見出し画像

自由は、どこまで可能だろうか?――Think Out!003レポート

突然ですが。

もしあなたが、こんな問いに急に向き合うことになったら、まず何を考えるでしょうか。

「自由は、どこまで可能だろうか?」

それも、(ほとんど初めて会った)本名も年齢もわからない人たちと、対話をしながら考えるとしたら。

……その難しさと面白さを身に沁みて感じた2時間。それが、9月28日の土曜日の朝、吉祥寺で行われた哲学対話「Think Out!」の、筆者にとっての(あまりに単純すぎるといえば単純すぎる)総括です。

申し遅れました。この文章を書いているのは、「Think Out!」運営メンバーのひとり、松石です。9月29日、日曜日の朝10時にこれを書いています(つまり、土曜朝から24時間後の、興奮冷めやらぬ状態で書いているので、多少意味が取れないところがある点、ご容赦ください…)。

では、話をもとに戻して。

「Think Out!」というのは、毎月1回、吉祥寺のブックマンションという場所で行われている哲学対話のイベント。毎回、お互いに素性を知らぬ老若男女10〜15人が集まり、そのときのテーマをもとに約2時間かけて対話をします。

画像2

この、「見ず知らずの人たちとの哲学対話」というのが、実に面白いんですね。相手が何を考えているのかも、どういうふうに考える人なのかもわからないまま、答えのない問いについて、対話をしながら考えるわけですから。そこは予定調和の極北の世界。何が起こるかわからない、どんな考えが飛び出るかは予測不能。文字通り脳みそを使い倒します。

けれど当然、難しくもあります。会社や学校で日常的に行っているコミュニケーションとは完全に異質なものなので、戸惑うことの連続です。しかも、テーマが「自由」だったりすると、それが輪をかけて難しくなる。

なぜか。

それは、僕らが(あるいは、少なくとも筆者が)普段生活している中で、「自由」という概念をありありと実感することが難しいから。

このことは、哲学対話を少しでもかじったことのある人ならピンとくるはず。哲学対話においては、深い対話が生じるための条件がひとつあります。それは、対話をする人が、あくまで自らの経験にもとづいて話をしていること。リアリティがあればあるほど、そこにひとつの“真理が宿り、対話を通じて見たことのない景色を見ることができるのです。

画像3

だから、難しかった。「自由」をテーマに、自らの経験に基づく問いを提出し、対話を通じてそれを掘り下げていくということが。

■人はどんなときに「自由」をリアルに感じるのか?

けれど、きっとここであなたは思うでしょう。いやいや、自由を感じる経験はそう多くはないとはいえゼロではないのだから、深い対話は可能なはずだ、と。

そう、それが哲学対話を面白くしているポイントです。筆者のように「自由」をあまり実感を持って語れない人がいれば、当然、日々痛切に感じて生きている人もいるわけです。そのような人たちとの対話によって、実感のある人もない人も、誰でも自由を深く考えることができるわけです。

画像4

ホントかよ、と眉に唾をつける準備をしかけた人も、ひとまずこれを見てください。昨日の対話で提出された問いの一例をざっと書き出してみました(カッコの中は、その問いを問いたい理由、です)。

「自由」な状態って、どういう「状態」?(「自由にしてて」「好きにしていて」「リラックスして〜」と言われると困ることが多いから。)
自由は人から決められるもの? それとも自分で感じるもの?(自由だと感じていても、人から見ればそうではないときもあるから。)
自由が制限されるべき時ってどんな時?(職業が教員なので、学校・子供のあり方やカタチを考えたい。)
私は本当に自由を望んでいるのか?(「自由」と「制限」の真ん中にいると思うから。)
自由な人間関係を築くには?(身近な人との関係ほど不自由に感じやすいから。)
自由な生き方とは?(他人に決めてもらうほうが楽なときもあるから。)
何でも自由に表現していい場で、どこまで自由に表現できるのか?(何でも自由に話していいはずの対話の場でも自由に表現し切れない自分がいるから。)
「ちょうどいい自由」って、どんな自由?(すべてが自由だとかえって戸惑ってしまう場合がありえると思うから。)
お金のある自由と、お金のない自由の違いとは?(いまの社会では拝金主義的傾向が強いから。)
自分自身の身体はどこまで自由にしていいのか?(自傷や自殺など自分の身体は自分の所有物として「自由」に扱っていいのか、ずっと疑問に思っていたから。)
自由は、どこから始まるのか?(自由を阻むものは、常に外から来ると思っていたが、自分の内にあるのを感じたから。)
「自由と責任はセット」と言うときの「責任」とはどんな意味か?(自由を手に入れるためにどんな責任をとる覚悟が必要かを知りたいから。)

そしてもちろん、筆者のように自由の実感が難しいゆえの問いもありました(一目瞭然、こっちが少数派ですが……)。

自由とは何か?(問いを設定できなかったため。)
自由はどこまで可能だろうか?(根源的な自由があるのかどうか考えてみたいから。)
制限のない自由は存在するか?(辞書にあるような意味での「自由」は、感覚としては存在しないように感じるから。)

これらの問いは、参加者一人一人に、対話が始まる前に「問いカード」に記入してもらったもの。「Think Out!」では、対話を深めるためにも「問いカードを書く」という時間を大切にしています。

画像1

■自由のリアルは、「不自由の否定」によって生まれている?

自由が実感しづらいとはいえ、自由が重要だということそれ自体は、その逆を考えてみれば容易に理解できます。つまり、まったくの不自由を強いられた場合。自由がすべて奪われ、精神的にも、身体的にも、何ひとつ思うようにできない、全体主義の末期のような状況が想像されます。

実際「Think Out!」でも、同じように考える対話の場面がありました。

「……自由を考えるって、なかなか難しいですね」

「そうそう。だから僕は、自由についてはあまり考えないようにしていて」

「えっ、それはどういうこと?」

「つまり、自由それ自体を考えるのは難しいから、何か不自由に感じていることを無くすことで『自由になれる』と考えるんですね。だから、自由ってなんだろう、と考えようとすると、必然的に不自由なことを意識化することになる。意識していなかったことを意識してしまうと、やっかいですよね。だから、自由についても考えないようにしているんです」

そして実際、さきほど挙げた「リアリティのある問い」の多くも”不自由の否定”によって自由を考えていたりします。

・自由な人間関係を築くには?(身近な人との関係ほど不自由に感じやすいから。)
・何でも自由に表現していい場で、どこまで自由に表現できるのか?(何でも自由に話していいはずの対話の場でも自由に表現し切れない自分がいるから。)
・自由は、どこから始まるのか?(自由を阻むものは、常に外から来ると思っていたが、自分の内にあるのを感じたから。)

自由について考えるのは、難しい。けれどもし、自由を「不自由の否定」でしか考えられないとしたら、不自由が解消された先にあるのは自由ではなく、自由でも不自由でもない状態なのではないか。

あるいはまた別な見方をすると、自由を求めるということは、同時に不自由をも求めてしまうことになる。先に挙げた対話で話されていたように、眼前に差し迫った不自由がある場合を除いて、意識的に自由を求めることは不自由を招くだけの、不必要な行為なのかもしれない。例えば、今置かれた状況に特に不自由を感じていなかった人が、自由、自由と考えていたらなんだか不自由な気持ちが強くなってきて、不幸になってしまうのかもしれない。置かれた場所で咲きなさい、とか誰か言っていたように。

いやしかし、自由を求めることで、気づいていなかった不自由に気づくことができる、とも言える。奴隷として生まれた人が基本的人権を求めるようなもので、その場合の自由の希求は肯定されるべきはず。

はたして、自由を求めることは、肯定されるべきなのか否か?

――これが、今回の「Think Out!」で筆者が持ち帰った“おみやげ”です。哲学対話は、慌ただしい日常生活のなかでもこうした答えのない問いを携え、豊かに考えながら生きていくことを可能にするための装置だと、筆者は考えています。“おみやげ”とは、日常において哲学対話を続けていくための手がかりです。もちろん、参加者一人一人が、まったく違う“おみやげ”を持ち帰っていきます。

最近はすっかり運営側にまわってしまって対話に入れていなかった筆者。久しぶりに手に入れた”おみやげ”とともに、明日からも「Well Thinking」な人生を生きていこうと思うのでした。(了)

■そんなわけで、次回予告。

第4回の開催も決定しています。前回、前々回はいずれも満席になりましたので、ご興味持たれた方はぜひお早めのお申し込みを。

〈頭のワークアウト〉Think Out! テーマ『幸せ』
◉日時|2019年10月22日(火)10:00 - 12:30(開場9:45)
◉場所|吉祥寺バツヨンビル
◉テーマ|『幸せ』

あなたにとっての幸せとは何ですか? その理由は何ですか? 普段は考えることのない問いだと思います。この機会にぜひ、考えてみませんか。

詳細・お申し込みはこちらへ→
https://www.kokuchpro.com/event/thinkout004/

次回も、おいしいお菓子やコーヒーをご用意してお待ちしています!

画像5

画像6

画像7


よろしければサポートいただけますと幸いです。いただいたサポートは哲学対話を広げるために使わせていただきます。