もう一人のムハンマド

ムハンマドの電話が鳴る。アラビア語で何やら喋っているけど、わたしにわかるのはインシャアッラーくらい。

さあ、行こう!友達を紹介する。語学学校で知り合ったんだ。君の話もずっとしてたから。

私たちはアントワープ駅の方に向かった。駅前で多く見かけるオーソドックスなユダヤ人たち。そして立ち並ぶダイヤモンド商店。そこをくぐり抜けて行く。

ワッサラームアレイコム ワアレイコムサラーム

見た所20代前半の男の子がいた。

彼の名前もムハンマドだよ。話してた、日本の友達の梓だよ。

ガザ人のムハンマドが日本人のわたしにシリア人のムハンマドを紹介し、わたしのことも紹介してくれた。

やっと会えたね、いつもムハンマドから話は聞いているよ。日本に友達がいるって。君が来るって決まってそりゃもう毎日ね。ベストフレンドがアントワープに訪ねてくるって。

ガザ人のムハンマドは笑っていた。

君は料理をしてるんだろ?パレスチナ料理もするって。シリア料理の方が美味しいよ!僕の妻も料理は最高だよ!あとでうちにおいでよ。妻を紹介するし、お料理も教えてくれるから!

年若いシリア人のムハンマドは既婚者だった。そして年は23歳。

婚約したのは3歳なんだ。親同志が決めたんだけどね。5歳の時に初めて会って。幼なじみって感じかな。22歳の時に結婚したんだ。結婚した時はもうシリアは大変なことになってて、僕はシリアを出る決意をした。最初はロンドンにいる叔父を頼ってイギリスに行こうとしてたんだ。歩いてトルコまで行ったよ。ニュースで見ただろ?難民が歩いてヨーロッパに向かうの。まさにそれ。トルコからギリシャまで船で行って。そこからまた歩くんだけど、ロンドンの叔父が急逝しちゃって。もうどうしようかってなって。まあ色々あってベルギーで難民申請したんだ。僕が本当にラッキーだったのは家族ビザがもらえて妻を呼べたこと。妻がシリアを出国した直後にトルコとの国境が封鎖されたんだ。もし彼女がシリアを出られなかったら、ビザがおりなかったら。もう会えなかったかもしれないし。それは誰もわからないけど、とにかく幸運だった。好きな人と一緒にいられるんだから。喧嘩もするけどね。

こんなぱっと見、まだ子供みたいな彼が数百キロも歩いて危険な船でヨーロッパに向かうって難民になる壮絶な経験をしていた。


++訪れてくれるみなさまへ+++

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