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今日でブラジルに移住して10周年

どうも。

今日は僕にとって、、記念すべき日です。

今日、4月21日をもって僕は

ブラジルに移住して、ちょうど10年になります!

つい、こないだのような気もするので早いですけどね。ちょうど、この日がブラジルで祭日なので、「この日に着くように引っ越そう」とワイフと一緒に決めたものでした。

思い出しても、あのフライトは長かった。4月20日に成田を発って、24時間乗りっぱなしでしたからね。サンパウロについたのは21日の現地の朝方。その当時の新居に直接行って、ワイフの両親にもてなしてもらって、その日は昼過ぎから翌日の朝まで寝続けたことを覚えてますね。

感慨は・・・やっぱりありますよ。いろいろとあった、不思議な10年でしたからね。

僕としては、自分の丸々40台を過ごすことになった、この2010年代のブラジルの10年というのは、特に何も決めずに、「なるようになれ」の感じで行ったんですよね。別にブラジルという国に対して、「パラダイス」をそこに見て行ったとか、そういうのでも別になかったし。実際、国に関して、そこまで構えて勉強もして行ってないですからね。ただ、「ワイフの生まれ故郷」と言うだけの話で。

ただ、あの2010年当時の僕は、とにかく精神的に疲れてましたね。一番の理由は。Hard To Explainというメディアの運営でのプレッシャーで疲弊していたというのがあるんですけど、その当時の日本の世の中が内向きに閉じる方閉じる方に進んでいた最中で、僕が逆に国際結婚して意識がどんどん外に向かって行っていたものだから、なんか傷ついてましてね。あの当時の方が批判されたんですよね。「日本は日本、よそはよそ」みたいな感じでね。今、あまりその類の批判、受けなくなったのって、そういう人たちは多分ネトウトになって、海外カルチャー語る世界からあんまりいなくなったからじゃないのかなあ・・・などと最近、テキトーなことも考えていたりもするんですけどね。

あの当時の方が、僕の言いたいことが理解されてないもどかしさがありましたよ。「世界のフェスのヘッドライナーはこういう人なのに、なんで日本はそれができないんだ」とか「日本のロックのアレンジは最近の世界の流行りとか耳にしてるの?」とか「この映画は、このアメドラは日本ではいつになったら始まるの?」とか、その程度のことでしたけどね。逆に最近はそういうことを僕が言わないでも誰かが代わりに言ってくれるし、それに対して誰かが食ってかかるように文句を言うとか、そういうのないですからね。

 で、なんでブラジルに住むことを選んだのかというと、まあ、ワイフがそれを望んだのが大きかったですね。で、僕の方も、「生まれた国に一生住まなきゃいけないってルールがあるわけじゃないしな」と思ったし、40歳まで日本でやってきたことにそれなりに満足感があってやり残すことなくなってたんで行くことにしたんですよね。

ただ、僕なりに移住でつけた条件として

・行った先にフェスとCD買うところがある

・毎日ブログを書くのを認めさせる

これが条件でした。これさえできれば、日本で続けていた習慣を途切れさせることなく継続させることができるし、日本の人たちに対しても、僕の行方がずっとわかるようにできるので。

で、フタを開けてみたら、ライブの方は、ライブハウスで細々行われるものに関しては日本の方が圧倒的にあるし、CD屋も日本の方が比較にならないくらい充実してはいるんですが、その代わり、見れないものをたくさん見れました。

僕がブラジルに来てこの10年で見れて得したのは

・キングス・オブ・レオン4回
・パールジャム3回
・ラナ・デル・レイ2回
・ラッシュ
・エイミー・ワインハウス
・キラーズのヘッドライナー2回
・フローレンス&ザ・マシーンのヘッドライナー
・ブラック・キーズのヘッドライナー
・デヴィッド・ギルモア
・ニック・ケイヴ&ザ・バッドシーズ
・デペッシュ・モード

これらに関しては、日本にい続けていたら見れなかったのでよかったと思ってます。その中の幾つかは宝ですね。

CDに関しては、僕はipodというものがなんか慣れなかったのと、あの当時のインディ・ロックのシーンが僕の好みではなくなっていたのでちょっと音楽への興味が冷めていたところがあったんですけど、サンパウロのロック系ラジオ局と2012年から始まったロラパルーザがそれを埋め合わせていました。で、2016年からiフォン・ユーザーになったので、そこからサブスクですよ・あれによって世界中の音楽を瞬時に聞けるようになったので、もうCD屋の層の薄さや不充実を気にせずに生きていけるようになりましたね。

ただ、2010sの個人的な音楽不調時は、その代わりに映画とドラマに凝りましたね。こっちは日本に比べて断然アメリカ映画の公開が早いし、ドラマにしてもアメリカのメジャー局の物は、始まって半年以内には見れる環境だったので。だからブログでは、そういう環境を生かして、音楽だけじゃない、総合海外エンタメ・サイトを目指した、というわけです。

これがnoteに移行する前のブログですけどね。ここから今日まで、1日も休むことなくブログを書き続けていました。去年の年末くらいにまとめておけばよかったな、とは思うんですけど、2010sのいろんな場面を感じることができると思うので、興味のある方は、このリンクたどって過去記事もぜひ読んであげてください。

ただ、この10年で、僕にとってこうした「エンタメ生活での変化」に加えて大きかったのは以下の三つです。

・「第三の目」を持つことができた

・社会的な視点を持つことができた

・家庭を持った

やっぱ、ここが大きかったですね。こういう側面に関しては、30代までならなかった要素なので。

まず、「第三の目」というのは、それまでの僕の基準って、「日本とアメリカ」の双方向のものだけだったんですよ。ところが、「ブラジルに住む」ということで、さらに別の視点を持つことができた。それは、もちろん「南米なりの視点」であり、同時に、やはりこの国はヨーロッパ移民も多いので、欧州的な視点も自然と持てるんですよ。そういうこともあり、地球がよりグローバルに見れるようになった。そこでウィキペディアが発展もしたので、得たい情報がより詳しく得られることもできるようになって、そこもすごく勉強になった。今はyoutubeやサブスクの発展で、それがエンタメのことであれ、文化的、歴史的なことであれ、広い視野を持って分析することが可能になったですよね。この体験はやっぱり非常にデカかったですね。

あと、「社会的な視点」というのは、僕がポルトガル語翻訳の仕事もし始めてできるようになったことですね。その仕事は2011年から始めてるんですけど、ブラジル社会がどういう歴史を経て、今に至ったか。この国にとっては60年代に反共のための軍事独裁政権ができて、それが80s半ばまで続いたトラウマが非常に重要な文化的ファクターでもあるんですけど

この2つの記事で書いたことをリアルタイムで記事に書き続けていたことは、自分の社会的、かつ政治的視点を育むのにかなり役に立ちましたね。昨日もいみじくも書いた、クソ大統領ボウソナロの台頭で、僕も「政治に無関心なんていられない」と思うようになりましたからね。ここに関しては曖昧にしないで、かなりはっきり主張するようにもなりました。ここも2000sまでとの大きな違いかな。

それから、やはり

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今日、顔出しさせますけど、二人の子供、トムとリーナが生まれたことも、もちろん大きなことです。2000sに日本に住んでいる頃までは「子供は持ちたいけど、夢のまた夢」だと思っていたところが、サンパウロで2人も子供を持つことができて。しかも21日はトムの8回目、20日はリーナの4回目の誕生日。夫婦の考えで、計画的にこの移住記念日のタイミングで1日違いで帝王切開でこの誕生日にしていたりしてます。

この10年は、このブログでも。やはり教育の一番大事な時期ですから、彼らの話は増えるでしょうね。エンタメ関係で言っても、彼らが思い入れを持って語るであろう、影響元になりうる時代ですしね。あと、彼らの人生にいい指針を与えるべく、手助けをしないといけませんから、責任も重大です。

これからこのブログですが

変わらず毎日、やっていきますよ!

やはり、「やめる理由がない」のと、こんなコロナのご時世ですから、「やめることがかなりの一大事を意味する」ことになるので「負けたくない」という気持ちもあります。

これからも、僕のフィルターを通してですけど、海外エンタメ、ずっとサンパウロから紹介していくので、よろしくお願いします。あっ、実はこの10年、日本に帰省できてないので、この10年のうちには実現させます!
































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