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「洋楽派VS邦楽派」の対立はなぜ起こってしまうのか

どうも。

ここ数日、「音楽ファン」について考えさせられる、というか、僕のSNSでの周囲でそのことを議論したり持論を語っていたりしていた人が多かったので、僕もちょっとそれについて書こうと思います。

先日、ネット上で

邦楽派対洋楽派で口論があった

という話を聞きました。

ことの発端は、サマーソニックの東京2日目のチケットが予想以上の速さで早々に売り切れてしまった、ということです。これをめぐって洋楽派が「普段はサマソニなんて行きやしない邦楽ファンが買い占めた」と責めたのが原因、というふうに少なくとも僕は聞いています。

まあ、これは話のイントロ程度の話で、僕はそれほど大きなことだとは思っていません。なぜなら「本当にそれが理由で売り切れたのかどうか判断できない」から。だって売り切れたの、B'Zの日じゃなくてレッチリの日なんでしょ?B'Zのファンが彼らだけを目当てに何万枚もチケット買った、とかなら苦情はわかりますけど、そうじゃないわけですよね?そうじゃなくても、邦楽の人気アーティストが出るなら、洋楽ファンの人たちは「早めにチケット押さえておこう」となっておかなきゃいけないわけで。なので、この件で洋楽ファンの肩を持つようなことは僕はしません。

ただ

「洋楽派」と「邦楽派」の対立、年々、日本で酷くなってる感じは以前からしてる

これは事実だと思います。

では、なぜ、そういうことが起こってしまうのか。

双方のファン同士での相互理解と尊重が足りないからです

では、どう理解していったらいいのか、それについて語ろうと思います。

まず、邦楽派の人にわかってほしい、洋楽派の性質について書くことにしましょう。

①洋楽を聴く場所が一般的に限られすぎている

これは今に限らず、僕の子供の時からずっとそうです。ケーブルない時代からテレビで洋楽なんていったら深夜枠しかなかったし、ラジオでも80sはFMでどこでもかかったけど、バブルの時代にJーPOP系のパーソナリティ番組が増えて以降に急激に減った。放送におけるバイアスってあまりにも不公正なんです。正直な話、あそこまで露骨にアンバランスな放送内容でよく洋楽ファン、日本で絶滅しなかったな、とさえ思います。

その分、洋楽ファンというのは、一般に目に、耳にされないところから、かなりの自発性、能動性を使って情報摂取します。それは専門誌だとかネットとかCD店とか。自分で動かないと誰も教えてくれないところをあえて選んで聴いているわけです。そういう行動していたら、音楽ファンとしてのこだわりが勢い強くなってしまうのは、これ、しょうがないところです。

②洋楽を聴き始める年齢が、「自我の目覚め」の頃に当たる

あと、日本人が洋楽を聴き始める年齢というのが「生意気盛り」の頃に当たるのも影響してるでしょう。

だいたい、僕の時代から、洋楽を聴き始める平均的な年齢って中学2年でしたからね。しょうがないところがあります。それは「学校で英語を習い始めて少し経つくらいでそれが起こりがちだから」。「英語を学ぶ以前からの洋楽ファン」というのは僕の時代でさえかなり少なかったものです。

でも、「洋楽の聴き始めがもう少し早い時期に起こればだいぶ違うのに」と思うことはありますね。中2とか、高校生とかって言ったら生意気の盛りじゃないですか。自我の芽生えが強い時期だから、「自分は他の人が聞いていないものをあえて選んで聴いているんだ」というふうになりがちじゃないですか。邦楽派を感情的に責める人は、この気分が抜けてない人だと思います。

うちの子供を例にとると、長男は7歳ですが、もう英語の曲、聴いてます。でも、それに気負うことは別にないです。なぜなら、彼の周りでも聴いてる人が多いから。カミラ・カベロの「ハヴァナ」は彼の年代ですごく流行ってましたから。あと、映画でかかる曲で、クイーンとかKISSとかアース・ウィンド&ファイアの曲とかを一人でに覚えてますからね。こう言うシチュエーションが日本でできればだいぶ違うのに、妙な特権意識、差別意識を持たずにいいのにな、とは思います。

③洋楽ビジネスが邦楽ビジネスに乗っ取られる苦渋を何度も舐めている

あと、「そもそも洋楽だったものが邦楽に乗っ取られる」。洋楽ファンは長いこと、この辛い目に遭っています。

それは先に触れたラジオのことでもそうですし、雑誌だって、もともと洋楽のものだったものが邦楽比重が増えて、ついには邦楽専門誌になってしまった例だって僕は知っています。あと、ライターさんでも、昔は洋楽の人だったのに、いつの間にか邦楽に転向していた、なんて話もありますからね。

僕自身もそういうのは嫌で悲しいと思ったから、「洋楽の味方をしたい」とばかりに、儲からないのに邦楽の仕事やめて、Hard To Explainやってた頃も、「邦楽に広げるよりも、こういうのの方が今は効果あるはず」と洋画やアメドラに手を広げてみたりと、策を講じてましたからね。

今回のサマソニの場合も、「僕らの縄張り」だと思っていた洋楽ファンが、「もう、そういう場所ではなくなるんじゃないか」と恐れた結果、起こったことなんじゃないかと思います。このあたりの焦燥感に関しては、僕も理解してあげてほしいところはありますね。

④「世界は広い」ことを知っていて、比較ができる

ただ、日本の洋楽ファンのいいところは、日本以外の音楽も聴くということで、音楽を通して「世界に存在するのは日本だけじゃない」ということをよく知っていることです。だから、邦楽と洋楽を比較することもできるし、知っている。その観点で「日本ってまだまだ狭いな」と感じることもできるわけです。

よく、邦楽派の人が「洋楽と邦楽を比較するなんておかしい」なんて反論することがありますが、そうはいきません。だって、言葉が違うだけで、それはロックだったり、ヒップホップだったり、ダンス・ミュージックだったり、ルーツとしている音楽部分では大して変わらないわけでしょ?「比較するな」なんて言う方がおかしいですよ。そうなった場合に、「邦楽の方が洋楽より劣って聞こえる」というのは、ごめんなさい、それはどうしてもあります。

なぜか。それは洋楽の方が、全世界何千万、何億の人を相手にしている音楽であり、その時点で一国しか相手にしない音楽とはどうしても差が出てしまうから。そうなると、やっぱり世界に発信する先進のサウンドだってここから生まれるし、歌唱力とか演奏力だってより厳しい目にさらされる。あと、ロックにせよ、ヒップホップにせよ、エレクトロにせよ、これらの音楽の発祥の地でもあるわけでしょ?やっぱり、スポーツとかでもそうですけど、それを生んだ国、古くから盛んな地域ってどうしても強いじゃないですか。

うちの子供に話を戻すと、7歳でも、車のラジオで曲がかかると「ポルトガル語の曲、嫌いだから英語のに変えて」っていうんですね。彼の中で理論的な意識があるわけじゃないと思うんですけど、なんとなく、同じようなフォーマットのポップ・ソングでも差があることはわかるんでしょうね。

なので、「世界相手」と「日本だけ相手」というところで、その「抱えているものの立場の違い」というものは少なくとも僕は尊重されるべきだと思っています。それによる「平均的なクオリティのレベルの違い」というものは、どうしても生まれてしまうものです。

ただなあ。これがなかなか通用しないのが日本なんですよねえ。

今度は、洋楽ファンの、邦楽ファンへの理解の必要なポイントを書こうかと思います。

①インフラのせいで「日本の文化は、日本のものだけで成立する」と信じている人が多い

「単純にその世界を知らないから邦楽を聞いていないだけ」という人は世の中には多いし、そういう人は人口の半分以上はいます。でも、それは彼らのせいではありません。そういう風に信じ込ませる社会のせいです。なので、それを邦楽ファンに八つ当たりしても意味がありません

だいたい、どこの国でもないですよ。ヒット・チャートがその国の言葉のものだけで独占されていて、テレビ番組が自国制作のものだけで成立している国なんて。アジア圏のチェックが弱いので、そういう国だと日本型なのかもしれませんけど、欧米圏では少なくともないですね。

ブラジルでの考え方だと、「そんなに文化的に強い国でもないから、外国のものと放送の文化分け合うのは当たり前」だし、だから自然と洋楽とか洋画とかアメドラとかが入りやすいし、受け入れる敷居も低いんです。ところが日本だと、ややもすると全てを日本のみのコンテンツで埋めようとするでしょ?だから、「日本人なんだから、日本の文化で当たり前」という感覚を、他の国よりどうしても強く持ってしまいがちなんです。でも、それは社会構造の問題であって、受容する側の問題では本来ありません。

②「言葉が違うから、人種が違うから聞きたくない人」は世界中にいる

それから、言葉、もしくは人種が違うから、そういう音楽は聞きたくない。そういう人は何も日本人だけではありません。世界のどこにでもいます。

ブラジルにだって、「ポルトガル語じゃないと聞きたくない」という人はいるし、「ポルトガル語じゃないと映画見たくない」人もいます。ヨーロッパだと、各国の言語による吹き替え需要って、日本とか南米よりもむしろ強いなんて話も聞きますからね。なので、「言葉が障壁になって文化を受容したくない」という人は全世界に一定数いるし、それはある程度は尊重しないといけないとは思います。

あと、日本人だと人種の問題もあるような気がします。黒人だって、R&Bとヒップホップ以外に頑なに聞こうとしない人が多いように、日本人にも日本のものじゃないとどうしてもいや、と生理感覚で思う人もいるはずなんです。

そのことは僕がNHKでライブビートって番組やってる時に思いましたね。90sの末に、それこそナンバーガールとかミッシェル・ガン・エレファントとか、ゆらゆら帝国とかライブで紹介してた番組ですけど、その頃は、「レベルの高い邦楽聴けるような人なら洋楽聴けるようになるはず」と思ってたんですけど、リスナーの実態を直接知ったら、全然そんなことはなかったです。逆に「その前はX JAPANとかB'Z聞いてました」みたいな人が、むしろ何の抵抗もなく洋楽聴けるようになっていたとかね。こう言う体験からも、「ああ、洋楽聴くか否かはサウンドのクオリティとか全く関係ないんだな」と信じるようになった次第ですね。

③日本のポップ・ミュージックのレベルは世界的に悪くない

あと、最後に強調しておきたいのは、日本のポップ・ミュージックって、世界的に見てレベル低くない、ということです。

これは歴史ひもといてみてもわかるし、国内音楽シーンの充実度から見ても、こんなに長い歴史を持ち、シーンのジャンルの層が厚い国、珍しいんです。だいたい、世界でも数少ない、50sのロカビリーの時代からロックのシーンがあった国だし、ビートルズが生涯にライブやった、10あるかないかの国の一つです。それだけですでに他の国よりはかなりポップ・ミュージックへの意識が強い国だし、さらにロックにも、ヒップホップにも、エレクトロにも、アイドルにも、その他のマニアックなジャンルでも、一定の数のアーティストが国内にシーン築けている国なんてものもなかなかないです。

最近でも、そうじゃないですか。youtubeで細野晴臣とかシティ・ポップが国際的に再発見されたり、最近のアーティストでもジャンル問わず国際的に評価されている人も結構いる。そりゃ、英米豪に比べたら少ないかもしれないけど、その他の国と比べたら余裕で圧倒的に多いですよ。なので、なまじ、バカにできるものでもありません。

もちろん、「建設的な批判」はいいと思うんですよ。「こうすればもっとシーンのレベル上がるのにな」とか。でも、「聴きもしないのに、偏見で頭ごなしに否定」というのは良くないと思います。

・・といったところでしょうかね。








































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