経験が繋がったとき、自信が芽生える②

こんにちは。Theory two Heartのみこです。

今日も引き続き「学問畑(美術史)にいた私が、どうして心理カウンセラーになったのか?」というテーマについてお話していきたいと思います。

学問時代の、いろんな悩みや葛藤が中心になりますが
悩んできた経験も、それがすべて繋がったとき大きな自信になる、というところまでお伝えしていきます。
(とはいえ今回は、悩み中心ですが笑。同じことでぐるぐるしている人いないかな~!)

歴史ってなんだ?本当に真実がわかるのか?
大学で勉強すれば、答えがわかると思っていた。

これは、とても甘い見通しだったのです…。

結論から先に言えば
学問をやればやるほど、いろいろなことが分からなくなりました。

例えば歴史学では、テーマとする人物の日記や手紙を用いて、その人の真実に迫ろうとします。
けれど、自分に置き換えてみたとき
果たして、日記や手紙に本音を書くでしょうか?

何かちょっと、自分に都合よく書いたりしちゃいませんか?
あるいは、たとえ本音を書いていたとしても
本音をぶちまけたものを、誰かに見られたいと思いますか?
鍵付きツイッターアカウントを、公開できるかって話です\(^o^)/私には無理!

なんだかすごく、その人のプライバシーを侵害している気持ちになっちゃったのですよね…。
もちろん、研究者の皆さんの熱意は本物だし、その人たちの手法をどうこう言うつもりは全くありません。
ただ、私はそれをやりたくないな、って気持ちになったというお話です。

学問が分からなくなっちゃったお話に戻ると
そもそも、人には主観があります。
私には私の主観があります。

私が見ること、感じること、それはすべて「私の認識」というフィルター(=価値観)がかかります。
例えばさっきの「歴史上の人物の手紙や日記を見るのって、プライバシー侵害な気がする…」だって、私の感じ方なだけです。
人によっては全然違う見方や感じ方があります。
どれが正しい、といったものはありません。
みんな正しいし、「正解がない」という点ではみんな間違っているとさえいえるかもしれません。

で。
研究者の私に、私フィルターがあります。
私の参考文献には、参考文献を書いた著者さんフィルターがあります。
そしてダヴィッドさんには、ダヴィッドさんフィルターがあります。

どんだけいっぱいフィルターを通しているんだよ!って話です。
もう、何も見えなくなっているのでは?という感さえあります。

さらに言えば、このフィルター(=価値観)にも2種類あるように思いました。
ひとつは、どこまでも「個人」としてのフィルター。
もうひとつは、時代や社会といった「大きなまとまり」としてのフィルター。
「特殊性」と「一般性」と言い換えてもいいかもしれません。

これも、どこまでが個人で、どこからが一般になるのか?の線引きがずっと分からず、混乱していました。

あまりに個人にフォーカスすると、木を見て森を見ずになるし
一般化をしようとすると、雑になるというか、大切で繊細な部分を乱暴に削ぐことになります。

どの要素をもって、個人の特色といえるのか
どの要素をもって、一般化が可能になるのか
ここは、学問時代に悩み、今もずっと頭にあることです。

この悩みを「悩み続けることに価値がある」と吹っ切れるまでには、本当に時間がかかりました。
それこそ10年近くかかりましたし
今もこれからも、悩んでは吹っ切れて、を繰り返していくのだと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
もうちょっと、私のモゴモゴ悩み時代のお話は続きますが
これだけ悩んでいても、ちゃんと着地点は見つけられるよ!という風に繋がっていきますのでご安心を。

明日も読んでいただけたら、とても嬉しいです(*^^*)

今日の1枚

ダヴィッドさんの自画像です。
逸話からは、純粋で自我がしっかりしていた人柄に思えますが
自画像にも、そういうところが表れているように感じられます。
皆さんはいかがですか?

※画像はWikipediaより引用しています。
⇒引用元はこちら


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