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私は踊るダメ人間

最近、(音楽活動だけで食えないのでやっている)職場の同僚と揉めた。

詳しく書くのはけっこう難しいことなので、ある程度濁して書く。ある日、私含め三人しかいない部署の中で、他の二人が二人とも「今週の土曜は孫の運動会に出掛けるから、いつもは昼からの仕事を夕方からにしよう」と言いはじめたことがきっかけだった。

土曜日は仕事量が多い。しかしながら出勤時間を早めれば、けして一人でやれない仕事では無い。だから、私一人で全部やっとくからどうぞ休んでください、と伝えると、好意からか違う意味なのか「あなた一人じゃあムリよ、」という趣旨のことを言われ、否応なしに夕方からの勤務が決まりかけた。が、それとは別の部署での別の業務も掛け持ちしている私には、夕方から仕事を始めては、もしかすると帰りが午後九時を過ぎるやもしれないという状況は、ちょっときつかった。

なので店長に相談すると、私だけ午前中に出てきて、仕事のだいたい半分を終わらせてくれればそれでいい、と言われた。残りは夕方から出てくる二人に任せればいい、と。それで丸く収まるはずだった。

しかし、同僚二人はあくまで私にも「夕方からの勤務」を強いたかったらしい。土曜日までの数日間、ねっとりとしたイヤな雰囲気が仕事中ずっと漂っていた。いつもの愛想の良さは消え、私は明らかに同僚二人の機嫌を損ねたことを悟った。

こういうのを「気のせい、」と出来る人は、きっといじめられたことの無い人だ。たとえば同級生の中で何かが取り決められ、自分がターゲットになってしまった時の、あのしけったネトネトしたイヤな空気を知らない人は、人生において幸せな方向に鈍感だ。


私は「海外ではこうだ」という情報が、けっこう苦手だ。大概その後に続くのが「日本はダメだ」だからだ。

「海外では、家族の用事で仕事を休むことを最優先とし、同僚も快くそれに応じる」的な情報が、ツイッターでタイムリーに流れてきた。

私は、孫の運動会を観に行った同僚二人の都合に合わせてあげられない「ダメな日本人の例」なのだろうかーそう考えてしまって苦しかった。

私は、自分に出来ることをしたつもりだった。一人で全部の仕事をしたってかまわなかった。只、終わるのが午後九時にもなってしまうのはごめんだった。私には私の都合があって、どうしても折れたくない部分が、時間のことだった。私が他にやっている業務のことも勿論だけれど、私の夫は深夜に出て行く仕事内容ゆえ、眠りに就くのも早い。そのことが我が家の時間割に大きく影響していることも、二人の同僚はよく知っていたはずだった。


「娘がね、場所取りはしとくから、お母さんがお弁当作っといてねって言うのよー。」

同僚の一人が、もう一人に向かってそう話し、幸せそうにケラケラ笑う。夜中にくだらない内容のラインを送りあえる、そういう仲の良い母娘だと聞いていた。今度の土曜日が、その娘の娘、つまり孫の小学校最後の運動会なのだという。

申し訳ないけれど、私にはきっと、解らないのだ。

母親の手料理なんてもう十年以上食べていない、母への電話での連絡すら気合を入れないと出来ない(生気を吸い取られるような消耗の仕方をするから)、自分の小学校最後の学芸会には親すら来ていない、仮に子どもが出来たって帰って産む場所も無い、そういう私には所詮、その同僚の気持ちなんか、解りっこないのだ。

そういう私にとって「夫」がいかに優先すべき事項であるかを、きっと同僚たちだって理解できないことだろう。

私に満足な衣食住を与え、精神を安定させ、そうして「家族」になってくれた夫が眠る前、晩酌をしたりくだらないテレビ番組を眺める時間に、一緒にちゃんと家に居たいという願望を、私は持ってはいけなかったのだろうか。


土曜日、私は店長から任された分の仕事をきっちりとこなした。夕方から来る二人がすぐに仕事を始められるよう、次の仕事の準備も完了させた。結局、夕方から来た二人が仕事を終えたのは午後七時過ぎだったらしい。私が先の分を終わらせてなければ、計算上はやっぱり九時近くに帰る羽目になっていたはずだった。

次に会った時も、同僚はジトジトしていた。誰一人として土曜日のことにはいっさい触れず、只、私は自分がいかに嫌われたかを痛感するしか無かった。


結局、店長へ直談判し、私は二人とは別に仕事をすることとなった。同じ業務内容だけれど、時間を分けたのだ。一人で出来る量の仕事を貰った。私は、同僚が来ない時間に出勤し、その仕事を終えてしまうことにした。そういう都合のつく職場で良かったと思う。


今でも覚えている。私は昔から蔑ろにされがちで、友達(だと思っていたコ)に何時間も待たされたりが多かった。「こいつなら言いなりになるだろう、」と思われやすいタイプなのだろう。

だからこそ私は、五分前行動が当たり前に育った。人を待たせるのが嫌いだし、閉店間際のお店に行くことも嫌いだ。メールなんかの返信も、遅れてしまうくらいなら即、返してしまおうと考える。

そんな私はきっと「孫の運動会に行く人のことすら優先できない、冷血な人間」として、同僚二人の間で語り継がれてゆくことだろう。陽射しの強い中、長時間の応援をこなして、こんなに疲れているのに、たった二人きりで夕方から仕事をやらせた、意地の悪い女として。

それでいい。

私は、いつ人身事故で止まるか判らないからと、早めの電車に乗って出掛ける、そういう「日本人」だ。

私にはご飯を作ってくれる母親も居ない。出産時に頼れる母親も居ない。

うちの夫の父は少ない年金生活、母はフルタイムで仕事、夫の姉も雇用側の都合で大変な職場に飛ばされ、義理の家族は皆、自分達のことで精一杯。だから私達もたまに遊びに行く程度で、その時にだけ甘えさせてもらう。甘えさせてもらえるだけ、幸せなのだ。

そういうことも一つの理由で、子どもを産むのは自分たち夫婦じゃあ難しいと判断した。私達は、そういう「日本人」だ。

海外がどうであったって、ここはあくまで日本なのだ。

一人ひとりにいろんな生活がある。恵まれている人、恵まれずに育った人。恵まれすぎて、感覚がおかしくなった人。恵まれなさすぎて、何もかもに絶望した人。うんと恵まれていたのに、何かの歯車が狂って、壊れてしまった人。

総ての人が、すぐ傍に生きている。自分とまったく関連しない人なんて、一人も居ない。隣の家に見たことの無い人がひっそり暮らしていたとて、何も不思議じゃあ無いのだ。


同僚に嫌われてしまったことは悲しかったけれど、私はどうしても、自分の中に在る決まりごとを、崩したくは無かった。

私はかわいい孫の運動会を観に行くおばあちゃんに気遣ってあげられなかった、ダメな人間なのです。


※タイトルは言わずもがな、筋肉少女帯の名曲「踊るダメ人間」へのオマージュです。


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