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左翼老人 01 森口 朗 左翼老人 2019 扶桑社新書299

森口 朗 (もりぐち あきら、1960年6月1日-) さんは、大学院修士課程を修了後、東京都庁に入りました。途中10年間ほど都内の公立学校に出向して教育の現場も体験され、2016年に都庁を退職し、教育評論家として、教育改革の言論活動をされています。『いじめの構造』『偏差値は子どもを救う』というような本だけでなく、『日教組』『自治労の正体』のような政治的な本も、執筆されています。

 本書は、左翼志向の高齢者に向けて書かれた本で、こう始まります。
 本書は、一人でも多くの高齢者が「左翼」であることを悔い改め、死にゆく前に祖国日本の発展に貢献していただくために書いた本です。

 さて、左翼、左派、中道、右派、右翼 という言葉がありますが、ここで、森口さんは、左翼と右翼は、現在の政治システムを、破壊し変更しようとするのに対し、左派、右派は、現在の政治システムの中で、改革を求めるので、左翼・右翼と、左派・中道・右翼の間には、大きな断絶があると指摘します。
 私も、その通りだと思います。左翼・右翼は、反対し、破壊することが目的なので、きわめて暴力団的な手法を取ります。破壊が目的で、新しく何かを作り上げることはしません。逆に、物事が解決すると、自分たちの居場所がなくなるので、解決を拒否したり、破壊したりもします。

 約80年前の終戦時に、日本共産党は、革命をめざしました。朝鮮半島からつれてきた共産主義者と、在日朝鮮人を組織して破壊活動を行ったため、日本人の大多数は、共産党と朝鮮人を嫌いになりました。共産党は、選挙で、全議席を失ってしまったことから、路線変更し、直接的な破壊活動は、控えるようになりました。
 60年安保闘争や、70年安保闘争のときに、安保反対と叫んだ若者たちも、革命を目指していました。この若者たちが、いまだに、左翼老人なのです。

 11頁の 左翼小児病と後遺症 から少し、引用します。
 マルクス思想は元来過激な思想ですから、それを信じる人々の行動が先鋭的になりがちです。マルクス思想を基礎にしてソ連という悪夢のような帝国を創り上げたレーニンは、過激な行動をする人やマルクスからさらに思想を先鋭的にする人たちを「左翼小児病」と評しました。現在の老人たちが若かりし頃、日本ではマルクス・レーニン思想が大流行したのですが、レーニンの左翼小児病の警鐘は届かなかったのか、多くの人がこの病も併発していました。そして、数十年経った今でも、若かりし頃の症状が出てしまうのです。
 左翼小児病は、大学に進学して学生運動をしていた人たちだけがかかった訳ではありません。学校教育やオールドメディアの宣伝(プロパガンダ)を通じて、あの時代を生きた大多数の人が感染していた病といっても過言ではないのです。そして、この左翼小児病の後遺症から私たち日本人、とりわけ老人たちはいまだに自由になっていません。左翼小児病の困ったところは、自分が幸せになれないだけでなく、周りの人までも不幸にする点ですが、それは本書で詳述します。


 日本保守党の研究 02 https://note.com/think0298/n/n7b330f7856c8 で
武田邦彦さんが、僕の東大での学友50人のうち、48人は左なので、そういう人たちが、全部死なないと日本はだめだ、僕らが死んだら良くなるだろうと思っていたんだけど、新しい人たちが最近あまり議論しないから、安保の世代の人たちなんて、今もうやになっちゃって議論しないのかな
と感想を述べると、
有本香さんが、あの方たちは、若い頃にワンワン言ってたんですけど、それも議論だったかどうかっていうのちょっと疑問ですね、どっかから吹き込まれたものを信じ込んで熱狂してたって世代だから
と斬り捨てたという話を書きました。
 
 私自身は、団塊の世代の最後の生まれ(1949年)ですが、大学時代は、ノンポリで過ごしましたので、ロシアや中国の帝国主義的な行動のおぞましさを目撃して、なんの抵抗もなく、左翼思想に決別できました。

 森口さんは、まだ大勢生き残っている 左翼老人 向けに、この本を書きました。結構重要な指摘が満載ですので、このコーナーで、連載して紹介したいと思います。

つづく


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