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「髪型」に真剣に向き合おうと思う。

こんにちは。

表題にあるように「髪型」に真剣に向き合おうと思います。

以下が目次になります。

髪を切りました。

単純に見れば髪を切ったことに対する報告です。
一方で、私を知る人たちからすれば「いよいよ切ったか。」になると思う。

というのも、
かれこれこの2年の間に髪の毛を伸ばしてきた。
このnoteアカウントのアイコンにもあるように長髪だった。
それを先ほど切ってきた。

私(男性)のものです。

どうして切ったのか。

もともとヘアドネーションをするために髪の毛を伸ばしていました。

ヘアドネーションをするに至った経緯を詳しく書いた記事がどこかにあるはずなんですが、消しちゃったのかなぁ、。

簡単にかいつまんでいうと・・・

コロナ禍が始まっていく中で、何かできることはないかなと思っていた時。
友人:「髪の毛伸ばそうや。」
私:「やろう。」

もともと長髪をしてみたかったから。とヘアドネーションのすごく興味があったためです。なんだかすごく興味がありました。
なんか長い髪型って人生で一度していたいと思っていましたし、単純にやりたかった。面白そうなんだもん!!!!

ふぅ。

はい。興味があったので伸ばしました。
それでも切った理由は3つ。

①髪の毛の痛みが見えてきた。
②京都の夏。暑い。切ろう!!
③満足に伸ばせた。

と以上の3つです。

京都の夏はめちゃくちゃ暑いです。
湿度高いし、気温も高い。
汗で蒸れるから顔身まとわりつく。毛も絡む。

僕自身にも良くないし、髪の毛にも良くないなぁと思って。
痛めたくもないし、限りなく綺麗な状態でお渡ししたいし。
それに私が満足したので切りました。

担当していただいた理容師さんによると約50cmとのこと。
最低が31cmと考えるとウィッグを作る範囲が他のものよりも20cm長くなったことになります。長い髪型のウィッグを待っている人に届けばいいな。

ヘアドネーションって意味あるの?

さて、私は大満足です。
一方で寄付をされた人はどうなんだろうと思いますよね、。

こちらによると、髪の毛のない人たちは自分達で髪を生やしたい。ヘアドネーションはウィッグをつけなければならないという環境を作り出していると、、。

髪を切り終わった今でもずっしりくる記事です。
すごく主観的に満足感に浸っている私です、、。

何も考えずにやったのか。

この記事を髪を切る前に読んでからというもの、すごくすごく考えました。

寄付を受けるということはその環境にいるということを自覚・自認するということを認めるということになるのではないか。
記事にあったように、髪の毛がなければウィッグをかけるべきだということを強要しているのではないか。

そこからというもの、もう切っちゃおうとも思いました。

それでも、サンクコストなんですかね、。

私が寄付する髪が誰かの選択肢になればいい

ウィッグをつけたくない人はつけないという選択肢があるように、必要な人に届いてほしいと考えるようになりました。

人間全員が髪毛がある必要性はない。
一方で、伸ばしたい人は伸ばせばいいし、要らない人は切ればいい。
ウィッグを着けたい人はつければいいし、自分の髪を伸ばしたいなら伸ばせばいい。

少し乱暴な言いように聞こえてしまうかもですね、。
そう聞こえてしまった場合はすみません。

というのも。
私は男性で、男性=短髪・七三分けが良いと言われ続けてきたからです。
就活とかでは、髪の毛は、、。なんて言葉から進路指導が始まっていくんです。
綺麗に整った就活生になるといった意味ではいいんですよ。それにおんなじスタートラインに立って品評会へ出ていくといった点では、。
それでももう少し自由さがほしい。男性=短髪は流石に古いでしょう?
それこそ選択したい。

こちらの記事で書いたんですが、「個性だね」と言われてきたからです。
うーーーん。個性の一部なのは間違い無いんですよ。。
それでもなんとなく、マイノリティ側に立っているようで違和感が強かった。

髪の毛を切ってしまえば「普通」で「個性もない」と言われているようで、、、

それはそれで、
ヘアドネーションの記事を読んでからは。
個性として無毛があって、有毛があって。
短髪があって、長髪があって。と色々あった方が多様的だよなと思います、、。

それでも、「個性」よりもいい言葉が欲しい!
髪型なんて自由でいいじゃん、!

男性も長髪にしていいと思うよ。

長髪にしていて感じていたのは、面白さよりもめんどくささ。

シャンプーとコンディショナーの時間。
銭湯で髪を括って湯に浸かること。
ドライヤーの時間。暑さ。

挙げ出すとキリがないのでこれくらいにしますが、めちゃくちゃ伸ばすのはめんどくさかった。

伸びていることが実感できたり、髪の毛綺麗だよねとか言われたりするとすごく嬉しさはあって、声をかけてもらえるだけでモチベーションは維持されました。

今日まで伸ばしてきて、男性も長髪にしてみたら?と思います。
多様な社会を作っていくなら伸ばしてみるのもいいですよ。
社会的にも大きな影響を与えられなくても、小さなインパクトをたくさん起こしていきたいですよね。

とか政治的なものを挙げてみましたが、意外とやってみるのが政治に関係なく面白いですよ。

最後に

記事を書いてきていて、「社会的に適したと言われる髪型」への反抗からヘアドネーションを始めた理由の一つかもしれません。
私は男性で、適した髪型が社会のはもう既に存在していて、それは価値観として社会に共有されています。そういった意味では私の髪型は不適切です。それにウィッグを付けるという行為を強要している立場にいると思います。実際に寄付しているためです。

それでも、今日まで髪を伸ばしてきて、寄付して。
髪型なんてその人の内省を変化させるものでもなければ、判断材料にすらならない。社会的に決められているからと諦める、社会に合わせていく必要性は全くなくて、自由でいいだろうと思います。

単純に髪を伸ばしてきて、寄付するという行為を通して一つの概念的な社会問題に触れるとは思っていなければ、社会構造に対する批判なんてものも出てこなかったろうと思います。

何度も言いますが、大きな意味で面白かった。

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