「覚えている本」を捨てない理由

 本が好きなおまけに本の仕事をしていると、当然本が増える。書評依頼で送られてくる本だけでも相当数になる。当然書架には入りきらず、段ボールに詰め込んで積み上げるハメになる。それだけで部屋が一部屋埋まり、更に廊下にも段ボールが浸食していく。

 重量もある。探す手間もある。1年に1度くらいは蔵書を見直し、泣く泣く手放さなくてはならなくなる。本好きの人には分かると思うが、手放す本を決めるのは至難の業だ。その上、今度は手放すグループに「選んでしまった本」を本当に手放すためには、更なる一大決心が必要となる。ありがちなのは、最後にもう一度読んでしまうこと。これをすると一向に片づけは進まなくなる。おまけに膨大な時間が必要となる。そうこうするうちに、本を手放すという決心が鈍っていく。

 お片付けは「コンマリ流」が流行っているが、本の場合は「ときめき」などと言ってはいられない。手に取った時に内容を「覚えている」か「覚えていないか」が決め手となる。手放すのもちろん「覚えていない」方だ。覚えていない方をとっておき、改めて読んだ方が得なようにも思える。積読(つんどく)で、実際には読まなかった結果、覚えていないのだとすれば、読まずに処分すればお金をどぶにすてるようなものだ。

 しかし、「覚えていない」方を手放した方が絶対に得策である。なぜなら、調べ物をするにしても、「確かあの本に書いてあった」ということすら思い出せないようでは、後々調べようがないからだ。難しすぎて理解できなかったとしても、「こういうことが書いてあったけど、自分には難しくてピンとこなかった」と手に取った瞬間に思い出せる本はいつか必ず役に立つ。小説やエッセイにしても、概要を思い出せる本はもう一度読み直したり、困った時に勇気づけられたり、解決策を教えられたりする可能性がある。しかし、何度も言うようだが、「覚えていない本」というのは、次に活用する機会がやってくるチャンスは限りなく低いのである。

 というわけで、一見もったいないように思えるが、「覚えていない本」こそ役に立つことはないと割り切り、手放す方へと分類すべきであるというのが私の持論である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?