5才でぶち当たった不条理〜ジェンダーとかいうやつ〜

5才の冬、クリスマスだか正月だかで叔父の家に招かれた時のこと。親戚には私と同じくらいの年の子供が多く、それはそれは賑やかで、集まりがあると毎回楽しく過ごしていた。その冬もたぶん、概ね楽しい食事会だったはずだが、私はとある出来事を除いて、その日のことを覚えていない。それくらい、私にとっては大事件で、ある意味トラウマになっている出来事が、その冬のことだった。

叔父は子供好きで、かつ、気配りのできる人だ。昔からそうだった。その冬、親戚中の子供が集まるということで、叔父はそれぞれにプレゼントとしておもちゃを用意してくれていた。人数分用意したおもちゃや人形、ぬいぐるみの中から、それぞれに好きなものを選ばせて与えようということだったのだと思う。叔父が用意したのは、どれも普段の両親なら何かと理由をつけて与えてくれないような上等そうなもので、私たち子供は大喜びした。

おもちゃのラインナップの中には、よくできた変形機能がついたロボットのおもちゃもあった。これが私の心をがっちり掴んだ。今でもそうなのだが、細かく計算されたロボットの関節や、装甲から覗く内部構造なんかが、私は当時から大好きだった。もちろん私はそれを希望した。

「それは……男の子のだから……こっち(可愛いぬいぐるみ)とかどう?」

私はあまりのショックでその場で泣き出した。希望品がもらえないから泣いた訳ではない、と今は思う。当時はただただ訳がわからなかった。

「選択肢にも入れさせてもらえないとは!」

当時の私の気持ちを今言葉にするならそんな感じだ。


小学生になる時、私はランドセルを選びに行っていない。成長してのちに聞いたところによると、私が生まれて間も無く、祖母が蓄えを削って買って来てくれたものだったそうだ。見事な総本革で、よくなめされていて柔らかく、光沢もよかった。あんなに立派な鞄を持ったのはあれが多分最初で最後だと思う。色は当然のように赤だった。

今でこそランドセルは本人の好きな色、デザインで買えるものだが、私の頃は色の濃いとか薄いとかはあっても、概ね2色だった。だからこそ、祖母は私が生まれた直後に赤い、見事なランドセルを用意してくれたのだと思う。


上記の2例はもちろん、それぞれ叔父や祖母を非難したくて挙げたものではない。それぞれの好意は本当にありがたいし、多少のすれ違いはあれ、2人とも私の自慢の親族だ。ただ、私が「女」であるために、当然のように「存在しない選択肢」があった。自分ではどうしようもない性別とかいうやつのせいで、私はそもそも選ぶことができないものが世の中には溢れているのだと、この時痛感した。

当時は弟や従兄弟が憎いとすら思っていた。ただ男の体に生まれたから、それだけの理由で、私が手を伸ばすことすら認められないものを、選ぶかどうかは別として、選択肢に入れることができる。逆の立場でも言えることではある。多分、弟たちも、ただ男であるということだけを理由に、同じような思いをしていたんじゃないか、と今なら思う。しかし私は子供だった。

思い返してみると、この頃から私は自分の「性別なるもの」に苦しんでいた気がする。漠然と、「自分には、生まれた時からずっと自分自身では剥がせないレッテルを貼られていて、意思の確認の前段階で、そのレッテルによって選別されている」「私は女である以前に私という1個の人格であるはずなのに、どうやら性別とかいうやつに関しては例外らしい」などと思っていた。ある種諦めてすらいたと思う。

それからなんやかんやあって、FtX という言葉と出会って今に至るわけだが、今日の子供たちは、どうだろう。あの日、私が選択肢に入れることすらできなかったものを、選ぶ対象として差し出されているのだろうか。

人事採用などでやれダイバーシティだ多様性だと声高に叫ぶより以前に、顧みてあげるべきものがある気がする。何かと例に出すと嫌がられる北欧の某国だが、このテーマに関してはかの国の方が「羨ましい」と私は思う。NHKが取材したところによると、かの国では子供に「男児向けと女児向け、両方のおもちゃから選ばせて遊ばせる」らしい。

性の前に己がある。そんな当たり前が、真の意味で当たり前になる社会が、いずれやってくることを願ってやまない。

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