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何も知らないわたし、ルーシーと出会う

その頃、わたしは大学生で東京に住んでて新宿とかでよく遊んでた。新宿のゴールデン街とか花園神社周りに面白いクラブとか喫茶店とかバーとかあって、田舎から出てきたわたしはその辺に文豪がいるとなぜか信じていた。きっと過去に読んだ本の中に出てきた土地の名前だったのかもしれないし、不夜城という小説に影響を受けていたのかもしれない。

ルーシーと出会ったのは新宿のクラブで彼女は歌舞伎町のキャバクラでバイトをしていた日系カナダ人の女の子、ご両親が日本人でカナダに移住して彼女が生まれた。当時19歳でカナダのパスポートと日本のパスポートを持っていて夏休みで日本に出稼ぎにきていた。彼氏は歌舞伎町の外国人ストリップバーでボーイをしていた西アフリカ某国出身で外交官の息子で特別なパスポートを持っていると言っていた。本当かどうか知らない。

わたしとルーシーは夜の新宿で何度も会うようになって連絡先を交換して昼間も会うようになった。彼氏との相談を受けつつもわたしの見たことのない世界観だったのでただただ話しを聞くだけだったけど、一人日本語と奮闘しながら接客業を頑張っていた彼女にとっては息抜きになっていたのかもしれない。彼氏はフランス語がネイティヴで日本語も上手で英語が苦手だった。彼女にとってはこれが最大のストレスとなっていた。

夕方(歌舞伎町)一番街歩いてたら勘違いされたのよ。目があったらニコってするじゃない?そしたら、いくら?って聞かれたの。売春と間違えられちゃった。文化の違いね。
え?これって文化の違いなの?歌舞伎町が特別なんじゃないの?わかんないけど。

まだまだ世間を知らないわたしにはルーシーとの時間は別の世界を見る窓となっていたのかもしれない。ルーシーと一緒にいて驚くエピソードはたくさんあった。キラキラとは言い難い、どちらかと言えばギラギラした歌舞伎町のアグレッシブな明るさは混沌とした先が見えない漠然とした人々の不安を掻き消すためにあったような気もした。お気楽な学生だったわたしには関係なかったけど。

ご両親とも日本人なのにルーシーの醸し出す雰囲気は全く違った。日本語を話している時ですら彼女のスピリットは日本にはなかった。お化粧の仕方も当時の若い女性はアムロちゃんやあゆを目指していたけど、ルーシーはMACのモデルさんみたいだった。実際、MACの化粧品を愛用していた。

ルーシーはアフリカンの彼氏と激しい喧嘩をしていた、その度にどちらからも連絡があって3人で大戸屋で遅めのお昼ごはんを食べるのが復活の儀式のようだった。毎回喧嘩の内容は彼がお店の女の子と仲良くしていることに由来していた。彼曰く、お店をうまく回すための社内営業だ!彼女は浮気だ!という。罵声し合うくらいできればよかったのかもしれないけどかたやフランス語、かたや英語で深いところまで話し合いができず、ルーシーの帰国前に二人は疲弊し別れることになった。たった1ヶ月のお付き合いだったけど。

成田空港に向かう電車の中、わたしたちは静かだった。あんなに笑い合っていつも騒がしかったけどお別れが近づいてセンチメンタルな気持ちになっていた。

わたしにとっては初めての国際線ターミナル。色んなん言語が耳をかすめる。思わずキョロキョロと見回してしまう。なんと天井が高いこと。

チェックインを終え身軽になったルーシー。

なんか食べようよ!最後はお寿司がいいの!

二人で空港のお寿司屋さんに入った。

ここのカッパ巻きが好きなの。食べてみてよ!

星切りのきゅうりにゴマがまぶしてあって、初めての食感だった。

美味しい!今までカッパ巻き好きじゃなかったけど、これは好き!

今でも自宅でカッパ巻きをする時は細切りきゅうりとゴマの組み合わせにしている。口にすると空港の天高が未来っぽくてわくわくしたのを思い出す。


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