clu舞コラム #3 個性的なジャグリングスタイルの作り方

ジャグリングスタイルの「独占」
ジャグラーにとって最大の栄誉の一つは、自分自身のジャグリングスタイルが個性的だと見做され、そしてその個性によって道具の操作力や、技の構想力、身体能力等が高いと見做されることだろう。

誰もやっていないことを思いつけばすごいし、それが誰もできないことならもっとすごい。

ジャグリングスタイルの「独占」がジャグラーにとって最大の栄誉だと言える。

独自性=様々な要素の掛け合わせ?
様々な系統や要素を組み合わせることで自分自身の独自性を示すこともできる。clu舞を例にとると、

「クラブジャグリング」 かつ 「ダンス」 

であり、これだけでも競合プレイヤーの少ない個性になりそうだ。
さらに細分化すると

「クラブジャグリング」
(マルチプレックス、スイング、フラリッシュ、マニピュレーションボディスロー、ボディロール、リストトラップ…)

かつ

「ダンス」
(バレエに立脚した現代舞踊)

となる。
自分と同じように要素を掛け合わせているプレイヤーはいないと言ってよく、独占状態を簡単に作れそうだ。

畑を広げると競争相手が増える
しかし、実際にはそうはならない。競合相手は、交差ではなく総和によって生じるからだ。
クラブジャグラーとダンサー全員が競合であり、取り込んでいる要素の数だけ、粒度の高い競争が生じる。これは現実的な集客や、SNS上でのアテンションを考えるとわかりやすいだろう。
ジャグリングの技をTiktokにアップしても、他のジャグラーだけではなく踊っているインフルエンサー以上に注目されないと、「おすすめ」に流れない。

競争に身を置くと他のジャグラーと似てくる
競争は必要なものだとされるが、結局は破壊を招く。マルクスは相手との違いによって争いが起きるとするが、シェイクスピアは相手と似ていることによって競争が起きるとする。少なくともパフォーマンス業界で起こっていることは、シェイクスピアの説により近い。「ロミオとジュリエット」では二つの名家は憎み合っているが似ている。抗争が激しくなるとますます似てくる。

どんなジャグラーも、始めた頃はまず自分自身が自分にとってすごいことができればそれで満足だっただろう。でもコミュニティの中で立場ができるにつれて、あるいはSNSで注目されるにつれて、他のジャグラーを意識し始める。ここで競争心が生じると、良い立場にいる人を過大に評価し、過去の成功をむやみにコピーし始める。

競争は全員が負ける危険な営みかもしれない
競争は、存在しないチャンスをあるかのように見せる。負けるよりは勝ったほうがいいが、競争自体に意味がなければ全員が負ける。
グーグル(検索エンジン)とマイクロソフト(OSとアプリ)は競争の中で互いを模倣する(Windows vs. Chrome OS、Bing vs. Google、IE vs. Chrome、Office vs. Docs、Surface vs. Nexus)うちに強烈な個性を持つアップルに市場の支配力を奪われた。両者とも成功後のアップルより時価総額が高かったのに、支配力を奪われてからは二社あわせてもアップルの時価総額に満たないほど痛手を負った。
そもそも競争は経済成長自体のために推奨されたのではなく、経済のモデル化を簡単にするために推奨された点も注意が必要だ。

個性的なジャグリングスタイルは、競争の中には生じない。過去に大きな評価を勝ち取ったジャグラーの技をどれだけ模倣しても、出口に宝のない競争の中で勝つことができるだけで、唯一無二のジャグラーとして個性を手にできるわけではない。

結論
独占できたり、他のジャグラーに真似してもらえるほど強烈に個性的なジャグリングスタイルは流行っている技のコピー競争の中にはなく、野心的な技の開発や途方もない身体の探求、綿密な長期計画、もしくはそれらにすら抽象化されえないような道を歩むことによって生じるのだ。

clu舞について考察
clu舞の独自性も、上述したようなクラブジャグリングのたくさんの系統の技ができることや、バレエと組み合わせていることによるものではない。
一方で、ジャグリングとバレエのディシプリン両方が功を奏していることも確かだ。「5本クラブをしながら激しく踊る」が上演したければバレエとジャグリングの能力と両方を組み合わせるための練習、そしてその中で面白い動きを選別するリサーチが必要だ。

流行っている技の模倣はジャグラーの集まりで簡単に褒められるのに有効だし、それによってクラブの操作性が増すことだってある。でも、その技が本当に自分のイメージする「面白い/激しい」clu舞の発達に必要なのか、取捨選択する必要がある。

clu舞スタイル自体に対するポジティブなフィードバックも、要素の組み合わせに対するものではなく、「情熱的」「複雑な技をしているはずなのに面白い動きになっている」「Atamiスタイルをやってみたい」「セクシー(?)」等の何かが起こっている感覚について言語化してくれたものだったことを覚えておきたい。

結語 読者に向けて
安直にコピー技を取り込むことなく「面白い/激しい」clu舞の発達に必要な練習をとことん行い、その身体で種出しをして、いい種をリサーチして展開して、いい演技を作って行きますので、見守っていただければと思います。

SNSにアップする動画はその各段階が複雑に入り混じった習作という位置付けです。こちらも何卒何卒。

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