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映画「ライオン・キング」感想 「無表情なハクナ・マタタ」に棒読みビヨンセ

どうも。

今日は、この映画の話題をしましょう。

今、全世界的に話題ですね。「ライオン・キング」の実写版。アメリカでも興行、すごい勢いですけどね。

これ、ちょうど今日、子供たちと見に行ってきました。子供は特に感想を言ってないんですけど、僕的には

・・・非常にツラかった(苦笑)。

いやあ、僕、この映画、前々からいい予感はしてなかったんですね。1994年のアニメの方はよくできてると思います。だから、作品の素材的には全く問題はないです。むしろ、

これ、実写でリメイクする必然性、あるの?アニメより良くなるの?

こっちの疑問の方を、兼ねてから懸念していました。

どういうことなのか。今日はそのことについて話そうかと思います。

今回の場合は、もう「ライオン・キング」ほどの作品なので、あえてストーリーなどは語りません。要点をかいつまんで話します。

①やっぱり、「無表情の動物」には感情移入、難しい

僕、やっぱりですねえ。

こういう、「無表情な動物」が演技するのって、苦手です(苦笑)。だって、声優のセリフがどんなに感情的になろうが、顔つき一切変わらないんですもん(笑)。それだったら、顔に表情付けられるアニメの方が良くないですか?

僕がそれを痛切に感じたのは

今回の「ライオン・キング」の企画の前にディズニーがやった「ジャングル・ブック」の実写リメイクを見たときに、すごく痛切に思ったんですね。この「Bare Necessities」というのは、この映画にとって肝となるミュージカル・シーンなんですが、これを見比べてみたとき、どっちの動物の方が楽しそうに見えます?圧倒的に前者のアニメの方じゃないですか?僕は「ジャングル・ブック」のオリジナルは、このシーンが一番好きだっただけに、この実写見たときに、「こんな固まった表情でこの歌、歌われても・・」とすごくガッカリしちゃったんですよね。

それだからこそ、今回

「ハクナ・マタタ」で胸がときめかなかったんですよ(笑)!

だって、こんな顔のまま歌われるんですよ。いくら、声優が気持ち的に盛り立てても、歌ってるのが、こんなに顔が固まったままなんじゃ、見てて気持ちが乗って行きませんよ。

これ、イノシシ(で、いいのかな?)役はセス・ローゲンで、コメディックでいい盛り立て方するんですよ。声優では、彼が一番奮闘してましたけど、それを持ってでさえもですよ。

あと、それでも、「ジャングル・ブック」の場合は、もう50年ほど前の映画だったから、多くの人がストーリー覚えてない、人によっては知らないものだったじゃないですか。だから、「初めて見る」人も多かったから、まだ、この手法が新鮮に感じられたところがあったと思うんですよ。僕も、事前にオリジナル見てなきゃ楽しめたと思います(笑)。でも、「ライオン・キング」って、ビデオ・ソフトがものすごく普及していた時代の大ヒット作で、ミュージカルも今日に至るまでロングヒットしてるわけだから、ストーリーの認知だって「ジャングル・ブック」との比ではないし、どうしてもオリジナルとは比較しちゃうじゃないですか。その時に、「なんだ、アニメとかミュージカルの方が全然いいじゃないか」という感想を持たれやすいと思うんですよね。「ジャングル・ブック」と「ライオン・キング」って、Rottentomatoesの採点でも、前者が94点なのに、後者は53点。こうなった理由の一つが、こうしたことに起因しているのではないか、と僕は見ています。

②ドナルド・グローヴァーのシンバ役がミスマッチ

あと今回、音楽ファンにとっては「チャイルディッシュ・ガンビーノ」のドナルド・グローヴァーが主人公シンバ役であることが話題だったんですけど、正直言って、合ってません。

ドナルドって、前にも話しましたけど、

彼のアメリカでのそもそもの出世作となったコメディ「Community」の時からかなりのファンなんですよ。これ見てもわかると思うんですけど、お笑い演技、かなり面白い人なんですよね。

これ知ってるから「三枚目」のイメージあったし、その後、「アトランタ」でだいぶかっこよくなったけど、それでも「二枚目半」でしょ?その一方、シンバって、イメージ、「二枚目半」ですか?

オリジナルのアニメのシンバって、マシュー・ブロデリックだったから、一応、コメディ系の俳優で主役を受け継いだことにはなります。ただ、マシューの場合でも、「コメディに強い」というだけで、コメディアンではなく「俳優」でしたよね。ドナルドの場合、プロのコメディアンですからね。まず、そこの差はあるし、加えて僕が気になったのはドナルドの声ですね。ちょっと、二枚目な感じの主人公を演じるには、声がちょっと高すぎて、しゃべり方も軽いんですよね。「今回はよりアフリカ色を出したかったから、黒人で」というコンセプトはわかるし、歌も本人が歌うことを考えると、ある意味、ハマるといえばハマるんですけど、でも、「声優」としての部分だったら、もっと適役いたように思います。個人的にはマイケルBジョーダンとかで聞きたかったかなあ。

それに加えて

道中で出会う友達の役が、さっきも言ったようにセス・ローゲンなわけでしょ。この二人組んだら、必要以上にコメディっぽくなりすぎじゃないですか(笑)。そこも違和感、あったんですよねえ。僕、コメディって、映画の中で一番好きなジャンルですけど、「ライオン・キング」にまでそれは求めません(笑)。それでいて、映画だと、この2人、そこまでコメディっぽくもならないから、見ていてどっちつかずなんですよね。「だったらシンバ役、もっと二枚目の感じの人で普通に良くなかったか?」となるわけです。

③ビヨンセの演技で、かなりの部分が台無し

でも、ドナルドの問題は、実はそこまで大きなものではありません。だから、記事タイトルにしてないでしょ。ドナルドより数10倍、見ていて辛かったのは

ビヨンセ!

シンバの幼馴染の恋人役ナラを彼女が演じたわけなんですが、まあ、これがひどかったのなんの!

この記事だけ読む人に誤解のないように言っておくと、僕、ビヨンセ、音楽の方ではかなりのファンなんですよ。過去に絶賛した記事、いくつも書いてるし、彼女が2017年のグラミーで、彼女の「レモネード」ではなくアデルに最優秀アルバムが行った時には真剣に激怒記事書いたくらいです。

ただ、そんな僕でも、ビヨンセが映画に出る時、毎度ツラいんですl苦笑)。

それは、もう、この時から

今となっては懐かしいですね。2002年、「オースティン・パワーズ」、これが確か彼女にとって映画での初めての大きな役だったと思うんですけど、まあ〜、演技は「ありゃ〜」って感じでしたからね〜。

彼女、演技だと何が問題かって、セリフの棒読みがひどいんですよ。これは毎度思うことなんですけど。よく、リアーナが演技下手とかからかわれるじゃないですか。でも、僕からしたら、ビヨンセもレベル変わらないか、もしくはそれ以上に下手です。今回、案の定、英語圏のネットでは、「beyonce、bad acting」とかってツイッター検索でもグーグル検索でもかなりの数、出てきますけど、その中で、「学校のクラスで教科書読んでる子供みたいだった」というのがあってウケちゃったんですけど(笑)、彼女の演技、いつもそんな感じです。

そんな彼女がこれまで、ラジー賞のノミネート1回で済んでいるのは、出演作が歌との抱き合わせのパターンが多いからですね。「ドリームガールズ」の時の歌声はダイアナ・ロスの数10倍うまかったし、「キャディラック・レコード」でのエタ・ジェイムス役で歌った「At Last」なんて、映画の中で聞く歌としては最高級のものでしたからね。今回も挿入曲、自分で歌ってるわけなんですけど、こちらだと「求められている水準」をはるかに超えるうまさなんですよ!だけど、それだって頻繁にかかるわけじゃないから、なんか、もったいなかったですね。

ただ、そんな彼女がナラを演じたことで生じてしまったのが

シンバとナラの心の距離が全然見えなかったんですよ!

これは大問題ですね。ナラがシンバに対してどんな気持ちを抱いているのかとか、もっと言えば「愛しているのか」さえ分からないような演技でした。

この件に関して言えば

この、子供時代を演じていた子役声優の方が、はるかに愛し合って聞こえましたよ(笑)。

だからですね、見ていて拍子抜けするんですよ。ただでさえ動物なんだから、演技がしっかりしないと引き付けられないじゃないですか。そこに加えて、気持ちの入らない演技なわけでしょ。見てる方も集中力、切れてしまいますよね。

パパ・ライオンのムサファは94年のオリジナルと同じく、ダースベイダーでもあるジェムス・アール・ジョーンズ、ママ・ライオンのアルフレ・ウッダードも大ベテラン女優、敵役のスカーも「それでも夜は開ける」のチエテル・エイジョホーと、黒人の名優がズラりと揃っているんです。でも、シンバとの心の交友上、一番必要なのって、ムサファとナラのわけで。そのうちの一つが全然機能しないのであれば、映画としてはかなり苦しいです。

④時間配分って、こんな感じだったっけ?

あと、これはオリジナル見て確かめる必要があるんですけど、今回のヴァージョン、やけにシンバが大人になってからのが短いような気がしたんですよね。

これは監督のジョン・ファヴローによるものなのか、あるいはビヨンセの気持ちの入らない演技で、コミュニケーションがあっさりしてしまったからなのか、わかりませんが、それも違和感に残りましたね。前半のおかげでムサファの存在感は強く際立つんですけど、なんか後半が駆け足になったことで、シンバがどういう成長をしたのか、とかがよくわからないんですよね。

⑤で、実写化する意義は?

ジョン・ファヴローは「ジャングル・ブック」も監督していますが、テクニカルには非常によく作れてはいると思います。あと、「登場キャラクターの心の通い合い」に関しても「ジャングル・ブック」はうまくいったとは思います。

でもなあ。やっぱり、①でも書いたように、「表情のない動物の顔」を素材にドラマを作るというのはやはり限界があるよなあ、とは今回の映画見て思いましたね。動物が戦うシーンは迫力あるんですけど、他の部分での演技って、やっぱり無理があるかと。

「オリジナリティあるものを作るために、限界に挑戦する」こと自体は必要なことだとは思います。でも、こうも考えました。

果たして、こういう映画の実写化を、僕らは今後、望むかどうか。

さあ、どうなんでしょうか。







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