ナラの木の葉 Eichenlaub (アイヒェン・ラオプ)

 ナラの木は、die Eiche である。複母音 ei は、ドイツ語では「アイ」で、ch のコンビネーションは、いつものように気を付けたい。ここでは、「アイ」の後に来るのと、後ろが e で終わるので、「ヒェ」と表記した。Eichen の -n は、複合名詞を作る役割をするものであり、ここでは、助詞の「の」で訳した。

 葉が、das Laub であるが、複母音 au は、「アウ」ではなく、「アオ」とした方がよりドイツ語らしく聞こえるので、ここでは、「ラオ」と表記した。音節の〆となるb は、パ行になるので、「プ」となる。

 さて、das Laubという名詞であるが、これは、集合名詞として使われるゆえ、複数形がない。葉の一枚一枚を言うときには、別の言葉で das Blatt (ブラット)という言葉を使う。この名詞の複数形が、例の面倒くさい形で、母音を変音にし、後ろに er を付ける型である。という訳で、die Blätter となる。定冠詞の die は、女性名詞の時だけではなく、複数形の時にも使う。因みに、針葉樹に対して、「広葉」樹と言う時、ドイツ語では、この Laubという言葉を使う。

 ヨーロッパを古生物学的に見ると、氷河期が過ぎ、植物が生え出して以降、森林の最も古層となるのが、このヨーロッパ・ナラであるそうである。これが今のヨーロッパ中を最初は原生林として覆っていたが、人間が定住していく中で、その定住地の近くから次第に木材が切り出され、原生林の地域は狭められていく。

 ナラの木が切り出された後には、今度はヨーロッパ・ブナ (Buche:ブーへ) の木が生えだし、ブナの森が18世紀末までに伐採されてしまうと、ヨーロッパでは植林事業が始まる。こうして、ヨーロッパには広葉樹林の森から、寒さに強い、手入れが簡単であるということから、ヨーロッパ・トウヒ (Fichte:フィヒテ) やマツ (Kiefer:キーファー) を植林して、針葉樹林ができあがる。少々古いが2012年の、ある統計によると、トウヒとマツとでドイツにある森林面積の48%を占めるという。ブナは、16%で、ナラはわずか12%である。

 人類の手によって引き起こされた地球温暖化現象が、ドイツの針葉樹林を今痛めつけている。1980年代では、酸性雨が問題とされたが、ここ20年来は、樹皮に住みつく害虫のため、その害虫が森に広がらないように、害虫を発見したら、まだ若い木でも大量に伐採しなければならない事態になっている。トウヒやマツのモノカルチャーを止め、温暖化現象に対応するために温暖化と乾燥化に強い木を選定し、今にでもすぐに新しい植林運動を始めなければならないと言われている。

 さて、かつてはドイツの森の樹木を代表していたが、現在ではドイツの森林面積のたったの12%しか占めていないナラの木、とりわけ、ナラの木の葉(アイヒェン・ラオプ)は、ドイツでは特別の象徴的意味を与えられている。

 現在ヨーロッパに植生しているナラの木には三種類がある。18世紀初頭にアメリカ大陸から持ってこられた「アカ・ナラ」と、これに対する、ヨーロッパ自前の「シロ・ナラ」である。シロ・ナラは、さらに二種に別れる。比較的高地に生殖し、どんぐりがブドウの実のように一箇所に何個も付いている種(学名:Quercus petraea)と、低地に生殖し、どんぐりが、枝から生えだした細い茎に二個か三個付いている種(学名:Quercus robur)である。(なお、Quercusには、落葉樹の種と常緑樹の種があり、常緑樹の種は、日本語で「カシ」と訳されているものである。誤訳のないように。)

 とりわけ、第三種目のQuercus robur が、「ドイツのナラ」と呼ばれて、歴史的に重要な役割を演じてきた。月桂冠ではないが、ナラの木の葉(アイヒェン・ラオプ)を冠(かんむり)に編んで頭に被せることは、すでにギリシャ・ローマの古典時代から見られたことである。

 ナラの木は、樹齢が500年から800年までになると言う樹木であり、その直径が2mにもなるという大木になりえる木である。このことから、ナラの木は、永遠の命の、または、恒常性の象徴となる。こうして、アイヒェン・ラオプは、ドイツの貴族の紋章の一部を形作る要素となり、ドイツ・ロマン主義時代には、その象徴性は、ドイツ人に好まれる「忠誠」(日本的に言えば、「忠義」か?) にまで拡大されていく。

 19世紀のドイツ国民主義、民族主義の展開においては、領邦絶対主義で分断されていたドイツ「民族」の「統合、統一」の意味を「アイヒェン・ラオプ」は持たせられる。こうした文脈で、ナラの木は、ドイツの関税同盟の締結から、1837年のミュンヘン・硬貨条約によって、ドイツ硬貨に描かれる樹木として採用されることとなり、この象徴の伝統は、ドイツ・マルク、さらにはユーロ硬貨へまでと受け継がれているのである。(ドイツ硬貨の件については、2021年7月6日の投稿をご覧あれ。)

 その象徴性は、硬貨だけには留まらず、ナチス・ドイツの国防軍、さらには、現代の、議会軍としての連邦軍の一部にもアイヒェン・ラオプで編んだ冠が意匠として使われている。しかし、歴史上最も顕著な形でアイヒェン・ラオプが意匠として使われたのは、ナチス親衛隊SSであり、SSの襟章では、国防軍に相応する階級SS大佐からはEichenblattが一葉となり、階級が上がるに従い、それが三葉まで増えていき、H.ヒムラーの帝国SS指導者の襟章では、三葉のEichenblätterをアイヒェン・ラオプの冠が囲んでいるという意匠となる。

 ところで、日本で普及しているトランプの図柄は、フランス式図柄である。ドイツでは、やろうと思えば、ドイツ式図柄のトランプで遊べる。ハートは両者同様であるから、すぐ分かる。スペードは、形からすぐにそれと分かるが、色は緑色で、これを、そう、Laubと呼ぶのである。ダイヤが、丸い形をした鈴、そして、クラブが、何を隠そう、どんぐりなのである。これをドイツ語では、Eichel(アイヒェル)という。それでは、「粋に」、ドイツ式トランプでカード・ゲームをなさってはいかがであろう。

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