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東西冷戦終結直後にカート・コベイン。実はここが大きなロックの社会的分岐点

どうも。

今日は4月8日です。この日が何の日かというと

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カート・コベインの遺体が発見された日です。一般的に彼の命日は1994年4月5日とされていますが、リアルタイム体験者としては、遺体が発見された3日後の8日こそを大事にしたいと考えています。

今年は、区切りの年ではないんですけど、でも27歳で世を去ったカートが去って27年というのも不思議な因縁を感じるし、他の年よりもなんか僕も思い出してますね。

なんで、今日このことを話そうかと思ったというと、

カートという存在が、まだ本当に理解されきってはいないな


ということを、ここ最近起こった、以前からこのブログで取り上げたいと考えていた”あること”と結びつけて考えることが可能だと思ったからです。

では、その”以前から話したかったこと”とは何なのか。これについて、まず話すことにしましょう。

今年の1月のことですが、これはもうここでも話したことですけど

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トランプの支持者がなかばクーデターを起こさんとばかりに、ワシントンDCのキャピトル・ヒルの連邦議事堂を襲ったことがあったでしょ?

実は、この前後から、トランプが選挙の不正を騒ぎ立てて何も証明できなかった頃からバイデンが正式就任するまで、アメリカでは陰謀論なるものが流行ったんですけど、このとき、日本の有名アーティストでも陰謀論を信じる人が結構立て続けに出ていたんです。それがSNSで結構話題になりましてね。僕のTLでも嘆く声が続出でした。

「なんのためにロックとかパンクとかヒップホップを聞いてきてたんだよ」。こういう声があがって、僕は、「ああ、日本のロック・リスナー達は大半がこれらの音楽に関してしかるべき理解で育ってきていたんだな」と思ってうれしくはなったんですけど、でも、さすがにそのアーティスト達にはすごくガッカリしたものでした。それが1月のことでした。

で、3月になりますと、今度は、ある大御所の音楽ジャーナリストの方がツイッター上で嫌韓・嫌中の発言を行いまして、大きな炎上事項となりました。この方も日本に70年代にパンクを紹介した人の一人だったりしたものですから「パンクから何を学んだのだ」との落胆の声が飛んでいました。

この2件に関しては、今回は特定の個人攻撃をしたいわけではないから、実名をあげることはしません。気になる方は個人的に調べていただくしかありません。そんな具体名よりも僕がここで重要視したいのは「なぜ、彼らがそのような極右まがいの考えを持つに至ったのか」のその背景。ずばり、それです。

「年をとることによって保守化したんだろ?」。ネットだと、そういう意見が多かったですね。それも理由としてはあるかもしれません。しかし、僕はそれがメインの理由だとは思っていません。

僕が考えるその理由。それは

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80年代の東西冷戦から、社会意識が変わっていない!!

これこそが理由なのではないかと思うんですよね。

そう思う根拠があります。まず、アーティストの方なんですが、陰謀論を信じたミュージシャンって、ほぼ僕と同世代の人たちなんですよ。

僕らが10代のときって、洋楽の世界、どうだったかというと

アメリカとソ連が核を盾にしていがみあっていた頃ですね。こんな風にその対決を揶揄するヒット曲なんかも存在して、それで僕らは国際政治に関してなんとなくの知識を得たものです。

ただ、僕らの立場って、どうしてもアメリカ側になってたんですよね。そりゃ、そうですよね。このときの東欧の国って、独裁政治で、民衆の自由が奪われていた頃ですから。

そうしたこともあって

ロックが「西側社会の自由の象徴」であり、それが海賊放送や闇市でレコードを買って聞いていた東欧の若者達にとってのヒーローになっていたんですね。

こういう社会ムーヴメントも手伝う形で、1989年のベルリンの壁崩壊を皮切りに1991年夏のソビエトの崩壊まで、東欧社会主義が崩れていくことになります。

この時点から意識が変わっていないと、「左翼=独裁主義的な悪いやつら」という考え方になっていたとしてもおかしくないです。「自由のある資本主義がいいに決まってる」とかって感じでね。たしかに、ソビエトの崩壊までは、東欧社会主義というのがひとつの仮想敵でしたから、西側の資本主義国内の右派も左派もその点ではまとまっていたんです。だから、それまでの西側の世界においては、左翼・右翼の対立でもめることもそんなには目立ってなかったんですよね。

が!

その、東西冷戦終結後に、アメリカの社会認識が文化的にがらりと変わることになってしまった!


この点を見落としてしまうと、今につながる社会認識が根本的にずれてしまうことにつながります。

まず、ひとつ覚えておかないといけないのは、東西冷戦を80年代に仕切っていたアメリカの政府が超保守だったことです。これ、さらにいうとアメリカだけじゃありません。イギリスも日本もそうです。この当時のこういう国の国家元首って、新自由主義経済というものを強行して、国内の貧富の差をすごく作ってるんですよね。それをエイティーズという時代は華やかなパーティ的雰囲気やけばけばしいファッションで繕っていた時代なんですけど、そういうのが90sになってメッキがはげてくるんですね。

東西冷戦に勝ってウハウハの共和党政権のアメリカは「強いアメリカの正義」を見せつけるべく、イラクに戦争をしかけます。これも1991年のことです。まあ、あの当時はフセインの独裁政権の時代なので、必ずしも悪いことだとも思わなくはあるんですけど、そういうことをアメリカが「外」でやる中

92年には、黒人の置かれた状況に耐えかねた黒人たちがLAで暴動を起こし始めます。こういうことって、エイティーズのときには起きなかったことです。70年代の途中からは起こってなかったことです。80年代までに保守的な政権が作りあげてきた国政に対して、虐げられてきた人たちが反旗をひるがえしはじめた。東西冷戦という「外」の問題が終わって、今度はアメリの「中」の問題が取り沙汰されることになったんですね。

まさに、そんなタイミングでの

アメリカの地方都市の、普段着のパンク青年のニルヴァーナが、もう意味がなくなりつつあった、取り繕った華やかさに溢れたアメリカの音楽界、ロック界に反旗を翻したわけなんですね。

僕、この当時、ここまでうまく今みたいに人に説明できたかどうかはわからないんですけど、なんとなくこのニュアンスは伝わってですね。そこで共感を覚え始めるんですよね。

僕、この当時はビルボードのチャート少年で、ロックをメインに聞いてはいたんですけど、そこまでインディは追ってなかった。あと、日本のバブルの人たちの考え方とかファッションとか、お坊ちゃん大学在学中に本当にいやだった。だからこそ、なんか、この社会の雰囲気ごと変えた新しい流れを新鮮に感じることができ、フィットできたと思うんですよね。

そういうわけで、僕はグランジとかヒップホップにこの頃、すごくはまりはじめて、それは1993年にNHK入ってまじめな音楽番組作ろうとしたときに加速しはじめたわけなんですけど

悲しいかな、日本ではこのリアリティが本当に伝わらなかった!


まあ、まさに日本はこういう時代でしたからね。「バブルは1991年にはじけた」とかいいますけど、人々の気分は1993年まで完全に浮かれ状態でした。ちょうどニルヴァーナとかパール・ジャム、ドクター・ドレーやアイス・キューブがアメリカのカルチャー変えてた真っ最中です。

このとき、日本のヒップな人たちも関心がUKロックで、そこ経由で渋谷系に結びついてましたからね。アメリカの新しいながれも東海岸のインディで追おうとしてて。これはこれで好きなカルチャーではあるんですけど、残念ながら社会性と政治性に関してはこっちは弱いムーヴメントで。

で、このときはメタルが、それこそさっきもいったように、「西側諸国の自由の象徴」になるくらいでかい存在でしたから、それにたてつく要素のあるグランジがおもしろくないわけですよ。アメリカでは、生活感に根ざした共感も得るわけですけど、日本みたいに社会の連動がない場合は激しく煙たがられもしましたね。

こういう、諸々のスイッチの掛け違いがあり、1991年の東西冷戦終結のアメリカ社会の社会、ロック、政治の激変は日本にはうまく伝わっていないのです。

意識が変わっていないんだから、古い考えのままでもおかしくはないです。だから僕はこれを「年取って感覚が保守化した」だけだとは正直思えないんですよね。

あと、僕自身がカートから受けた影響ってそれだけでなくて。それは。

生粋のフェミニストで、ガールズ・インディ・バンドの熱心な推奨者だったことですね。

それに加えて

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1993年には、こうやってLGBT系の雑誌の表紙でインタビューしたりもしてね。

こういう言動を裏付ける文章を僕はこの当時見つけていて、うろおぼえしてたんですけど、長いこと忘れていました。それを、なんと今日、それが見つかったんですよね。

まさに、この言葉です。これ、何の言葉かと思っていたら

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この「Incesticide」という、アルバム未収録曲集のセルフ・ライナーでカートが書いた言葉でした。もう、これ、思い出したからには永久保存ですね。

僕の場合、母子家庭で、年の離れた姉が名門女子大に行って、さらに実家ピアノの先生とかだったんで、すごく共感できたというか。「ああ、僕みたいな感性でロック聞いていいんだ」と思ったの、カートが最初なんです。そういうところが、やっぱ今に影響与えてますよね。

だからなんですよね。ウッドストック99で女性出演者に「脱げコール」やったみたいなミソジニー的なニュー・メタルの奴が「ニルヴァーナ好き」とかっていうと烈火のごとく怒ってた理由って。それで昔、よくそのテの人たちと対立もしてましたけどね。まあ、今でこそ、そんなにもうわだかまりもないし、ニュー・メタルの人で極右系のニュースに載る人たちも結構少なくないので、前より僕の主張、わかられやすくなってる気もするんですけどね。

でも、カートの主張って、まんま今のZ世代に通用するでしょ?1992年くらいに行った発言が2021年の今にしっかり通用してしまう。ということはもう、現在につながるカルチャーの流れのはじまり、やっぱり少なくともあのときのカートからできてたものなんだと今にして思いますけどね。









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