解放の日 Tag der Befreiung (ターク デア ベフrライウング)

 日は、der Tag (音節の〆になるg音は、k音となる) で、解放が、die Befreiung (「ei」は複母音で「アイ」と発音する) である。二つの名詞の間にある der であるが、これは、Befreiungが女性名詞なので、その冠詞 die が、他の名詞の修飾に使われる時に起こる語形変化である。という訳で、この der は、助詞「の」に訳せる。

 さて、今日は、5月9日であるが、昨日の5月8日は、ドイツでは、特別の意味を持つ。1945年5月7日、ヒトラーが自殺して事実上ナチス政府が瓦解していたのを受け、ドイツ国防軍は、西部戦線の連合国軍と無条件降伏文書を調印し、8日の23時01分から、交戦状態を収束させることが決められた。このことから、この日はドイツでは「記念日」になっている。ちなみに、無条件降伏文書の調印ということであれば、この日は、日本では「9月2日」に当たる。

 さらに、東部戦線では、5月8日においても戦闘状態が続いていたが、こちらも東部戦線のドイツ国防軍司令部がソ連軍と降伏文書を同日内に調印した。しかし、モスクワとの時差の関係もあって、停戦の実効が0時01分となったので、ソ連国及びその後継国のロシアでは、本日の9日が対独戦勝の祝日となっている。例えば、アメリカ合衆国、イギリス、フランスなどは、8日の日を、「ヨーロッパでの勝利の日」としている。(ということは、アジアでの「勝利の日」もあることを意味している。)

 ところで、「勝利の日」に対して、「敗北の日」として5月8日を「祝う」ことは敗北した当事国としては中々出来ないのは、人情として当然と言えば当然であった。ゆえに、1960年代までの旧西ドイツではこの日は比較的「冷たく」扱われてきたのである。

 しかし、この傾向は40周年を迎えた1985年に顕著に変わる。当時の保守系の連邦大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー が連邦議会で行った演説で、この日を、「人間性を侮蔑する、民族社会主義(ナチズム)的暴力支配の体制」からの「解放の日」と規定したのであった。つまり、あの「敗北」は、実は、ドイツ国民にとっても(!)「解放」であったのだと。こうして、ここ数年来、5月8日を「祝日」にしようという動きが統一ドイツ国内にあり、一部の連邦州では実際にこの日を条例で定めた「記念日」としている。(この意味で、日本もまたドイツから学べないか。つまり、戦前の戦争責任の問題をファシズム的軍国主義のせいにしてしまえば、日本ももっと戦前の歴史に対して、批判的態度が取れるということである。)

 最後に、奇しくも、今日9日は、Sophie Scholl (ゾフィー・ショル) の100回目の誕生日にも当たる。1921年生まれの彼女は、ミュンヘン大学構内で反戦のビラを撒いた行為を問われ、兄とその仲間「白バラ」グループの一部と共に、1943年斬首刑に処される。

 処刑の日の1943年2月22日に彼女は日記にこう記す:

 「なんという素晴らしい、太陽が照っている日、
  そして、私は(この世から)行くのだという。
  私の死が何であろう。
  もし、私達の行動によって、
  数千人の人々が
  揺さぶられ、そして目覚めてくれるのであれば。」

  この言葉を残して、21歳の若い命が絶たれたのであった。

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