセレクトでは9位、そしてアルゼンチン版のローリング・ストーンが2007年に選んだアルゼンチン・オールタイム・ベストでも2位に入っています。

このアルバムは出た時期が絶妙なんですよね。一つは1983年という年。この年にアルゼンチンでは軍事政権が終わって民主主義が復活します。そして、もう一つはちょうどこの頃から音楽傾向でニュー・ウェイヴがすごく人気が出る頃。国の出直しと音楽のフェーズが変わるちょうどその時代に、国内ナンバー1を争うチャーリーが新しい第一歩を踏み出した。これが大きいですね。これまでチャーリー・ガルシアといえば流麗なピアノ・プレイを軸としたクラシカルな趣のあるシティ・ポップだったんですが、ここでは鍵盤をシンセに置き換えて時代に合わせてシンセポップを披露しています。ただ、そこで彼は時代に完全に迎合することをせず、これまで通りに、例えばスティーリー・ダンやスーパートランプ、10ccにトッド・ラングレンを彷彿とさせる多彩なる和音やコード進行をこれでもかと繰り出し、「手軽さ」「軽快さ」が売りのシンセポップに強い一石を投じるんですよね。僕もこの時代、英米のたくさんのシンセポップ聞いてますけど、こんなに楽曲的に入り組んだものは聴いたことないです。これ、当時の人が広く知ってたら世界でも稀なものと思われてたんじゃないかな。

以来、チャーリー、今日に至るまで大御所なんですが、アルゼンチンではキャラも愛されてるようで、Netflixのラテンアメリカ・ロックのドキュメンタリー「魂の解放」で彼自身、39位に入ってるフィト・パエスの伝記ドラマでも彼役の俳優が出てきますが、どっちもちょび髭でダミ声で興奮してやかましく捲したてるキャラです。かなり「オネエ」入ってる人でもあります。

3.Os Mutantes/Os Mutantes (1968)🇧🇷

いきなり「サージェント・ペパーズ」でデビューしたブラジルの恐るべき子供

続いて3位はオス・ムタンチス、1968年のデビュー・アルバム「Os Mutantes」。これはソロでも16位にランクしているヒタ・リーがキャリアの最初に在籍したバンド。そしてブラジルではこれが最高位となります。これはローリング・ストーンのセレクトでも6位に入っていますけど、これピッチフォークの60sのアルバム選でも入ってるし、中南米圏のレベル超えて国際的なカルト盤として知られています。

しかも生まれかたが唐突なんですよね。ブラジルっていわゆるブリティッシュ・ビートを受けた形でのバンドブームって起こらなくて、アイドル歌手がそのままビートルズやストーンズっぽい曲を歌ってた感じだったんですよ。それがビートルズのサージェント・ペパーズが出てわずか半年くらいで、それまでボサノバやってたカエターノ・ヴェローゾがわずかな期間でサイケをマスターして、サンパウロで見つけたまだ20歳行くか行かないかの少年少女だったムタンチスに声かけて、彼らのファースト・アルバムと、ジルベルト・ジルやガル・コスタ、トンゼーといった仲間たちと伝説のオムニバス「トロピカリア」を作ったんですから。

僕も1999年にこの頃の作品を中心に編纂したデヴィッド・バーン監修のムタンチスのベスト盤聴いてぶっ飛びましたからね。なんかサージェント・ペパーズ大きく飛び越して、ファズの歪みが動物の鳴き声みたくなっててイカれてて。トリップさかげんでいえばシド・バレットの頃のピンク・フロイドとか初期トラフィックとか、イギリスのケミカルな作り物っぽいサイケよりも行きすぎてて。そこにブラジル固有の大陸的な黒人音楽的ポリリズミカルなグルーブまで混ざってくるから最強です。そりゃ、かのカート・コベインも90年代に発見して驚くわけですよ。

このアルバムを語る際、大方の曲を書き下ろしたカエターノと「ブラジルのジョージ・マーティン」ことマヌエル・バレンベインの想像力と技術が両立した壮絶なアレンジがあげられます。この当時まだ20歳行くか行かないかだったヒタ・リー、アルナルド・バチスタ、セルジオ・ジアスがオリジナル曲で才能を示しはじめるのはむしろこのあと3作ほどのアルバムだったりもします。だけど、ここにしか詰め込まれてない、時と青春の勢いのみが可能にする狂気のケミストリー。これがここにはあるんですやね。

2.Signo/Soda Stereo(1986)🇦🇷

「スペイン語ロックの最も熱い時代」の頂点

そして2位がソーダ・ステレオ。彼らに関しては、フロントマンのグスターヴォ・セラッティのソロ作を21位、これはローリング・ストーンのセレクトでも2位だった名盤なんですけど、でもセラッティはソーダ・ステレオがあってこその存在。未だにスペイン語圏で「ソーダ」の愛称で愛され続け伝説となっている彼らを無視してセラッティもアルゼンチンのロックも、80年代のスペイン語でのロックのムーヴメントも語れません

セラッティのソロ作のジャケ写だと、そんなことは思わなかったかもしれませんが、ソーダ・ステレオの80s、なかなかのV系です。

すごいでしょ、髪立ってて!その昔のBUCK-TICKみたいでもあったんですけど彼らは1984年、アルゼンチンでのニュー・ウェイヴのバンドブームでも決して早くはなかったタイミングでデビューします。ただ、この真ん中のセラッティ、なかなかの美形だと思うんですが、この見た目の華と、それこそ「アルゼンチンのザ・ポリス」とも言われたトリオ編成とは思えないスケール感の大きな演奏力、アリーナ映えするセラッティの圧倒的なハイトーン・ヴォイス、さらにセラッティによる妖艶なフランジャーの効いた鋭いカッティング・ギターとファンキー・グルーヴ。そして、最新テクノロジーの導入のうまさ。この時代に、ここまで見せる、聞かせる要素揃ってたら、そりゃビッグにならないわけがありません。そして時はちょうど、アルゼンチンやスペインで「スペイン語でロックを歌おう」ムーヴメントがあり、スペイン語圏全体を結んでマーケットが拡大していた、そんな時代の後押しも見受けられるようになります。

 そして1986年、スペイン語ロック・ムーヴメントの絶頂期に出されたサード・アルバムこそ、ラテン・アメリカ・ロックの最大の象徴でしょうね。大ヒット曲の「Persian Americana」を筆頭にセラッティのソロでも変わらず定番だった「El Rito」「Profugos」。このあたりのパフォーマンスのスケール感見てると、ザ・ポリスとU2の間くらいのスケール感というか。そんな表現ができるバンド、イギリスやアメリカ、オーストラリアだってそうはいなかったわけで。たまたま生まれたのが南米だっただけで、その才能は国際規模でも十分多大なリスペクトに値するレベルです。

この2作後、1990年にソーダは「Cancion Animal」という、一般に最高傑作扱いのアルバムを出し、そこを頂点という人もいます。確かにローリング・ストーンでの16位を始め、この手の企画の常連で入るのは本当はそっちなんです。このアルバムではアメリカより先にグランジを予見したことで伝説となっています。でも、ソロでも示したそういう器用な音楽タイプ力より、時代の勢いと大衆へ強くアピールするカリスマ的魅力に溢れた頃の作品の方が好きですね。

1.Artaud/Pescado Rabioso (1973)🇦🇷

天才スピネッタの、地域性を超越したマジカルな普遍的傑作

 そして栄えある1位はアルゼンチンのバンド、ペスカード・ラビオーゾの「Atraud(アルトー)」、これを1位にしようと思います。これ、ローリング・ストーンのセレクトでも13位と高い順位ではあったんですけど、ローリング・ストーン・アルゼンチンが2007年に発表したオールタイム・アルゼンチンのベスト・アルバムでは見事1位に輝き、近年の最新エディションが本国のチャートで上位に入るほど、アルゼンチンでは古典中の古典です。

このペスカード・ラビオーゾですが、わかるやすく言えば

アルゼンチンにおける「ロックの父」、ルイス・アルベルト・スピネッタが率いたバンドです。しかも、ロックの父でありつつ美形なんですよね。1950年生まれのスピネッタは10代の1960年代後半にフォークロックのバンド、アルメンドラでフロントマンとしてデビュー。この時点で大きな成功をつかみます。彼はシンガーでありながらも同時に卓越したギタリストでもありましたので、この後、積極的にバンドを結成するんですが、70年代前半に展開し、彼のキャリアの中で最も評価が高いのがペスカード・ラビオーゾです。このバンドはいわゆるハードロック、プログレ系で、ギタリストは14位で紹介したチャーリー・ガルシアのセル・ヒランのギタリストのダヴィド・レブロンだったりもします。このアルバムはそんなこのバンドの3枚目に当たるアルバムなんですけど、実はこれ、実質スピネッタのソロ・アルバムです。彼が一人で多重録音を行っているんですけど、全くそんな風に聞きえない、ちゃんとジャム・セッションしてる風に録音してあるんです。ただ、その演奏で使われるギターのフレーズはジャズ的であり、音の隙間と歌心に関しては十分にフォークでもあり。不思議なんですよね。すごくシンガーソングライター的な表現に向かっているのに、ちゃんとバンド・ミュージック的なスケール感とカタルシスもあるという。ちょっとこれ、似たような表現の作品、英米でも聞いたことないんですよね。それを考えると、ちょっとこれは「地域」とかそういうことは関係なしに、ちゃんと世界に知られるべき才能だなと思い1位にしました。なんかジョニ・ミッチェルがレッド・ツェッペリンやったみたいな質感なのでね。また、スピネッタ自身が後年までレパートリーにした名曲「Bajan」の存在なども光ります。

その後スピネッタはこのバンドを1975年に解散後、インヴィジブルやスピネッタ・ジェイドを経てソロに。ソロでも多大なリスペクトとともに愛され、アルゼンチンの大統領官邸に呼ばれてコンサートを行うなど、大物ぶりも発揮していましたが、ガンを患い、2012年に62歳に早逝しています。





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