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東京マラソン2019(1) 〜回想〜

「すごく楽しい42キロでした!」

灼熱のシドニーオリンピック女子マラソン。
高橋尚子は42.195kmを誰よりも速く駆け抜けた後、そうテレビに向かって笑顔を向けた。

当時、私は高校球児。
走ることに良いイメージなどあるはずはなかったが、不思議と駅伝やマラソンを見るのは好きだった。

「42キロを勝負しながら全力で走って楽しいってどういう感覚なんだろう??」

これが、マラソンを走る最初のきっかけだった。

初のフルマラソン挑戦は東京マラソン2010。
そういえば、このときも雨が降り続いていた。
それなりに準備したが、いろいろあって完走できず、翌日は脚が棒のようだった。
このままでは終われない、とエントリーした翌年も、幸運にも当選。
初のフルマラソン完走が、この東京マラソンは2011だった。
グロスで4時間を切ったことを覚えている。
東京の名所を自分の足で駆け回る非日常感と途切れない沿道の応援にかつてない高揚感を味わい、体はツラかったが素晴らしい経験ができた。

フルマラソンを完走することの達成感を味わったが、この後マラソンを継続したわけではなく、次のマラソンは翌々年の湘南国際マラソン。
その後も走ったり走らなかったり。
ただ、毎年東京マラソンにはエントリーしていた。

そして、東京マラソン2015に当選。
このときはかなり気合入れてトレーニング(といっても当時はスピード練習なんてせず、走る距離を徐々に伸ばしていった。時計も普通のストップウォッチ。)して、グロスで3時間32分台と、当時の自己ベストで完走。

取り組み方が変わったのが2016年。
転職した先のランニング部の部長に声をかけてもらい、初めて一緒に走る仲間を得た。
それまでは、ほぼ一人でトレーニングし、レースに出ていたが、企業対抗駅伝に参加し、仲間と走ることとタスキを繋ぐ楽しさを知った。
彼らに触発され、初めて夏も継続して走ることができた。
トレイルランに出会ったのもこの頃。
この会社はなんと半年で辞めて転職してしまったのだが、ランニング人生に欠かせない、人生を変えた出来事と言える。

それから、某ランニングチームに所属(いずれ書くつもり)。
トレーニングも教わったり自分で考えて取り組んだりして記録が伸び、2018年2月に初のサブスリー。
2019年2月の別府大分毎日マラソンで2時間49分23秒の自己ベストを出すまでに至った。

そして臨んだ東京マラソン2019。
世界屈指の高速コース、2018-2019シーズンの大本命であり、出たくてもなかなか出られない貴重なレースでもある。

新宿御苑近くのホテルに前泊。
前日までの天気予報は、曇のち雨で午前中は曇り。
夕方から降るなら走っている間は雨対策いらないかな。
と、思っていたが甘かった。

天気予報を過信してはいけないことを思い知らされることとなる。

続く


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