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真実は解らない その2 ; 航海日誌No16

 記; 
航海日誌; 西暦2022年05月15日

多様性とか言う前から、人には、それぞれ色んな考えがあるはずだから、そんな個人が集まり、集団や、国になれば、色んな体制が出来るのは必然だろう。
だが、人命や人道を軽んじる体制だけは否定されるべきであり、ミャンマーや、パレスチナも同じと考える。


日本の難民受け入れが、他の先進国に比べ少ない話題は、以前からある。更に難民では無いが、昨年名古屋入管に収容されたスリランカ女性が死亡した。
遠いウクライナからでも難民を受け入れるのは良い事だと思うが、他が非白人な事は偶然だと思いたい。


ウクライナと、ミャンマーやパレスチナなどの報道割合に差を感じる。
私の気のせいだろうか?国内問題で国際問題でないとの理由だろうか?一国あたりの虐殺された人命の数だろうか?日本経済への影響度合いだろうか?視聴率だろうか?政府寄り?


人命の価値は同じ、人道は守られるべきと思いたい。
ミャンマー、イスラエル、ロシアなど、誰かの欲が国益にすり替えられた結果、人命や人道が軽んじられている状態に見える。


そんな誰かの欲が社益にすり替えられると、観光船会社の事故や、リコール隠し、データ改竄となるのだろう。
銃撃や砲撃は無く、直接は命を狙わないが、タイヤが飛び砲撃と化したり、ブレーキが効かないブービートラップや、轟沈など、結果は同じ落命だ。
会社の場合、直接は命を狙っていないが、欲で目が曇り、他者への結果予測が貧相になるのだろう。


もしも、企業が公器ならば、政府や行政機関は尚更だ。結局、どんな集団の上層部も、主義主張は隠れ蓑て使うだけで、先ずは損得有りきだろうか?主義主張を優先するのは、現実の見えない理想主義だろうか?

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