「シンメトリーの反対語」についての哲学

「シンメトリー(symmetry)」:左右が同じ形であること。左右対称。


この言葉の反対語をご存知だろうか。

きっと、多くの方は、


「アシンメトリー(asymmetry)」:不均衡であること。非対称。


と答えることだろう。もちろん、辞書にも上記のように記載されている(『精選版 日本国語大辞典』『広辞苑』など)。

ところが、である。「アシンメトリー」は「アシメトリー」とも言うのである。上記同様の『広辞苑』で「アシメトリー」とひくと「asymmetry →アシンメトリー」とあり、「アシンメトリーの項を見よ」という指示はあるものの、ちゃんとその言葉は存在している。「シメトリー」を調べてもその言葉は存在しないのに、である。

また、『ブリタニカ国際大百科事典』には「アシメトリー(asymmetry):シンメトリー(左右対称)の反対語」とある。

恐らく英語の発音から来ているのだろう。英語では【eɪsímətri】あるいは【æsímətri】と発音するので、後者を取れば「アシメトリー」となるからである。


ここでプチ事件が起こった。この原稿が掲載されるのは、専門誌でも学術誌でもなく、一般の人を対象にした雑誌だった。私はライターさんの書いた「アシンメトリー」に対し「アシメトリー」に修正するよう指示を出さなかった。なぜなら、文脈上は一般の人により知られている「アシンメトリー」という単語で何ら問題はないと考えるし、ここで「本当はこういうんだ!」「知らないだろ?」と知識をひけらかしたところでまったく意味をなさないどころか、かえって「アシメトリー」と書くことで「誤植」のイメージさえ与える可能性もあるかもしれない…と考えたからだ。

ところが、別の担当者はこれを「編集者にあるまじき見落とし」だと指摘した上で、「アシメトリー」と書き直しを指示したのだ。辞書に「アシメトリー」→「アシンメトリー」を見よ、となっている時点で、優勢(というか、一般に定着しているのは)「アシンメトリー」であることが分かる。であれば、なぜ、ここで「アシメトリー」に修正する必要があるのだろうか。

国語力の向上、日本人に正しい日本語を教える、という哲学の下で編集者をやっているのであれば、それはそれで立派だとは思う。読者レベルにすり寄って、レベルを変えたり、流行に左右されず、ぶれることのない姿勢で編集するのも立派だと思う。ただ、媒体や読者のニーズを考えることも編集者の役目だと思う。であれば、今回は「正しい知識」よりも、「伝わりやすさ」を重視すべきではなかったのか…。

正しい、間違っていると白黒つければいいという問題でもないことは分かっているものの、こういう釈然としないコトに遭遇するたびに、編集者の哲学って何だろう…と考えてしまうのであった。




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