見出し画像

二度読みは無駄か、効率的か?

ネットの普及に伴って「読みもの」が増えたと思う。ネットサーフィンをすれば次々と新しい記事が出てくるし、その間にもサイトの端にはカスタマイズされたおススメ記事が次々に表示される。

これらに次々と目を通している時、無意識に「斜め読み」か「流し読み」をしているらしい。確かに「ふ~ん」「ヘ~ッ」「おもしろ~い」と思って読んでいるのだが、寝る前などに意識して「本日読んだ記事」を思い出そうとすると、内容の「詳細」を覚えていないどころか、何の記事を読んだのかすら覚えていないことが多く愕然とする。10記事、いや、20記事か30記事は読んだはずなのに、思い出せる記事のタイトルは4つか5つくらいだろうか…。何か面白い記事を読んで、「明日、友だちに教えてあげなきゃ」と思ったのはいったい何の記事だっただろう…といった具合。

情報過多になると、無意識に多くの情報を入手しようとするあまり自分の限界のスピードを超えて活字を追ってしまい、あれこれ入手したつもりが結局は何も記憶に残らないのかもしれない。「詰め放題」に行って、詰め込むことに必死で、タイムアップ!となった時に初めて袋の底に穴があいていて、すべてがこぼれていたことに気付くような感じかも。

これは読書にしても然り。限られた時間の中であれもこれも読みたい、読み終わったらあれもやらなきゃ、おまけに読んでいる最中もメールやFBが気になったり…といった具合だから、1冊読破したところで内容が確実に身についているかは甚だアヤシイのである。

そこで、読み終わった本をすぐに続けてもう一度読み直すことにした。するとどうだろう。丁寧に読んだはずの推理小説ですら詳細を忘れていて「あれ、こんな場面はあったっけ?」ということが起こる。二度目故にトリックは分かっていて読み飛ばしたくはなるが、そこをグッと堪えてもう一度丁寧に読み直す。この習慣をつけると、経済書からノンフィクションまで何でも、記憶に刻みながら読むことができるようになる。

ちなみに学者や書評家も読書ノートをつけたり、メモをとって読んだりする人がいるというのは頷ける。いわゆる専門家も「忘れない工夫」をしていることの証なのだから。

つまり、「二度読み」は時間の無駄のようでいて、内容を記憶に留めるには実に有効な方法の一つなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?