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「たとえ」はスゴイ

こないだ飲み会でみんなと話していて、改めて感じたこと。

「例え話」の正確性?

 「例え話」って、以前はあまり好きじゃなかった。なんでかというと、その例えが正しいかどうか、誰もわからないから。例えがどれくらい的確かは、例える前と後の両方を詳しく知っていないと分からないので、ジャッジできないし、ジャッジできるのであれば例える必要は無いし。そもそも、たとえ話の正確性を数値化できないし。(なんか方法ありそうだけど)

でも「例え話」は効果的

 だけど、例えないと、説明しても納得してもらえない、腑に落ちない、言いたいことが分からない、ってことがけっこうある。もしくは、説明に長い時間が必要だったり。会話に齟齬が生まれやすい。酔っぱらってると、この傾向が顕著に強くなる。(笑)
 一方、例えるとスッパリ分かったりすることがよくある。

 加えて、初心者には価値や違いが判別しにくい事がたくさんあって、スポーツ競技や、音楽、絵画や陶芸などもそうだろうと思う。スポーツ競技は、数値化されると分かりやすいけど(100メートルを何秒とか)、数値化できないものは違いが判別しにくい。登山はピオレドール賞とかはあるけど、大会がないので、特に顕著だと思う。クライマーたちの違いを説明してもらっても、理解がとても難しい。ジャッジ種目全般(フィギュアスケート、シンクロ、エアリアル、モーグルのターン点、基礎系スノーボードやスキー、などなど)もこれに当てはまる。初心者にはトップ選手たちの違いが分かりにくいし、説明してもらってもピンとこないので、何かを部分的にでも数値化してもらったほうが分かりやすい。フィギュアスケートなどで技ごとに点数が決まってたり、モーグルやスキージャンプなどで点数を分割したり(スピード、ターン点、エア点に分けたり、飛距離と芸術点に分けたり)、ってのは、競技者に対するメリットもありそうだけど、見ている観客にとってのメリットも大きい。

「例え話」の有効性

 そうゆうときに、「たとえ」って有効だな、とすっごく思う。むしろ、例えないと理解できないことも多い。

 将棋の 藤井聡太 棋士が、「劣勢になるとマインスイーパーみたいに地雷をバラ撒き、相手が1つでも踏むと形勢が逆転する」という例えや、「バスケットボールで残り8分で15点差は、野球で言うなら、9回5点差、満塁ホームランを打っても届かない」という例えなど。他にも、ムチャな挑戦について、「普通の高校球児がメジャーリーグにいきなり入る感じ」とか。正確性はどうあれ、とにかく分かりやすい

 っていう話をしてたら、「釈迦は、仏教の理論を伝えるために『たとえ』を多く使っていた。そうしないと、たどり着いた状況や理論について理解してもらえないから」っていう話を聞いて、メチャクチャ納得した。やっぱり釈迦はすごい。

 最近、「細胞の機能を調べる研究」について、宇宙船(UFO)で例えるのを試している。
 「細胞がどうやって生きて動いてるか、って、ぜんぜん分かってなくて、たとえばUFOが発見されて、どんな原理か分からないけどなぜか飛んで動いてて、その機能を調べるために、パーツを1つずつ取り出して動くか調べたり、パーツを増やしてみたり、という感じ」みたいな。分かりやすい例えだと自分では思ってるんだけど、どうだろう?

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