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Joyについて

これまでの人生で「最高のチーム」の原体験が3つあります。

とにかく最高で、お金を払ってでもどっぷり浸かっていたい、出来ることなら過去に戻りたい、「Joy」なチーム。
それらは理想のチームだったし、今も常にそこを目指している。

しかし、現実にはそこに到達せずに、物事を進めていることがほとんどです。
チームはそこにあるし、開発は進む。Joyはついつい二の次になる。

Joyはもう二度と目の前に現れてくれないのだろうか。


コロナ禍もあり、リモートが傾倒した今、オンサイトでの活動と比較すると難しい、はあるのかもしれない。

「だから、これからは出来ない」だと悲しい。

リモートだから難しい、はそんなに無いと感じる。頑張って色々取り組んでいる人たちを知っているし。

✨じゃあオンサイトに回帰すればうまくいくのか?

最近増えてきた副業・業務委託で難しい、もあるかもしれない。
時間とコストを依頼したやって欲しい仕事にあててほしい、他のことには割けない・興味がない、と考えるのはごく自然な気がする。

✨なら、そのコスト払ってもいいよと発注側が思っているなら?

働ける時間やタイミングがバラバラ、というのはあるかもしれない。
しかし、工夫できることももちろんありそう。

✨それもクリアできたとしたら?たまたまみんな木金フルコミットできたとしたら?

いずれにせよ、まずそのJoyなチーム状態を好むかどうかは把握したいところです。
いかに楽しい・お金を払ってでもやりたい、と思えても、これまでのやり方と異なるやり方は少なからず抵抗を生みます。

✨ではメンバーもJoyな環境に変わることにノリノリなら?


「✨」が全て用意されている万全な環境があると仮定すれば、Joyは目の前に転がってくるのでしょうか?
オンサイトで、フルコミット人材がいて、みんなJoyを目指したいと考えていて、そのためのコストも惜しまず用意されるとしたら、うまくいくのだろうか?

Joyって何なんでしょう?


最近ずっと考えていた答えが、「ツーカー」と「希望、そのための自由」でした。

まず、「ツーカー」。

モブプロ、大好きです。これまでの理想のチームでもやっていたし、楽しさの塊でした。

モブプロ、そんなに私は得意じゃないなと最近思っています。
聞き手の理解レベルやスキルを考慮しきれず、わかりよい表現ができなかったり、わちゃわちゃ喋ってしまう。

そんな私でも、これまでの良き原体験の中で楽しく出来ていたのは、周りの人たちが素晴らしかったからでした。

素直に意見も対話・議論できるし、会話の理解レベルも合わせてくれるし、スキルも高かった。
そうすると、自分も素早く会話をしてもさっと通じるし、そのツーカー具合が楽しかったんだと気づきました。

まるで、二人で一人、みんなで一人みたいな。
その快適具合や、ある種のフロー感が心地よかったんだと言語化できました。

そして「希望、そのための自由」。

Joyはプロセスの話だけではありません。
希望が見えていないことには、プロセスがどんなに素晴らしくても、情熱は色褪せてしまう。

また、希望が見えていても、そこに辿り着くための試行錯誤のための自由、手足をもがれていては、地を這うばかりで苦しみが続きます。


「ツーカー」と「希望、そのための自由」。
言語化出来たからなんなんだというと、なんでもないんですが。
すぐに手に入るものではないですし、こうすれば手に入る、というのもまだ分かっていません。

ただ、ずっと追い求めていた理想を少しだけ理解出来たのが嬉しかったので、書き残しました。

以上です。









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