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どうしたいかとどうすべきか

私のきょうだいは、4歳上の姉と2歳下の弟がいて、私は真ん中っ子である。

4歳上の姉は、小さい頃体が弱かった。病院通いが多く、入院したり手術をしたりと、その度に母親は姉にかかりきりになったようだ。
(今姉はすっかり健康)
母曰く、もっと姉と歳を近く第二子を産みたかったらしいが、なかなか子供ができず、4歳離れて生まれたのが私。
しかしそうこうしていたら、今度はすぐに弟が生まれた。2歳下といっても、実際は私が1歳9ヶ月の時に生まれた。
1歳9か月。まだまだ赤ちゃんである。とはいえ更に小さな赤ちゃんが誕生したので母は今度は弟にかかりっきりである。
幸い、父方の祖父母も同居していたので、私が放置されることもなかったし笑、私は超健康優良児だったので別に問題なかったみたいだ。
加えて、私はよく寝る子供だった。ひたすら寝るし、同じ部屋で親戚のおばさんがペチャクチャ喋っていても、全く起きなかったらしい。

そんなこんなで、「ハレちゃんは手のかからない良い子だね〜」と言われていた。
子供ながらに、手がかからない=良い子、というのを理解するので、なんでも自分でやった方が褒められるんだな、と物心ついた時から無意識に思っていた気がする。
そうすると、今度は「何でも自分でできて、偉いね〜、しっかりしてるね〜、お姉さんだね〜」と言われ、そのループで、私はすっかりしっかりした良い子街道まっしぐらとなった。

何でも自分でやれば褒められるし、そうでなくても、親は体の弱い姉と、小さい弟にかかりっきりなのだから、自分でやらざるを得ないのだ。

私は、大人になってから、自分はどうしたいかよりもどうすべきか、を優先して行動するタイプだなと気づいたが、その由来は上記の子供の頃の環境と行動パターンからきている気がする。(決して子供の頃の環境や親を恨んでいるわけではない)

何となく、周りの大人が自分に対して何を期待しているかを察するので、それをやるし、やったら大人達から褒められるしで、それがベストだと思っていた。
子供の頃はその対象が親や先生で、大きくなってからはそれは上司や先輩や同僚、時には友達の時もあったし、はたまた彼氏だった時もあった。

20代。失恋した時があった。正確には、失恋しそうで、なんとか彼氏の気持ちを繋ぎ止めたい状態の時。当時の心境を、うだうだ友達に相談していた。
それを聞いてくれていた友達Rちゃん。

「ハレちゃんは、どうしたいの?」

その質問を、一連の会話の中で何回か問いかけてくれたと思う。

自分がどうしたいか……

はて??
自分がどうしたいか…彼の気持ちを繋ぎ止めたい…そのためにはどうすべきか……

アレ??
最初は自分軸で考えようとしていたはずなのに、どうすべきか、というところに来てしまっている。

この恋は結局フラれて失恋。
恋愛を例にするとちょっと分かりづらいが、どうすべきかでずっと行動してきた人間が、主体的にどうしたいか、と考えるってなんか難しいな。
ある程度訓練が必要というか。

どうすべきかを軸で生きていても基本的に問題はない。むしろ周りの人には喜んでもらえるし。でもたまに人と一緒にいると疲れるなぁと感じることもある。いや、疲れることが多分にある。

どうしたいかと、どうすべきか。
人生の要所要所で考えるテーマとなった。
自分がどうしたいのか、をしっかりと考えよう、自分の気持ちと向き合おう、と思うようになった話。

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