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東京・向島百花園 七草籠と春の七草

春の七草について

みなさんは、春の七草の名前をご存知でしょうか?
「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これぞ七草」という和歌で覚えた方もいらっしゃるかもしれません。
七草のうち、スズシロ(大根)とスズナ(かぶ)は畑の作物で、いつもの暮らしにもおなじみの根菜ですよね。セリとホトケノザ(タビラコ)は水田付近に生える草。なずな、ハコベラ(ハコベ)、ゴギョウ(ハハコグサ)は畑でよく見かける草です。
 
1月7日に七草を食べるという風習は平安時代初期に宮廷で始まったとされ、冬の寒い時期にも健気に田畑で生えている七種の草を採って「七草粥」を炊き、縁起物としてありがたくいただき、無病息災を願いました。上記の和歌は、江戸時代頃に詠まれたのではないかと言われており、それによって庶民にも広がったとされています。
今回は、江戸時代に七草籠を考案し、ずっと毎年作り続けておられる向島百花園さんへ伺い、代々この園を守っておられる佐原滋元さんに七草籠と向島百花園について教えていただきました。

佐原滋元さん。街のこと、園のこと、たくさん教えてくださいました!

江戸時代から伝わる、七草籠とは?


東京都墨田区にある向島百花園では、開園した220年以上も前の頃から、春の七草を柄付きの籠に植え付けた元祖の七草籠を作り伝えてこられました。昔から、年末のご挨拶に七草籠を贈り、正月の飾りにしていただいたようです。 
長い柄付きの籠に入っているのが特徴ですが、これは当時の「葱(しのぶ)売り」たちが、農作物を多く作っていたここ向島から江戸の街の中心へ野菜を売りに行く時に使っていた籠。これを活用し、土がこぼれないように葉蘭を敷き詰めて、春の七草を植えたのが始まり。若々しい青竹で編まれた、新年をお迎えするのにふさわしい籠に丁寧に植わった七草たちには、それぞれの名前を記した木札が添えられています。

冷蔵庫がなかった当時は、葉物野菜が少ない季節であるお正月に、植え付けたままの七草だと新鮮な菜っ葉を食べることができると、とても喜ばれていました。
寒さも極まるこの季節にたくさんの七草を用意するのは大変なこと。昔から農業に強い村であり、例えば在来野菜の寺島ナスを油紙で包み、早く出荷できるように栽培するといった知恵や栽培技術が培われてきた隅田だからこそできる工夫もあったようです。寄植えにする七草たちは丁寧に野摘みをして集められたり、栽培ができるスズシロ(大根)は、当時から江戸野菜の一つである亀戸大根が使われており、手間暇をかけて採集・栽培・寄植えをされています。
 
時代は明治になり、百花園と長らく馴染みのお客様であられた公爵・九條家のお嬢様が後の大正天皇へ嫁がれたことをご縁として、現在でも百花園から宮中へ「七草籠」が献上されています。献上される七草籠は特別なもので、七草も2組ずつ植えられ、籠も横長の形をしています。年の瀬には献上七草籠やジャンボ七草籠を向島百花園で観ることができ、百花園の愛好家グループ「なゝくさの会」が共同製作したお家用の七草籠ものの一部を園内の「茶亭さはら」で毎年12月下旬ごろから購入することができますよ。
 

七草籠。青竹の清々しい籠につめられています。


購入した七草籠のお世話は簡単で、涼しいお部屋に飾り、時々日に当てて、土が乾かない程度に水やりをすればok。七草の日には、スズナ(かぶ)とスズシロ(大根)、そして五草は葉っぱを数枚ずつ摘んで七草粥をつくり、その後も残った五草たちを愛でることができます。手入れが良ければ、お花が咲く4〜5月頃まで楽しめるようですよ。
 
百花園の七草籠は文化人にも愛されてきた逸話が残っており、正岡子規が病床にあった時、錦糸町で牧場を営んでいた伊藤左千夫氏がお見舞いに七草籠を贈ろうとされました。その際に七草の一つであるホトケノザをあの世を想起させる名前で縁起が悪いかもしれないと、植木師さんが名札をカメノザに書き換えました。子規もそのことに気づき、嬉しかったようで、その様子を「墨汁一滴」という随筆で日記風に書かれています。

「ホトケノザ」


200年ほど作り続けておられる中で、様々な時代の変化もあります。昔は街中にかご屋がありましたがなくなっていき、だんだん籠職人さんもご高齢になっていかれます。
七草の草つくり(野摘み・栽培・植え込み)も特殊なので、継承や拡大の難しさがあるそうです。七草の草つくりを約40年してくれていた方が作れなくなった時にも、佐原さんご一家が栽培方法・植え込みを習い、新たな作り手さんを探しだされ、無事に静岡県で栽培が続いているようです。
継続は力なりとは言いますが、健やかさを現在の人々や未来につなげていく風習。
変化していく時代の中で守りたいこと、継いで営み続けることの尊さ。
過去から未来へ長い時間軸に思いを巡らせながら、私もまずは七草籠を購入して、愛でるところから始めてみようと思います。

貴重な古文書「春野七草考」のレプリカも見せてくださいました。
「春野七草考」は挿絵が愛らしい。

向島百花園について


 時代を経て愛される向島百花園は文化元年(1804)に骨董商であった佐原鞠塢(さはらきくう)が開いた庭園で、当初は約360本もの梅の樹が植えられ、「新梅屋敷」と呼ばれていました。歌舞伎の芝居小屋で勤めた経験があったことから文化人との交流も多く、狂歌師・蜀山人や絵師・谷文晁などの名だたる文化人も花園の運営などに協力し、様々な作品にも取り上げられ、多くの人々を魅了していきました。徐々にどの季節でも楽しめるお庭になるようにと中国・日本の古典の詩経や俳句などに登場する多様な草花が植えられ、まさに名前の通り百花繚乱の百花園となっていきます。門には、漢詩人・大窪詩仏による「春夏秋冬花不断」の文字も掲げられています。
多くの地方出身者、砂埃が舞う江戸の街で「ふるさとの景色(植物)を見たい」と訪れ、文化人にも愛されるようになりました。


漢詩人・大窪詩仏による「春夏秋冬花不断」の文字

このエリアは、江戸時代になり隅田川の土手を整備するときに桜を植え、人気の行楽地となりました。当時は園芸文化が盛んで、堀切の菖蒲園や錦糸町の牡丹園といった花園があり、現在のスカイツリー付近は花の市でにぎわっていたそうです。たくさんあった花園たちも少しずつ姿を消し、唯一現代に残った江戸時代の花園が向島百花園とのこと。


日本庭園は自然を徹底的に作りこまれたものも多いですが、百花園はミニチュアの自然であるという感覚で、植物がありのままでのびのびと育っています。
専門家も「ビオトープのようだ」とおっしゃることもあるようで、佐原さんたちも「自然公園のように管理ができたら」と語っておられました。
現在では国の名勝・史跡に指定され、江戸時代までにあった在来種の植物を中心に約500種類もの植物が植えられており、フジバカマなどの日本の山野草も観ることができますよ。
 
在来種と外来種の境界線はあいまいで判別が難しい。例えば、芭蕉は在来種なのか?など、何時代から入ってきたものは在来種と言えるのだろうかという、定義が難しい点もあるようです。
また、西洋種ですが寄贈された貴重なお花もあります。東郷平八郎がイギリス留学中に、エドワード七世の戴冠式に同行する機会があり、その時に王立キュー植物園からヒナギク(オオハンゴンソウの仲間)の種をもらって来られたものを、百花園の五代目鞠塢に託されたものが代々大切に育てられ、東郷菊と呼ばれており、今でも7月下旬〜9月上旬に花を開いています。
 

珍しい芭蕉のつぼみ。大きい!
在来種の菊・あしずりのじぎく

様々な背景や物語を持つ百花たち、ぜひ向島でお楽しみください。
どの季節も見どころがありますので、何回も行きたくなっちゃいますよ◎
 

向島百花園 詳細

東武伊勢崎線 東向島駅 徒歩8分
京成電鉄押上線 京成曳舟駅 徒歩13分
私はよくメトロ半蔵門線・浅草線&京成電鉄 押上駅から30〜40分ほどのんびりお散歩して向かいます。
 
開演時間:9〜17時(入園受付は16:30まで)
休園日:年末年始(12/29-1/3) ※1/1-3は隅田川七福神めぐりのために一部公開
 
入園料:一般150円、65歳以上70円
 ※年間パスポート(600円)がお得!
みどりの日(5/4)と都民の日(10/1)は入場無料となります。


庭園ガイド(無料)
毎週土日の11時からと14時から。

秋から冬へ向かう景色の百花園

季節の見どころ

年中、見どころがありますが、特に人気なのは…
5月上旬に、花盛りを迎える藤棚。他にも珍しい花の棚があり、ミツバアケビの棚(4月上旬)やクズの棚(8月)など、様々な季節に彩りと芳香を添えています。
池の周りには花菖蒲(初夏)や半夏生(7月)といった水辺の植物も。
ひょうたん、へちま、ユウガオは7月に開花し、8〜9月に実を愛でられます。
約30mにもおよぶ萩のトンネルも圧巻で、9月下旬には花のトンネルへと衣替え。
冬には水仙や福寿草なども咲き、雪吊り・冬囲いといった冬ならではの景色も味わえます。
 
それらの植物にはうぐいすやシジュウカラ、メジロなどの野鳥たちも羽を休めに訪れ、秋には鈴虫、コオロギ、松虫といった小さな音楽家の虫たちも、美しい音色を奏でています。


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