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ドキュメンタリー&ライブ盤「Homecoming」感想 エンタメ史、文化史の歴史的瞬間でさえある、ビヨンセの輝かしい到達点!! でもね・・

どうも。

「見れるかな」と思って、自分でもちょっと心配だった、コレ、無事に見れました。これです!

”ビーチェラ(Beychela)”の愛称でも知られる、昨年のコーチェラ・フェスティバルの歴史的なライブの模様を収めたネットフリックスのドキュメンタリーで、TIDAL配信でライブ盤も発表された「Homecoming」。今回はこれについて語りましょう。

去年の、その「ビーチェラ」というのは、もう、行われたその日から「伝説」として世界中の音楽ファンの語り草になっていたから、今回、こういう形で現れたのも、やっぱり気にならないわけがないし、早くやりたい気持ちでいました。ただ、フォンテーンズのこないだの原稿と、ビリー・アイリッシュの原稿が重なってた時期なので、「ずいぶん矢継ぎ早に来るじゃないか」と思ってしんどかったんですけどね(笑)。

この「ビーチェラ」ですが、ビヨンセのキャリアの中で、もう、誰もが「絶頂」と思うタイミングでやった、プロファイルの総決算ともいえるものですね。そりゃ、そうでしょう。2016年の「レモネード」で、多様性と先進性で「過去最高」を記録し、その余韻のある中での、ライブの最大のハイライトなわけですからね。いわばマイケル・ジャクソンでいうところの「スリラー」に相当するアルバムの後に、キャリアを総決算するライブをやる、みたいな立場の位置付けですね。

僕にとっても、彼女がそういう晴れ舞台を迎えるというのは感慨深いものがありましたよ。僕もなんだかんだ言って、彼女を好きになって20年くらい経ちますからね。キッカケは1999年、彼女がスターダムに上り詰めるキッカケを作った、デスティニーズ・チャイルドの2ndアルバムからのシングル「Bills Bills Bills」の時からですからね。あの時、ラップに呼応させた細かく長い譜割を、力強さを損なわせることなく歌いきって、さらにセクシーさと強さまでピールする。「うわあ、すごい!誰、彼女?」ってなりましたからね。ちょうどその頃は、オルタナもブリットポップも終わって、先進的なインディ・カルチャーとしてのインディ・ロックシーンが急に終わって、心にショックの穴がポカリと空いていた時期だったんですけど、「気がついたら、次の世代からこんなにすごい女の子が出てきているんだなあ」と感心し、すぐに夢中になったのをい昨日のことのように覚えています。何を隠そう、このブログの元となった、僕が2001年5月に始めた洋楽メルマガ「The Mainstream」の第1号の特集アーティスト、デスチャでしたからね!それくらい、思い入れはあったんです。

ということもあり、今週、ラッキーにもTIDAL会員なのでライヴ盤、そして先ほど、ネットフリックスのドキュメンタリーでビーチェラを見たわけですけど

これ、映像で合わせてみないと意味ないです!

だって、やっぱり

おびただしい数のマーチング・バンドによる重厚なパフォーマンスに

「一体、何人雇ったんだよ?」と思えるほどの数を抱えたダンサーたちの、全く一糸乱れることのない、完璧なコアグラフ。そこに

ビヨンセ本人が「アフリカの女王」みたいな出で立ちで入ってくるわけです。去年の4月ですから、思いっきり「ブラックパンサー」の世界的大ヒットの余韻を受けた演出なわけですけど、

こんなの、「フェスのライブ」でいきなり見せつけられたら、そりゃ誰だってビビリますよ!

少なくとも僕自身も、長年、色んなフェス見てますけど、こんな規模のものは見た覚えがないし、アリーナ・ショウのコンサートでも、ここまでのものは見た記憶がないです。

そして、これ、見せ方が「ビヨンセの総決算」を通り越して「黒人、女性のエンターテイメントの総決算」としてのエモーショナルな見せ方も徹底してるんですよね。さっきも言った「ブラックパンサー」的な演出がまさにそうだし、「この世の中で最も過小評価されているのは黒人女性」という煽りがあったり、ダンサーの踊りの中にも「女性上位」を思わせるものがあったりね。こう言う「エンパワメント(意識を高揚させる)としてのエンターテイメント」を女性で確立した人って間違いなくマドンナだと思っているんですが、おそらく、その最大の後継者にして、それをも超えてしまった人って、やっぱビヨンセなんじゃないかな。やっぱり、「黒人」という要素が加わることによって、勇気付ける対象の人が増えていくわけですからね。

とりわけ、今のブラック・カルチャーって、トレイヴォン・マーティンくんの白人警察方の殺人事件以降、「黒人が大統領になってでさえも、まだこんなことが続くのが現実だ」という感じで、黒人社会の差別への新たな見直しが起こって以降、かなりナーヴァスにコンシャスになってますからね。そうした流れ以降の一つの文化的頂点でもあると思います。

その意味で考えると、今回みたいな、文化史的な意義付けまできちんと添えてできるライブって、これまでの歴史において他にできる人がいるとしたら、それはやっぱりマイケル・ジャクソン一人だけなんじゃないかな。

さらにそこに加えて

デスチャ・リユニオンはあるは

夫ジェイZは出てくるは

妹ソランジュが、なんとダンサーとして出てくるは、もう「これでもか!」の夢の共演の嵐でもありました。

ドキュメンタリーでは、こうしたライブの名場面の他に、舞台裏での数ヶ月にわたる練習の模様が映されます。とりわけ、双子の赤ちゃん産んで、そんなに日が立たないタイミングだったってのが驚異的です!後、

こういうノーメイク姿も幾度となく晒すんですけど、これがまた美人でね!あのショウ見せて、3児の母で、この美しさとかって言ったら、もう無敵じゃないですか!

あと、ライブ盤は、こっちはドキュメンタリー要素は一部あるものの、こちらは基本的に、ビーチェラのライブそのものをパッケージングした内容になっています。

そこで気がついた点が2つあります。一つは、ビヨンセの声の出し方が良くなったことですね。加齢もあってかビヨンセ、以前ほど高い声は張り上げなくなったんですけど、彼女の場合、地声が低いしゃがれ声なので、歌い方が自然になってよかったんじゃないかと思います。若いとき、不自然に感じてましたからね。同じく不自然に思えていたマライア・キャリーが現在、声が出なくなってることを考えると、この移行は賢明だと思います。

あと、セットリストですね。結構、キャリアのいろんな時期、まんべんないんですよ。僕の場合、ある時期、「曲、面白く無くなってきたな」と思ってですね、「B Day」「Sasha Fierce」「4」の3枚をあまり真面目に聞いてなかったりするんですよね(汗)。なので、その辺りの曲をやられると、多少、「また、ちゃんと聞かないと」と思ってしまいましたね。

あと、「レモネード」より2013年の「Beyonce」の曲の方が多かったのも印象的でしたね。あのアルバムから、「先進的なR&Bを歌うビヨンセ」が次のレモネードに向け出来始めたと思うし、僕もあそこからまた聴き始めたんですけど、本人的にもターニング・ポイントとして大事だと思っているからなのか、5曲も歌われていたのは印象的でしたね。

こんな風にですね

「ビヨンセその人」だけにフォーカスするなら、100点満点でもいい内容だと思います

が!!

その裏で、ツッコミどころも結構あるぞ、これ!!

とも、思っちゃいましたね、これ(笑)。

まず一つはオーディエンスですね。

「ビーチェラって、観客、黒人とゲイの男性しかいないの?」とでも言いたくなる、観客へのカメラの映し方は正直「え??」でした。

これは、ちょっとやりすぎなんじゃないかな。彼女自身の単独ツアーならこれでもいいと思うんですけど、コーチェラなわけでしょ?観客がそんな人達だらけのわけ、ないじゃないですか!同じ日に、ビヨンセのショウ以外にもいろいろあったわけで、もっと多様な人達が来ているはずなんですよ。そういう人たちが、何か意図的にフレーム・アウトしているような気がしましたけどね。

これ、例えばマイケル・ジャクソンが同じようなショウをやったとしたら、観客をそんな風な撮り方には絶対にしなかったでしょう。それこそ彼だと「人類は皆兄弟」的な映し方をしたでしょうからね。ここの感覚に関しては意見が割れるんじゃないかな。あくまで「マイノリティだけ映し出した方がエッジィだ」と思う人もいるかもしれないし。僕個人はそこの点は共感はしませんが。

あと、「その”晴れの舞台”としてコーチェラが選ばれた」こと。これにも、多少、個人的に違和感が全くないか、と言われると嘘になります。

 もしかして人によって「白人が多く集まるロック・フェスの場で、黒人が頂点に立ったんだ!」という印象を持つような人がいたとするならば、それこそ「おい、ちょっと待ってよ!」と言いたいとこですけどね。

 だって、僕みたいなインディ寄りのロック・ファンにしてみればですよ、ロックフェスって、「大手のエージェンシーとメジャー・レコード会社」という巨大な後ろ盾のあるダンス・ポップ系のアーティストや、「低年齢層のキッズ向けのスポーティな体育会系ロック」に対抗した、「アートな気持ちでロックやってます」な人たちが中心となってきた場所で、そういうとこで一つの大きな文化築いてきてたわけでしょ?他のそれらの音楽に比べて商業的に売れてるわけじゃないのに、そういう場所を作ってきていたわけで。僕もアーティストじゃないですけど、メディアで応援することで、いわば「戦って確保してきた場所」だという意識って多少なりともあったんですよね。そこが、ちょっと商業的に元気がなくなってきたからって、これまで別に人種差別的な理由では全くなく上記の理由から受け付けてこなかったセレブなダンス・ポップ系とかを「まあ、音楽的にいいことやってるからいいだろ」みたいになし崩し的に受け入れるようになってきて、これまで「フェスでどういう人たちが主役だったわけ?」というのが崩されてきているのって、「それって、なんか違うだろ?」と違和感持って見てたんですよね。そこに、このビーチェラのトライアンフ(大勝利)感を見せられると、これまでのロック・フェスのイメージってものが、とりわけ若い世代からは完全に誤解されてしまうよな、と。

それが証拠に、案の定、今、コーチェラって、「アリアナに8億ドル、払ったんだって?じゃあ、ビヨンセは?」「ちょっと待て。ウィーケンドは?」って、もう、「音楽的にどうか」ってことよりも、もう、「人気者確保のためのマネーゲームじゃん」ってことにもなりつつあります。こういうのって、「ああ、このフェスは、そこまで売れてるわけじゃないけど、いいインディのアーティスト、いっぱい出てる趣味のいいイベントだね」という感覚って、もう破壊されていくしかなくなるのかな、と言う感じがしますね。僕にしてみれば、「普段、ヒットチャートも、アワードも美味しいとこ、大概持って行ってるのに、フェスまで欲張んのかよ、セレブさんたち!」というイメージですね。

そこのところの、これまで積極的にフェスに行っていたいうなインディ・ロックのファンとかもそうだし、もっと古株のロックファンでもそうですけど、こういう経緯があるからなのか、今回のビーチェラも、全然理解しようとしない人が多いことも、これ現実です。

これ、今日のfacebookのLAタイムスだったかな。記事の一つに「ビーチェラは史上最高のライブ・アルバムか?」というのが流れてきたんですね。そこに書き込まれた答、「10人いたら9人までがノー」だったんですよね。

一番印象に残った意見は「そんなわけないだろ。お前、4歳か?」ってヤツでしたね。あと、「お前、ライブ・アルバムって聞いたことあるか?」というものも。

そういう意見が上がる背景には、もちろん彼らロックファンが、女性アーティストや非白人のポップ系のアーティストの、楽曲制作の仕方の違いを理解しようとも肝要であろうともしていない、というのはあると思います。ただ、彼らの意見にも一理あるんですよね。やっぱり、「歌、歌ってるだけじゃないか」「自分で曲、書かないじゃないか」とか「アルバムにソングライターが20数人もいるなんて、おかしいじゃないか」という意見がどうしても上がってくる。その意見をどこで見たかというと、「レモネード」がアデルの「25」にグラミーで負けた時にアデル擁護派から上がった意見でね。「それでもアデルのあのアルバムって、すげえつまんなかったじゃないか」とは思ってムッとは来たんですけど(笑)、ただ、音楽ファンが「アーティストが本格はか否か?」という判断を行う時に、この見方って根強いし、今後も時代遅れになっていく気もしないんですよね。

その意味で言えば、今回のビーチェラも、そうした「本格派な一面」を見せるライブでは決してなかった。いくら、女性や黒人のカルチャーを背景に背負ったものであったとしても、「音楽を見る価値基準」の違う人には、それが残念ながら通用しない。そこのところはもどかしくて、それを乗り越える人というのは、今後の課題に回されちゃった気も、僕はちょっとしましたね。

ただ、それでも、ビヨンセがビーチェラで成し遂げたことは、極めて意義深いものだと僕は思うんですけどね。








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やった〜
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THE MAINSTREAM(沢田太陽)

音楽ジャーナリスト。90年代にNHK-FMで番組を制作した後、99年よりフリー。2004年にインディ・ロック・マガジン「Hard To Explain」を立ち上げる。2010年よりサンパウロに移住。同年に洋楽・洋画・海外ドラマ専門ブログ「THE MAINSTREAM」をはじめる。
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