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ビリーとアヴリルで思い出した26年前の「あのこと」

どうも。

いやあ、昨日のビリー・アイリッシュとアヴリル・ラヴィーンのポスト、かなり大きな反響いただいたみたいで嬉しい限りです。noteに移ってからでは一番大きかったんじゃないかな。

アヴリル・ラヴィーンに個人的な恨みは何もないんですけど、でも、それにしてもオリコンのチャート見たときのあのときの憤りっていったら、やっぱら申し訳ないですけど、なかったですからね。「どれだけ時代遅れになったら気がすむんだ。いい加減にしろ!」という気持ちはやっぱり湧き上がってきてしょうがなかったですからね。

昨日も言ったけど、本当にビリーがアヴリルに順位が下回る可能性というのは、今の世界のどこでも起こりえないことなんですよ。「そんな国があってもいいじゃないか」と思われる人もいらっしゃるかもしれませんが、それが過去の既得権益が新しい才能を見えにくくする形で行われるのだとしたら、やっぱりそれは看過できません。

で、この一件であることを思い出しました。これ、僕の話の定番ネタでもあるんですけど、僕がオリコン・チャート読んであんなに怒ったことって

1993年9月のオリコン・チャートで、ニルヴァーナの「In Utero」がミスター・ビッグの「Bump Ahead」に初登場順位で敗れた時ですね。この時、ニルヴァーナは「ロックの潮流を変えた」と時代の寵児扱いで、世界的に初登場1位で当たり前の状況だったんですよ。ところが、オリコンでの初登場順位は13位で、ミスター・ビッグは6位だったんですよね。ミスター・ビッグのこのアルバムが他の国でどうだったかというと、全米82位止まり。全英でも61位。

この時は、日本のメタル・メディアがとにかくグランジ/オルタナ叩きをやっていたし、それが最初の方は効いてたんですよね。まだ「BURRN」が「ロッキングオン」より部数上だった時代でもありましたからね。あれのせいで、日本でグランジは実質潰されたようなもので、オルタナティヴ・ロックの浸透も遅れましたからね。日本の場合、90年代いっぱいくらいまで、他の国のチャートの100位にすら入らなくなったようなオールド・スクールなメタル・アーティストがオリコンのトップ10まで入り続けてましたからね。

日本でオルタナティヴ・ロックが市民権得出すのって、90年代の半ばまでかかりましたからね。5年遅れでしたよ。そして、あそこから、日本における洋楽の「周回遅れ現象」が始まったんです。それまで、そんなことはなかったんだから。

で、苦笑してしまったんですけど、ビリーが初登場した1週目にイングウェイ・マルムスティーンの新作の方がビリーよりも上だったんですよね(笑)。さすがに、1位にまでなっていた90年代とは違って、オリコンで40位台、ビルボード・ジャパンでビリーのやや下くらいだったんですけど、「ああ、あの時の名残がこんなところにも」と思いましたね。

で、今回、25年半ぶりに受けたショックですよ。まあ、この20数年前のヤツよりは乗り越えるのは難しくなさそうではありますけど、「時代錯誤感」でのショックは今回の方が大きかったかな。

ニルヴァーナとミスター・ビッグのネタ、あの当時から「これは言い続ける」と人に言ってて、実行してしまっているわけですが(笑)、ビリーとアヴリルの件もネタにはし続けるだろうなあ。











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