聖ニコラウス [1] St. Nikolaus(ザンクト・ニコラオス)[1]

 St. は、Sanktの略であり、ドイツ語で「ザンクト」と発音する。英語の「セイント」、フランス語の「サン」に当たる言葉である。ドイツ語で、音節の頭にくるs字は、有声音で発音するので、それで、「ザ」となる。

 ドイツ語表記のNikolausは、男性の名前にもなるものであるが、ラテン語では、Nicolausと、英語では、Nicholasと綴る。但し、元々は、ギリシャ語から来ているので、これをラテン文字に書き換えると、Nikolaosニコラオスとなる。因みに、ドイツ語では、複母音auは、「アオ」と発音した方が原語に近い発音になるので、表題のように「ニコラオス」と表記したが、奇しくも、これは、ギリシャ語の表記にも合致する。

 さて、北アメリカ文化圏から伝わってきたので、日本人には、クリスマス・プレゼントは、例のSanta Clausサンタ・クロースが12月24日に配るものというイメージが強いであろうと想像するが、実は、ドイツでは、同じ日ではあるが、クリスマス・プレゼントは、生まれて間もない「子供のキリスト」が配ることになっている。本物のモミの木のクリスマス・ツリーが居間に数週間前から飾られており、24日の夕方からこの居間には子供達は入ってはならないことになっている。と言うのは、この時間帯に、本当は子供達の親達である「子供のキリスト」がこっそりとモミの木の下にプレゼントを置いておくからである。

 子供へのプレゼントということになると、スペインやイタリアなどでは、12月24日よりも、むしろ1月6日の「公現祭の日」(いわゆる「東方の三博士」が幼子イエスを訪れた日)が大事であり、それは、東方の三博士が幼子イエスに贈り物を持ってきたというエピソードに因むからである。

 それでは、ドイツ語圏には、「サンタ・クロース」なるものが存在しないかと言うと、そうではない。元々、「サンタ・クロース」は、北アメリカ大陸に17世紀に入植したオランダ人が持ち込んだものあると言われ、そのオランダでは、14世紀頃から聖ニコラオスの命日である12月6日を、「Sinterklaasシンタークラース祭」として祝う慣習があったと言うのである。

 という訳で、ドイツ語圏でも、この12月6日が「ザンクト・ニコラオス」の日となっており、その前の晩に、よい子のところには、聖ニコラオスがやってきて、お菓子や果物、或いは木の実などを、靴下や靴の中に、或いは、玄関の前に置いておいたブーツの中に入れておいてくれるのである。筆者も、南西ドイツのある町に留学中は、学生寮に住んでいたが、12月6日の朝に自分の部屋を開けてみると、入口に甘いものが入った袋詰めが置いてあり、同じフロアーに住むドイツ人女子学生が、夜中にこっそり、それを置いておいてくれたのであったという、楽しい記憶がある。

 St. Nikolausは、西方教会でも、また、東方教会でも「好まれる」聖人である。紀元後3世紀後半に、小アジア、つまり、現在のトルコ南西部、地中海沿いのある町に生まれ、この地域の中心地ミュラ(Myra)の司教となった人物である。ゆえに、彼は、司教が着用する帽子と赤いマントを身に付け、また、司教用の、その頭が蚊取り線香のように渦巻き状になった黄金の杖を持っている姿で登場する。そして、その聖人の特徴を表徴すべき付属物として、黄金色をした円形ないし球形の物が付いている。これは、三つの、黄金の金塊、パン、或いは、リンゴを表していると言う。

 とりわけ、黄金の金塊に関しては、聖ニコラオスが、未だ一介の司祭であった頃の有名なエピソードがあり、そこから来ていると言う:

 「... かつて豪商であったが財産を失い貧しくなったために娘を売春させなければならないところであった商人の家に、夜中に窓(あるいは煙突とも)から密かに2度、多額の金を投げ入れた。このため持参金も用意して娘達は正式な結婚を行なうことができた。父親は大変喜び、誰が金を投げ入れたのかを知ろうとして見張った。すると3度目に金を投げ入れているニコラオスを見つけたので、父親は足下にひれ伏して涙を流して感謝した。」(ウィキペディアにより)

 聖ニコラオスは、その奇蹟により、船乗りや商人、または、パン屋の守護聖人たる人物であるが、上述などの善行から、子供達の守護聖人ともなっている。そして、上述の伝説から、12月6日には、聖ニコラオスからの贈り物が靴下やブーツの中に入っているという具合で、これがサンタ・クロースの伝説につながる。

 聖ニコラオスが子供達の守護聖人であることを語るもう一つのエピソードは、少々ホラー映画のストーリーを思い起こさせる。ある悪徳の肉屋は、子供を誘拐してきては、これを塩漬けにしていたと言う。七人の子供を連れてきては、七人とも木製の樽に塩漬けにしており、もう既に七年が経っていたが、ある時、St.Nikolausがそのことを聞き付け、その悪徳の肉屋の許に行き、塩漬けにされてあった子供達に生命を呼び起したという「奇蹟」の業績が、St.Nikolausについて喧伝されている。 この「奇蹟」からも、聖ニコラオスが子供達の守護聖人であることが由来しているのである。

 聖ニコラオスが亡くなると、彼の奇蹟の業績は、有名となり、彼の遺体は、「聖遺物」として祀られ、ミュラの町は巡礼地となる。それから、数世紀が経ち、11世紀後半に、イスラム教のセルジューク朝がこの町を征服するが、同じ世紀に起こった十字軍運動の関係で、聖ニコラオスの聖遺物は、南イタリアのBariバリという所に移される。そして、この地にサン・ニコラ教会が建立され、ここに聖ニコラオスの聖遺物が安置されることになる。しかし、ある時、十字軍に参加していたロートリンゲン地方の騎士が、聖ニコラオスの聖遺物の指一本を「ちょろまかして」、自分の故郷に持って帰ったところから、フランス東部のロートリンゲン地方にも聖ニコラオスの名声が轟くこととなるのである。

 こうして、特に南西ドイツ、南ドイツ、さらにはオーストリアにも、St.Nikolausという名前が付いた町ができ、ウィキペディアによると、この地域に六つ、そのような名前が付いた町が現在でも存在するのであるが、ここでは、その中の一つ、ロートリンゲン地方に近い、南西ドイツの州Saarlandザールラントにある、St.Nikolausの町について述べよう。

 1990年の東西ドイツの統一後は、ドイツは、16の州で構成される連邦共和国となる。その内、ハンザ都市として栄えたハンブルクとブレーメンは、その都市だけで州となっている都市州である。また、ドイツで最も人口が多く、約三百万人を抱えているベルリン市もその都市域だけで州となっている都市州である。これらの都市州を除いた13の州が一定の面積を持った連邦州であるが、これらの、「領域州」の中で、一番小さい州がザールラント州で、その人口は、州全体を合わせても、日本にある政令都市の人口数である。

 このザールラント州は、Saarザールという川が、ほぼ南から北へ、フランスとの国境沿いに一定の距離を取って、その中を流れているので、「ザールの土地の州」という名称が付いている訳であるが、ドイツとフランスとの国境の間にある地域として、歴史上、何回もドイツ国とフランス国とにその帰属が揺れた運命を持っている州である。ゆえに、フランスのロートリンゲン大公国からの影響を受けた地区も多く、こうして、St.Nikolausの聖遺物がロートリンゲン地方にやって来た時には、例の、塩漬けにされた子供達の奇蹟が、ザールラントの地域にも広まったのである。但し、本来の奇蹟では、子供の数は、七人になっているが、ロートリンゲン並びにザールラント地方では、その数が三人になっており、聖ニコラオスの彫像の、その表徴となる付属物には、塩漬け用の木製の桶に、生き生きとした、三人の幼児が入っている場面が付け備えられている。

 また、実は、St.Nikolausという、髭を顔中に生やした「好々爺」には、その下僕となる「下僕のRuprecht rループrレヒト」が付き添っており、日本の秋田県の「なまはげ」の風習と同様に、「悪い子」がいないかと、鞭として木の枝を束ねて手に持って歩いて、探して歩くのである。このヨーロッパの「なまはげ」は、南ドイツ、オーストリア、スイスとそれぞれ民俗学的に興味深い容姿をし、それぞれ特徴的な名称で呼ばれているのであるが、ロートリンゲン・ザールラント地方でも19世末までは「Himmelsgeißヒンメルス・ガイス:天国のヤギ」という「なまはげ」がいたのである。まず、顔を出せるような穴を空けた、白色のベット用のシーツを体全体に被せる。顔には、小麦粉などの粉を練り付けて白くし、さらに頭にもシーツの一部を巻き付け、頭の上には大きな「団子」を付けるように布をたくり寄せ、紐で結びあげてある。しかも、その際に、頭の横の部分は、風が吹いたら、帆船の帆のように広がるという具合にするのである。いかにもヨーロッパの「妖怪」の感じである。

 このような「妖怪」は、21世紀に入っている今では、最早、見られることは無くなっているが、ザールラント州にあるSt.Nikolausという町では、その地名を上手く利用して、聖ニコラオスの「奇蹟」を今でも生き返らせている。しかも、全世界に向けてである。

 以上、今回はここまでにし、続きは、第二回目にしようと思うが、最後にドイツ語の言葉遊びを述べよう。「クリスマス商戦」などと、日本と同様に、ドイツでも商業化が進んでおり、St.Nikolausの姿をした「クリスマス・マン」が街角に何人も立っているという光景が現出する。つまり、複数の「クリスマス・メン」である。また、チョコレート産業は、St.Nikolausの形をしたチョコレートを販売し、この時期に何かの行事があったりすると、この聖ニコラオスが大量に配られることになる。そうなると、ドイツ語で、Nikolausの複数形が必要になる。単語の語尾に-sを付ける手もあるのであるが、Nikolausにはすでにs字が付いている。そこで、この名前をNikoとLausに分けると、Lausの複数形を作ればよいということなる。という訳で、Lausの複数形は、Läuseロイゼであるので、NikoläuseがNikolausの複数形になる。因みに、Lausとは、「シラミ」のことで、こんな言葉遊びが行なえるドイツ人も、中々のユーモアがあると言えよう。

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