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[エッセイ]第六天魔王

『第六天魔王』という、なにやら中二病的なファンタジックで魅力的な言葉ですが、どうも仏教に関係する言葉らしいです。

ネットで調べたところ、第六天とは『欲望に囚われた人々の生きる世界』のことで、第六天魔王とは、そんな世界に住む魔王で、そのような魔王がいるから人々は仏を信じる心をもとうとしないのであるとされ、仏敵として認定された人物を指して『第六天魔王』と呼ぶことが、昔からあったようです。

現在において、『第六天魔王』と聞くと、ほとんどの人が織田信長を連想すると思います。

確かに叡山焼き討ちをしたり、キリスト教の布教を許したり、本願寺と戦ったりと、仏教徒からみれば信長は『第六天魔王』と呼ばれてもおかしくはない存在だったでしょう。

ですが、ボクが気にしているのは、そうした歴史的なことではなくて、一体いつから、ボクたちは『第六天魔王』と聞いたら、条件反射的に『織田信長』を連想するようになったのか?、ということだったりします。

信長を主人公にした歴史小説はいくつもありますが、古典的ともいえる作品群には、『第六天魔王』という言葉は出ていなかったのではないでしょうか。
司馬遼太郎氏の国盗り物語でも、そのような単語は見た記憶がありません。

確かな根拠はないのですが、おそらく1987年に出版された、羽山 信樹氏の歴史小説、タイトルがそのものずばりの『第六天魔王信長』が、その嚆矢となるのではないかと思っています。

タイトルはインパクトがありますが、中身はまっとうな歴史小説(のような気がします)で、新解釈による信長像を描いたものだったと思います。

おそらく、この作品で多くの人が『第六天魔王』という言葉を知り、『信長』とセットで認識されるに至ったのではないかと思うのです。

時期的にはそのすこし後になると思うのですが、伝奇コミックの『孔雀王』でも、信長が敵役として出てきた際には『第六天魔王』と呼ばれていたと思います。
当時の人気コミックにも、その言葉が使われたことで10代20代の若い世代にも浸透したのではないでしょうか。

もちろん、これはボクがそう思っているだけで、全くの勘違いかもしれませんし、時系列が間違っているかもしれませんが、ひとつの妄想としてとらえていただければと思います。
(よく調べようという根気がないので、妄想レベルですみません^^;)

言葉としては、ずっと過去から存在しているものの、広く世間に認知されるようになったのは、何が契機だったのかというのを妄想してみるのも、時には面白いものですね。




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