作品レビューNo.2/隣人はA.I/雲収集業者
見る角度によって様々に姿を変える雲を、子どもはケーキに見えるとかクジラに見えるとか言いあい、想像の世界を広げて楽しむ。
快晴の青空を見ていると、少し不安な気持ちにさせられる。そんな中に雲が一つでも浮かんでくれれば、拠り所となって安心を覚える。心は毎日が快晴でなくてもよく、曇ったり雨が降ったりしてもいい。希望に満ちた毎日だけではなく、絶望に沈む無気力な日々があってもいい。
日本のJ-popバンド「SEKAI NO OWARI」は、世界が終わってしまったとも思えるような絶望の淵から、残された音楽というツールを手にとり何かを起こしたいという気持ちを核に活動を始めたという。バンド名とは対照的な明るく前向きな曲が特に人気を博しているようだ。
一方、雲収集業者は、ポップな音楽の中に表現されるディストピア観に最大の特徴があるように思われる。なくしたものや手に入れられないもの、いわば深刻な喪失感を核としてそれにまつわる人間の感情を描いているように感じられる。エンディングはカタストロフの到来で締め括られることが多く、筋書きを追えば追うほどにユートピアから遠ざってゆく哀切を漂わせる。またコードワークや編曲の在り方はテクニカルで前衛性に富み、新たな音楽的地平の開拓に対して野心的であると言える。特にメロディラインはポップスのそれとしては異様といってよく、ジャズにおけるインプロヴァイズの発想をそのままボーカルラインに採用したような、器楽的側面が確認される。
▲1st・2nd・3rdアルバムのクロスフェード動画。「雲を集める」「地上1センチ未満の空」「隣人はA.I.」など、パラドキシカルで独特なアルバムタイトリングが常態となっている
冒頭に書いた通り、雲の形は観測者によって自由な解釈ができる。このバンドにおけるボーカルにはある種雲に似た性質があり、それは抑揚や表情をあえて抑えた歌唱法に表れている。悲しみが伝わるように、喜びが伝わるように歌うというよりも、あくまでニュートラルな表情で言葉を発する。この工夫によってリスナーは彼らの「雲」を色の付かない自由な態度で観測することができ、そこから何を感じ何を考えるかは聞き手それぞれの采配に任されることになる。
-概要
・アルバムタイトル/隣人はA.I
・ジャンル/pops
・作家名/雲収集業者
あおい/"ボーカル、朗読担当エージェント"
ハマサキ/"エレキギター担当エージェント"
ねむ/"DTM担当エージェント"
・初出/2019年春M3
・購入/「Tokyo Future Music」にて通信販売あり
-レビュー
1.午前8時の地球脱走計画
アルバム1曲目。2016年6月24日投稿の「鳥になったら」を思わせる快活なバンドサウンド。地球(=社会、不自由)に対応する概念として宇宙(=非社会、自由)が据えられ、しがらみを越えて大気圏外に脱出するというカタルシスが演出される。PVにはグーグル・アースプロの画像が使用されており、中央線新宿駅から高尾駅までの路線を一気に駆け巡る疾走感を楽しめる。
2.カラクリロボット<Album ver.>
2018年10月05日に投稿された同作のアルバムバージョン。面妖。丹念なシンセサイザーの音作りに、祭ばやしや琴といった日本的な音楽要素が組み合わされて、時代不詳な雰囲気を生み出している。リリックを追うと、正体不明のカラクリロボットが前触れなく江戸の日常を破壊するという極めてディストラクティブな内容を見せており、最後にはやはりロボットが前触れなく大破して、強引ながら設定に相応しい唐突な終幕を迎える。
3.ベルガモットカルガモットティータイム
速度の高いボサノバの曲調をとる。オルゴール状のイントロを端緒にAメロの晴明なコードワークが展開されるが、Bメロでは転調感や陰りといった複雑な味わいが付与されている。サビでは1小節ごとに変化するコードに見られるよう、情報量の多さが顕著になるが「ベルガモット」と「カルガモット」の押韻による言葉遊びと、1タームごとに表れる「ティータイム」の歌声が、楽曲にまとまりのある編曲効果をもたらしている。
最後のサビ前の間奏はパーカッションの密度が非常に高く、このインストルメンタルな心的高揚が楽曲のクライマックスを招来する呼び水となっている。歌詞カードを確認すると「木星」「大赤斑」「ワームホール」といったワードが並び、舞台設定にどことなくスペースオペラの意匠を感じさせる。
4.Vtuberになりたい
2018年09月28日に発表された作品。変身願望という人の思念が今日的な「Vtuber」とからめて敷衍される。わかりやすいタイトルとわかりやすい歌詞に加えて、間奏後の「Vtuberになることで実現できる変身例の列挙」が、アルバムの曲中でも取り合わけわかりやすく、また健康的な魅力を発揮している。この曲において、暗さや陰鬱さといった否定的な要素は人間が意識的に感知することができないレベルにまで引き下げられているか、或いは完全にシャットアウトされている。この、かげりのないサウンドが、アルバムの中で果たす役割は、その読後感の決定において重要であると考えられる。
5.自殺現実旅行
最もシンプルな編曲を施された一曲。この曲についての説明を試みる場合、二通りの方法がある。
1.オーソドックスなバンドサウンドをバックに歌われるものは"絶望"であるが、その反面曲想は軽快で「夏を散歩しているようで爽やか(クロスフェードの解説より引用/あおい氏)」といえる。
2.軽快な曲想のバンドサウンドであり、シンプルな楽器構成と平明な編曲も相まって大変聞きやすい一作となっている。その反面リリックは"絶望"を匂わせ、明るい曲調との対比が浮き彫りになっている。
ただし、注意して聞くと、バンドサウンドそれ自体にもどこか暗鬱な性質が含まれており、ボサノバの形容にしばしば用いられる「けだるさ」のような倦怠感が支配している。もっとも、この感想を抱かせるものが歌詞の効力だとすれば、カラオケ音源の状態で聞いたとしても、同様の印象は引き出されない可能性がある。この曲の説明方法が二つあると記したのは、その意味においてである。
なお、エンディングは2014年10月01日に発表された「RefRaiN」に親しく、ただしニュアンスは異なる。
6.エドゥアルトの復讐のロボ
タイトルに組み込まれた「ロボ」が「復讐」の語と合わさり不穏な空気感を醸す一作。三角波にフォーカスしたイントロダクションを挟んだのち、怨嗟をはらんだような(あるいは潤いをなくし荒涼とした精神の砂漠を示すような)通奏音を背景にAメロが始動。歌詞には「ギシギシ 軋むボディで行く」「沙羅双樹のほとりの沼」「憎しみの花」「人間たちに汚されてなお」「憎悪に震えて のたうちまわってた」といった、非常に粘性が高く強烈な印象を残すワードが配されている。
それだけに冒頭の「美しい その花」や「優しい人で在り続けた」のフレーズは、救いのない世界に咲いた救済の蓮華草としてその存在感をより一層強めている。歌唱レンジに注目すると、女性ボーカルとしてはかなり低い。エレキギター担当であり、この歌の作曲に大きく関わったハマサキ氏によれば、「メロディの音域作りのミス」ということだが、本項はじめに触れたとおり、曲タイトルの世界観を不気味に立ち上がらせるエンジンとしてボーカルを機能させる"怪我の功名"を呈しており興味深い。
なお「エドゥアルト」は「エドワード」に対応する人名。
7.マミムメイドロイド
作品の展開を追う。バロック調のフレーズを奏でるチェンバロを導入として始動。作中では"メイドロイド"とするロボットの一人称視点によってストーリーが展開。3分強の短さの中にも、歌詞には「ワタクシ」「ご主人様」「取り戻しに参りました」といったロボットライクな特徴づけが施されており、これをあおい氏が歌うことで聞き手にアンドロイドの存在をリアルにイメージさせている。
インターバルには語りが入り、シンセサイザーがオーケストラ様の重厚な和音を奏する。ラフマニノフ、あるいはその系譜上にある久石譲といった作家を彷彿とさせるロマン派的な音使いが、作品の白眉を感動的な時空間として総括している。
運命を変える代償におんなじ変化が必要で
だから残された時間はわずか
(雲収集業者「マミムメイドロイド」より引用)
なお、Cメロ部分には上掲の歌詞があてがわれている。「運命を変える代償には同等の変化が必要」とする原則は、物理法則で言うところの「運動の第3法則」に通じ、近年の作品ではSF映画「インターステラー」での用例が記憶に新しい。
「ニュートンの運動第三の法則・・・前に進むには、後ろになにかを置いていかなければならない。」
(映画「インターステラー」より引用)
▲映画「インターステラー」におけるブラックホールのCG演出
なお「マミムメイドロイド」という言葉遊びについては2016年2月13日に発表された「夢幻鼓笛隊は世界をまわる」でも同様のアイデアが確認される。
8.タイムマシンに乗って
バンドサウンドが高速度で展開される。Aメロではグリッチーなパーカッションを皮切りに減衰処理したキーボードやベースが言葉少なに絡み、シリアスなコードプログレッションながらも体感速度の比較的緩やかなBメロへ接続する。サビの前半はメロディの音価が長く、解放感がある。一方サビの後半は畳み掛けるように歌詞の語数が増やされ、楽曲のクライマックスを示してしている。
なお、随所に入るバグパイプの音色は、タイムマシンの「過去へ遡る」という禁忌にふれるであろうその性質の深刻さを演出するようにも思われる。
9.NANASHI 乃 SYSTEM
2015年08月17日に発表された作品のリミックス。初投稿時のタイトルは「NANASHI NO SYSTEM」で、ボーカルにはVOCALOIDの初音ミクが使用されている。クロスフェードでは音楽的あり方において影響を受けた人物にルイス・コールを挙げており、オリジナル作に新たな風を取り込んでいる。作中にはマシーンのエラーによって発生するバグを意図的に表現したような、いわゆるグリッチサウンドが随所に散りばめられ、その中をシンセサイザーのアルペジオが狂ったように上下行を繰り返す。メロディの音価は4分音符のみで完全に統御され、一切の例外は認められない。音像はエッジーかつソリッド、全体として異様な構築物といったカオスな印象の中にもかろうじて残すポップさはあおい氏の歌唱に与るところが大である。
▲LOUIS COLEの作品はSpotifyで聞くことが可能
10.妄想
※楽曲に関する解釈を含むため作品を聞いていない方はご注意ください
アルバムの最後に置かれた一曲。雲収集業者の作品は、多くの場合、ボルテージの最も高まるサビの歌詞がそのまま曲タイトルになっているが、本アルバム中でトラックが5の倍数の「自殺現実旅行」と「妄想」のみその均衡を破っている。
イントロダクションとして、物語性を示唆する12小節のオーバーチュアが設置されており、その後パーカッションを含んだ4小節の前奏によってストーリーの始発が綺羅びやかに装飾される。Aメロ以降は左右のチャンネルから様々なコード楽器の音が去来しカットアップ技法のような印象を生み出している。Bメロのコードワークはダークで、メロディもこれに対応して低いレンジに沈潜しサビとの対比に抑揚をつけている。
「あなたがずっとカノジョに言ってほしかった言葉」の歌詞は特有の雰囲気を放っており、それは大きく場面転換するにも関わらず歌詞が途切れないで一息に歌われるという特徴に最大の魅力がある。それまで鳴っていたパーカッションが一気に退いてボーカルにスポットライトが当たる演出もシリアスな空気を作って巧みである。
さて、繰り返し叫ばれる言葉がタイトルになる先例(「カラクリロボット」「ベルガモットカルガモットティータイム」「Vtuberになりたい」「マミムメイロイド」)を鑑みれば、この曲のタイトルは言うまでもなく「だいすき」にならなければならない。しかし、そうはならなかった。この点にメスを入れなければならない。
主人公が研究の成果として生み出した"ヒューマノイド"は意中の"カノジョ"に擬して作られた存在であり、曲のはじめに「ココロ機関が成熟すればワタシが完成します」とあるように、伏線が張られる。つまり、精神的内実に至るまで"カノジョ"を精巧にコピーするということは、現実世界と同様、主人公を好きになってくれることはない、という救いようのない悲劇を示している。本作「妄想」において描かれるのは「妄執」であり、諦めきれない"カノジョ"を自ら作ってしまうという、世に言うマッドサイエンティストのような狂気をはらんでいる。
さて、この作品には歌詞上の視点移動が設定されており、ヒューマノイドの"ワタシ"の視点から"僕(ヒューマノイドを製造した主人公)"の視点へ遷移する。その境界は「電源ボタンをそっと押し 落した(歌詞カードママ)」の箇所で、その後は主人公の独白体(或いはストーリーテラーの視点)によって物語が進行する。
なにがしか思い当たる節があり記憶に検索をかけたところ、この意匠は「新世紀エヴァンゲリオン」における碇ゲンドウと綾波ユイとの関係に近いと気づく。ただし、綾波ユイがエヴァ初号機の中に魂つまり精神体として宿っているのに対し、本作ではヒューマノイドという器、すなわち肉体が先に築かれ、これに精神を宿すという逆手のアイデアが働いている。
▲「新世紀エヴァンゲリオン」HDリマスター版のBS放送予告
見落としてはならないのが「妄想」における主人公の、意中の女性に対する称号である。ヒューマノイドの電源を切った直後からは、カタカナ書きの「カノジョ」から漢字表記の「彼女」に変化しており、これは歌詞カードに目を通さなければ気づくことの難しいギミックである。
例えば漫画本においては、母親に連れられた幼児が飛翔体を指すシーンで、その子の台詞を「ヒコーキ!」と表記することがある。まだものの区別が付きにくい年齢では、フリスビーも風に煽られるビニール袋も上空を飛ぶ鳥の一団も一括して「ヒコーキ」と認識されてしまう、その認知的未熟さを描写する表現技法として人口に膾炙している。
主人公にとって、相手の女性が「カノジョ」とされていたときには、飽くまでその女性が自分の「カノジョ」になってくれればよいという、自己の願いの成就に重きが置かれ、表記が「彼女」に変わってからは、他でもないその女性本人が幸せになってほしいという、他者への尊びと愛によって、次のような行動を起こさせている。
それは、元来自分の願いを叶えるために「彼女」を模して作ったヒューマノイドに、「あいつ(彼女と結ばれた彼氏)」のヒューマノイドを作ってあてがい、その2人(2体)を再び結ばせるという、皮肉なものであった。ヒューマノイドとなった2人は、恐らく永久の命を得て、他者の介在を許さない永遠の愛を保障されることになる。
この対応をもって「僕が彼女を幸せにしたんだ」とする主人公だが、直後に「ぼくが」という主語人称代名詞を再度呟く様が伺える。他者から受ける愛を渇望してしまう個体生命としての呪縛から解脱することは難しい。
音楽的雰囲気はウッドブロックやハマサキ氏のギターによって軽快な進行を見せるが、一方まるで"取り憑かれた"かのように掻き鳴らされるバックシンセサイザーの有り様は、殆どおぞましいといってよく、大衆的なポップミュージックとして聞くからこそ、その逆照射によって否が応でも強調される狂気的な美しさが、複数の楽器によって重層化された不協和音と共に聞き手の思考へとなだれ込んでくるこの複雑な感動は、雲収集業者の独自性として確立されつつある。
なお、三度訪れる「だいすき」の連呼は徐々にそのニュアンスを変化させている。最後は夢の中で「彼女」と親しく過ごすシーンが描写される。エンディングで連呼される「だいすき」は、現実では「彼女」に伝えられなかった後悔を夢の中で解消するためのものなのか、或いはヒューマノイドがエラーを起こして壊れたスピーカーのように呟き続けるものなのか。読者諸兄姉の考察を仰ぎたい。
ともあれ、曲タイトルが「だいすき」とあっては、恋慕の情に囚われ、生きる妄執と化した主人公の哀れな側面を強調しすぎる嫌いがある。うまく生きられない主人公の葛藤は、自己卑下的で、かつ客観性を残した「妄想」というタイトルにこそ、よりよく収まるはずだ。
-まとめ
1stアルバムのオーバーチュアでは次のように述べられている。
飛行船に乗って行こうよ
絶望 連れて
最初から なんにもないさ
最後まで なんにもないさ
(「Welcome to The Cloud Capture Industry」より引用)
雲収集業者の活動方針にオリジナリティがあるとすれば、それは希望を与える歌や苦しみを取り除く歌を作るのではなく、あくまで聞き手のあるがままの精神状態を受容する時空間を提供するという制作上の態度に、その真髄があるように思われる。
現実逃避の場を提供し非日常への逃避行動を推奨するのではない。絶望を否定せず、むしろ絶望を引き連れて旅へ出発しようというのだ。
それらのダークな歌詞がポップな音楽に乗ることでミスマッチが起き、ある種の狂気や不気味さを感じさせ、複雑な彩りを発色している。
多くの作品ではエンディングに不穏なゾーンが施工されていて、聞き手はここに差し掛かると必ず洗礼を受ける。贖罪感や後味の悪さ、或いは海底から僅かな光芒を仰ぎ見る憧憬をイメージさせるものなど、読後感は曲ごとにその趣を別にしており、その余韻は小説のように様々だ。ただし、通底する「ディストピア」の概念が活動上の大きなテーマになっていることは間違いないだろう。
筆者は、この「ディストピア」で対峙した絶望を、魅力ある音楽作品群として世に還元し続ける雲収集業者に、「救済」の何たるかを深く考えさせられている。
..-./../-.
【訂正情報】
2019.5.18
9.NANASHI 乃 SYSTEM
※脱字
旧 切の情報
改 一切の情報
10.妄想
※接続詞「さて」の連続を忌避
旧 さて、この作品には歌詞上の視点移動が設定されており
改 なお、この作品には歌詞上の視点移動が設定されており