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-鹿島臨海工業地域-

本日は、仕事終わりで、鹿島臨海工業地域の工場夜景を観てきました。

地域としては、神栖市にあたるのかな。

初めて、足を運んだのは、ちょうど「工場萌え」というムック誌が話題になっていた2010年前後でした。

気軽なスタイルで、工場やダムなどを観に行く、ファッションオタクが増えてきた頃です。

わたしも、例に漏れずに、ほんまもん、というよりは、どちらかというと、にわかファンのファッションオタクの部類にあたります。

最近では、ダムを観に行くことも増えておりますが、「ここの、この重力式コンクリートダムとしての、云々かんぬん…」みたいな専門的な話には、まったくついていけません。

それと、同様に、「ここの、この石油コンビナート特有の…」みたいな専門的な話にも、まったくついていけません。

単なる、ファッションオタクです。

ただ、ファッションオタクも、感に極まるなら、次第に、その味わいも深まろうもの。

いや、ほんとか、それ。

という、日々です。

例えば、わたしが、嘘をついたとします。

それを、嘘だと認定する人がいる。

それは、ほんとなのかな、と思います。

わたしの、言葉の、嘘や偽りや、ほんとや真実を、誰が分かり切ることができましょう。

仮に、わたしが、「嘘をついている」という「真実」があるとして、その「嘘をついている」という「真実」をわたしが公にしているとして、それは、嘘なのか、真実なのか。

わたしは、常に、いつでも、そういう話をしています。

話が逸れてしまいました。

そういうことを、工場への、往路には、取り留めもなく考えていました。

前向きなことを考えてみては、いや、もう少し前向きじゃない思考が大切ではなかろうか、と考えを改め。

きちんとした、真っ当なことを考えては、執拗な悪意に、あぁ、もう少し空気を読んだ方がいいのかな、と考えを改める、そういう日々です。

わたしは、どこまでも、根がまじめなのです。

あなたが、「君は間違えている」とわたしに向かって吐き捨てたなら、それが、例え、どんなに内実の伴わない軽はずみな愉快犯としての言葉であったとしても、わたしは、あなたが「間違えている」としたのは、わたしのどういうところなのだろう、とわたしは真剣に考えます。

わたしは、ずっとそうやって生きてきました。

あなたが、「君は頭がおかしいね」と言えば、わたしは、迷うことなく、わたしの頭の中のおかしなところというのは、どの辺のことを指しているのだろう、と真剣に考察を深めます。

例え、それが、どんなに愉快犯としての、軽率で愚悪な言葉であったとしても、です。

わたしは、あなたの思うより、ひと回りも、ふた回りもまじめな人間ですし、あなたの思うより、ひと回りも、ふた回りもやさしい人間です。

多分、人よりも考察の深い、わたしの周りの、わたしに対して、理解のある方々であるなら、そのことを重々の重々に、承知の介であろうこと、わたしは期待しております。

また、話が逸れてしまいました。

そうです、仕事の帰りでした、今夜は。

仕事のこと、仕事場の同僚のこと、なんかも、考えました。

そっと、深入りしないくらいの、距離感で。

わたしのことを理解してくれる方々のことも、いつもより、考えました。

なるべく、その方々の、重荷にならない範囲で。

結論としては、わたしの周りの方々や、周りにはいない方々についても、今のわたしを見てくれている人より、わたしの未来を見てくれている、わたしの未来を信じてくれている、わたしの未来に賭けてくれている人の、いかに、多いことか、と考えました。

そうすると、わたしの日々の日常における、この不安定な、手応えのないコミュニケーションも腑に落ちるところがあります。

わたしの未来と、未来のわたしと話している。

だから、今、ここに生きているわたしは、どこか、ここにいる手応えを掴めない。

たまに、時折、今、ここに生きているわたしに、話しかけてくれる人たちがいます。

そうしたとき、わたしは、心なしか、ほっとします。

あぁ、わたしが、今、ここに、生きていてもいいんだな、と温かなものを感じます。

もう、あまりに話が逸れすぎたので、このまま今夜の記事は、締め括ろうかと思います。

理解が足りないのは、社会や世間ではなくて、むしろ、わたしの方かもしれない。

でも、あなたにも、救われている。

多分、だけども。

きっと、今夜の、この記事を、きちんとリンク先として、読みに来てくれる方々であるなら、きっと、多分、わたしの感謝しても、ご迷惑でない、差し支えのない方々なのであろうと思います。

そうでない、あまり面識も接点もない方々も、もしかしたら、おられるかもわかりませんが。

Twitterの140文字では、なかなか、日々の想いを、言葉にすることも、ままなりません。

こうして、読みに来て頂いて、ありがとうございます。

また、折々に、こうして、きちんと言語化した想いを、記事として、残していこうと思います。

それでは、また憂いの日に。

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