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NINにグリーン・デイにレッチリに・・・。ウッドストック94って実は結構、大事

どうも。

今日はこういう話をしましょう。

先週の末に、これが出て、僕の周囲の音楽ファンの間では、これが話題でしたね。

The 1975のニュー・アルバムからの先行シングル「People」なんですけど、僕にとっては、「最高のロックンロール、来たじゃん!」という感じで、そこがニヤリだったわけですが、多くの人が指摘したのは

インダストリアル・ロック

でした。

正直な話、僕はそれはそこまで感じなかったし、90sにアメリカでかなり大きくなったこのジャンルをリアルタイムで聞いてたこともあって、「いや、これよりも、もっと音、ヘヴィで激しかったよ」とか、「どっちかっていうと2000s前半のプライマル・スクリームじゃないの?」とか、そういう方に考えが至りがちで、そう思うと「年取ったな」とかって思うんですけど(苦笑)、ただ、そういう感想が多かったのは事実で、ということは、「インダストリアル・ロックの今日のイメージって、こういう感じなんだな」と思ったことは収穫でもあったかな。

で、それと同時にこれも思い出し、「えっ、あれから25年も経ったの!」とおもってビックリもします。

はい。このウッドストック94でのナイン・インチ・ネールズの伝説のライブですね。

ウッドストック94というのはですね、なんか過小評価されてますね。本家のウッドストック69から25周年を記念したフェスだったんですけど、これ、当時から過小評価だったんですよね。上の世代からは「もう25年も前のフェスを今さら」と、この当時のロックもよく知らなかったくせに言われ(ここ強調しておきます)、リアルタイムのアメリカのオルタナ世代からは「ロラパルーザのおいしいとこどり」と言われてました。ロラ云々はたしかに正しいとは思うんですが、僕自身は「ウッドストックも、ロラパルーザも、時代精神的には似たところあるんだし、ウッドストックの名の下に、今のレベル・ミュージックやるんだったら、それはカッコいいんじゃないの?」と思ってました。

だからですね、この時、NHKで入社2年目で、FMで「ウッドストック94の前煽りをする番組を作ろう」と提案したんですよ。ちょうどBSでウッドストック94を生中継することも決まってたんでね。そうしたらですね、僕の上司2人が、「69年のウッドストックを振り返るだけの番組にしろ」と、企画書にも書いてない内容をゴリ押しして、94年組に関してはほとんど触れられずに終わったんですよね。もう、まちがいなく、あれが僕があの会社にいた時代に作ったワースト番組だったし、あの経験があったからこそ、「上司がどんなヤツでも、絶対に自分の作りたいもの作らないと後悔しか残らない」と思って、そのあと、かなりやりたい放題やった原因にもなったんですけどね(笑)。今、NHK-FMって、「なんとか三昧」とか言って、かなり治外法権的に番組作ってるでしょ。あれは端で見ていてなんか、僕があの会社でやったことを覚えている人がそれを曲解して極端にやってる感じがするんですけどね。

そんな個人的なこともあって、ウッドストック94、思い入れがあるわけですよ。当時、一番旬なフェスってロラパルーザで、「現地まで行ってみたい」なんてアイディア、思いつきもしなかったわけですよ。なにせ、その頃はフジロックもサマーソニックもなかったし、ネットも普及してないでしょ。だから、「海の向こうで起こってる夢みたいな出来事」にしか過ぎなかったわけです。ロラパルーザって言ったって、当時は本当に耳の早い人しか知らなかったし、レディングとかグラストにしたって、やっぱ日本にフェス文化が全くなかったから「自分のこと」のように考えてる人なんてほとんどいませんでしたよ。だから、「ウッドストック94がテレビで生で見れる!」というのは、ものすごく興奮したんです!

しかし、困ったことにその当時、僕はBSに加入してなかったんですね(笑)。「社員なんだし、加入すればいいじゃないか」とは後で思ったんですけど(笑)、とにかくその頃はその選択肢が僕の頭の中にはなく、「いかに外で見るか」ばかりを考えてですね、初日を岡本君という友人の家で、残りを池袋のホテルに、それを見るだけのために2日宿泊しました。

やっぱり、その一つ一つに興奮してですね、「わっ、ロリンズ・バンドだ!」「ブラインド・メロンでてるよ」とか「ああ、こないだ名前聞いたばかりのクランベリーズだよ」とか「サイプレス・ヒルとアレステッド・ディヴェロップメントまでいる!(このヒップホップのロック側のチョイスの限界がこれだと思うと懐かしい)」とか、「プライマスのライブ、日本で見る機会なんてないだろ」とか、一つ一つに興奮しながら見てたんですけど、やっぱり最大の衝撃はこれしかなかったですね。

それはもう、やっぱりNINに尽きるんですよね!

その時はちょうど「Downward Spiral」が出て5ヶ月後だったんですけど、あの当時、最も聞いたアルバムの一つでしたからね。この前の年に、大学の同じサークルにいた友人から教えてもらって教えてもらって「Broken」EPを聞いたときに「これは今、一番最新鋭のロックだな」と思ってビックリしたものの、あの当時の感覚でものすごくハードに聞こえたので慣れるのに時間がかかって、「Downward」のタイミングで飲み込めてハマッたんですけど、ただ、「これをライブでどうやるの?」っていうのが全く想像できなかったんですよ。それがしっかり、電磁加工されたギターが普通のエレキギターよりも何倍も激しく、しかもそれがトレント本人の、何もかも床に叩きつける暴力的なパフォーマンスと、そして豪雨ですよ、豪雨!避けようのない激しい雨でパニックになったオーディエンスからステージに飛んでくるう泥の嵐。そのケイオスも合わさって、「修羅場」とでもいうべき壮絶なライブになったんですよ。その異様な熱狂はテレビ画面からも伝わってきたし、あれが現地にいなかったとはいえ、同じ時間に体験できたことは本当に良かったなと今でも思います。

で、このパフォーマンスが明けた次の日の、現地時間の朝ですね。そのタイミングで見たのがこれですよ。

グリーン・デイ!

まだ、当時、日本盤、出てなかったんじゃないかな。この頃、ちょうど「Dookie」がビルボードのアルバム・チャート上がってて、「Longview」だけは聞いてて知ってて「カッコいいな」と思ってた頃です。メロコア(当時ポップ・パンクという言い方はなかった)だとNOFXが輸入盤店のコーナーで一部知られてたくらいで、浸透は日本でもそうだし、本国でもまだまだだったんですけど、グリーン・デイの登場で変わりましたね。

その彼らの、「アメリカでもこれから知名度が出る頃」のタイミングでやったこのライブも、彼らの名声を上げるのには本当に貢献しましたね。空は晴天になってたんですけど、この前夜の嵐でできた泥が残ってて、オーディエンスはグリーン・デイに容赦なく、泥を投げつけたんですね。これもかなりのケイオスになって。こっちはNINの壮絶さと比べると「ハチャメチャなパーティ」みたいな感じで笑えちゃったんですけど、これはこれですごく好対照なものとして楽しめたし、この当時の僕の彼らに対する期待度は上がりましたね。日本でも、ブームがこの後にやってくるわけです。

それから、その日、もう少し下ると

レッチリですよ。この時、最初、電球の被り物して出てきて笑いを取った後に、これもかなり若さと時の勢いを感じさせるパフォーマンスでしたね。

彼らはこの2年前に「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」が大ヒットしてて、日本でも、アメリカほどじゃないものの、ホールクラスで客埋めてたんですけど、ジョン・フルシアンテがいなくてね。デイヴ・ナヴァロの時代で、その次のアルバムを「まだかなあ」と思って待ってるタイミングでしたね。そのアルバムは、まあ、あんまり良くなかったんですけど(苦笑)、でも、パフォーマンスとしては十分、あの当時、最も旬なアメリカのバンドでしたからね。これもすごく興奮したわけですよ。この頃だと、今、一般に知られているようなメロウな曲もアルバムに数曲しかなくて、曲目のほとんどがスピーディでキレッキレのファンクばっかりでしたからね。去年、ブラジルのロラパルーザに来た時、チラ見しましたけど、う〜ん、この頃を思い出して欲しいですね!

・・と、こんな風な印象でウッドストック94は終わって、池袋のホテルで疑似体験した僕も大満足だったわけです。

「これ、絶対、なんか反応あるはずなんだけどなあ」と思っていたんですけど、そうしたらさっそくありましたね。NHKに出入りしているレコード会社の担当さんが何人か、僕に「いやあ、僕もウッドストック見たんですけど、すごかったなあ」とか「ビックリしましたよ。今の本場のロックって、あんな感じなんですね。社の者もみんな衝撃受けたって話してますよ」と言う感じで話しかけてきたのを覚えてます。実際、そこからですよ。日本でオルタナティヴ・ロックがまともにプッシュされるようになったのは!91年末のニルヴァーナの現象的成功から遅れること約3年で日本の音楽業界が本腰上げるようになった。これは本当に大きかったんです。本場より、むしろ日本で。それもあるんで、前述の、最悪な番組で終わったNHKFMの僕の番組、未だに悔やまれるんですよね。

でも、あれから25年経つって感慨深いんだよなあ。だって、あの当時は、「本家のウッドストック69」から25年というので番組作ったわけですから。そこからさらに25年。僕でさえもあの当時、「25年も前の音楽なんて古いよ」と思っていたものです。それならば、今の若い世代が、この1994年当時の音楽に距離を感じたとしても不思議はないです。ただ、どうでしょうね。あの頃と今では、ロックスターの活動寿命の長さが全く違うし、「古いもの」のイメージも全然違う。だいたい、うちの7歳の息子がクイーンのヒット曲、たくさん鼻歌で歌えるようなご時世ですからね。それを考えると、感覚、だいぶ違ってるのかなとは思うんですけど。

最後にThe 1975.の話に戻りましょう。この当時、さっきも言いましたけど、インダストリアル・ロックって、ものすごく先進的で進んだものに聞こえて「音楽の未来」としてミクスチャー・ロックとともに、とりわけミュージック・マガジンみたいなとこでの評価が高かったんですよ。それが、とりわけインダストリアルですけど、21世紀に突入するや否や、急に誰もやらなくなっちゃってね。あの当時、それはトリップホップとかドラムン・ベースとかにも言えるんですけど、不思議なもので「最新鋭の技術で新しかったもの」がなぜか短命で終わってしまっているんですよね。

だから、もしマティ・ヒーリーが、「あの、発展の途中で終わってしまった音楽、もう一回、蘇生させたら面白いかも」みたいな感覚で今回の曲にトライしたということがもしあったとしたら、かなり面白い着眼点だと思います。そして、そうした発想から、ロックの次のヒントが生まれたりしたら、それはそれでカッコいいなと思うんですけどね。












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