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奥深き瞑想の世界

先日友達から、瞑想についてリアの言葉で聞いてみたいからブログを書いてというリクエストをいただいた(リクエストをもらうって嬉しい♪)


瞑想の専門家ではないし、知識も乏しく、正直よくわからないことだらけだけれど、あくまで私が日々瞑想する中で感じる、個人的な感想を書いてみたいと思う





瞑想ってスピリチュアルの分野でもちょっと特殊な位置付けではないだろうか


修行のイメージが強く、古臭い、時代遅れ、ストイック、そんなイメージもあると思う


特に、ワクワクを大事にする昨今ではなおさらだ

瞑想にワクワクする人って少ないからね(私はするけどw)



逆に、ハマる人は瞑想命!みたいにのめり込んでバランスを欠く人もいる


私の知り合いでも、ストイックにやりすぎて精神が不安定になり、いろいろと大変なことになった人を見てきた



ハマる人はハマり、興味のない人は全く興味がなかったり、苦手な人はどこまでいっても苦手


そんなふうに、瞑想って極端になりがち


断食とかも同じような匂いがする






私自身も、瞑想をストイックにやった時期、それから全くやらなくなった時期があった



私って今でこそこんな感じ(?)だけど、実はめちゃくちゃストイックなタイプの人間だった



子供の頃から、勉強もそうだし、仕事もそうだし、実にいろんなこと

健康管理(食生活や運動等)やら、自己啓発、あれやこれや

いろんなタスクを自分に強いてきた


そしてそこには、霊的、精神的な成長もあった


内観や瞑想もその一つだったからよくわかる







今の私にとって、瞑想はなんだろう



確かに、瞑想は毎日のルーティンの一つではある


けれどタスクではない






歯を磨いたり、お風呂に入るような感じで、単にそれが心地よいからしていて、気がついたらそれが続いていたというだけ


スッキリして気持ちいい

だから毎日自然と座る



そんな感じ



考えてみたら、それはそうだよね



わたしの中心の感覚、

本当のわたしという感覚に立ち戻らせてくれる

だから、心地よくないわけがない


とっ散らかった思考は、私の一部ではあるが、それそのものではない




自分の内側の世界

全てはエネルギーであるという感覚

その鼓動、ダイナミズム

変幻自在で自由そのもの

無限で計り知れない不可思議さ



それをリアルに生々しく感じる








私の場合は、まずは呼吸に意識を向ける


けれど、3分もしないうちに思考にさらわれている


瞑想をしたことがある人なら、誰しも感じたことがあるだろう



それでいいと、私は思う





大空で自然発生する雲のように

生じては、流れ、やがて消えていく


自然のプロセスだ




コントロールすることなく、それに気づき、見つめる


そしてまた、静かに呼吸に意識を戻す


思考が出てくることが悪いというジャッジメント

そうジャッジしてしまった自分を、ダメだとするジャッジメント




瞬間的にジャッジしようとするマインドに気づき、

ただ静かにそれを手放し、ニュートラルに戻る




その繰り返し



そんなことをしているうちに、あっという間に30分ぐらい過ぎていることもよくある

そして、そこから先の感覚・・・

それは、毎回違うし、ぜひ自分で体験して感じてほしい




このプロセスが習慣化されると、

ニュートラルという感覚が定着し、そこに戻る回路が太くなる



そうすると、普段目を開き、何かを考えたり、行動をしながらも、

その状態をキープしたり、ぶれても比較的スムーズにそこに戻ることができるようになる



心身が大きくどよめき、震えが止まらないようなとき、

さあ瞑想しようかとしたところでどれほどの助けになるだろうか

平静になるためにできることがあるとすれば、呼吸を数えることぐらいだ


それでも、ニュートラルが自分のデフォルトになっていれば、遅かれ早かれ、やがてそこに立ち戻っていくことができる




瞑想は無になることと思っている人も多いけれど、

私にとって瞑想は、意識をフルにオンにすることだ


何かを思考したり、目を開けて何かをしている時間の方が、よほど無意識で生きている




けれど、

何かを掴もうとすると、まるで指の間から大事なものがすり抜けていくように

目的や効果効能を期待してやると、ズレていくのが瞑想だ





瞑想による効果や効能は無数にあるけれど、

それはあくまで副産物のようなものであり、

そうなったらいいなーと思いながらも、まあそうならなくてもいいか〜ぐらいに思っておくといいのかもしれない





私は日々、仕事でエネルギーワークをさせていただいているけれど、

やっていることは、瞑想状態になることと全く同じだ


内なる意識に深く深く降りていき、大いなる意識そのものであるという感覚、周波数に合致し、小我をサレンダーする

そうして、起こることを起こるままに、しかと見届ける視点となる



それは、何も瞑想でなくてもいいと思う


ただ、私は、瞑想ほどダイレクトに

自らの意識を使って、根源の意識に直結する他の方法を知らないというだけ


けれど、それを追い求めない、期待しないということも同じくらい大切


瞑想って本当にトリッキー


生きることは瞑想である


この言葉の意味を、私はどれだけ掘り下げることができるだろう



という、いつも通りまとまらない話でした(ごめんなさいね〜w)


RHEA

◎個人セッション・オンラインサロンやっています
https://www.theuniverself.com/


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