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備忘録

阪神淡路大震災から26年。1995年1月17日。
当時私は小学4年生で、東京ですら遠い遠い場所と感じていたので、西日本はまったく別の世界。
「だいしんさい」という言葉を生まれて初めて聞いたのもこの時です。

朝起きたら、母が「大変なことになっているよ!」と、テレビを見ると分断された道路に、ぎりぎり半分車体が乗っているバスの映像。
そして燃えている町の映像。
「なにこれ戦争の映画?」はだしのゲンの映画で見た風景と重なって聞くと「違うよ今だよ!大っきい地震があったんだって!」
学校に行って朝の会でも先生が多分説明していたと思うけれど、そのときはやっぱり、遠いどこかで起きた出来事のように感じていました。
それまで自分が体験した地震は、たまにぐらぐらと揺れるもの。大きくてもせいぜい震度4ぐらいでしょう。子供なので、地球が時々ぶるぶるしていると思っていました。だから、そもそも地震があんな風に建物が崩れるまで揺れるわけないし、地球が揺れるんだから神戸で揺れて福島で揺れないわけがない?子供の考えです。


その後、学年が進級して5年生になったときの担任の先生が、道徳教育に熱心で「阪神淡路大震災」を経験した子供たちの体験記や絵本などを色々読んで聞かせてくれたり、教室に置いておくからおうちで読んでもいいよと貸してくれたりしました。

子供の声の生々しい言葉で綴られた本を通して大地震を擬似体験しました。
自分と同じ年代の子供たちが亡くなったり、親を亡くしたりという経験している。
色々な本やテレビでの再現VTRを見ることで、“同じ日本”でこんなに大変な「大震災」が起きたということじわじわと実感していったように思います。

何度も、地震が起きて瓦礫の下に閉じ込められる夢も見ました。

小学校でも、神戸の子供達に送るためにみんなで千羽鶴を折ったりしました。

「中通りも大地震くる?」と聞いたことがありました。(※福島県は地震速報やお天気情報などは、浜通り・中通り・会津の3地方の単位で表示されるため、子供の頃自分が住んでいるところは福島県中通り郡山市だと思っていました。)

「福島県は地盤が強いから大きい地震は来ないから大丈夫だよ」親だったか先生だったかは忘れましたが、大人が言うんだから私は安心な場所に住めて良かったと思ったのは今でも覚えています。

みんな福島県に住んだらいいのに。と思っていました。

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