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職業は生み出してもいいんじゃない

わたしの職業、パレスチナ料理研究家

それって何ですか(笑)??

と言われることの方が多い。多いというよりほとんどそうかも。

小学生高学年、そして中学生のころのなりたいものは、旅をしながら写真を撮ることだった。でもそのうまい職業名を知らなかったし思いつかなかった。今ならば紀行家という名前が思いつく。

わたしがパレスチナ料理研究家と名乗り出して早4年が経った。
パレスチナは狭い領土とはいえ、食文化の微妙な違いがある。南と北だと同じ名前がつく料理でも味が違ったりする。
日本で、お雑煮が地域によって味が違うようなものかもしれない。
各地でホームステイをし、それが難民の人たちの家庭だったりもする。そうすると彼らの味のベースは今いる場所ではなく、避難する前の今はイスラエルとなってしまったハイファやアッコ、またジャッファだったりすることもある。占領から70年、今の作り手は”故郷”に行ったことがないけれど味や刺繍の柄など伝統は守っているのだ。いつか帰れる日がくることを信じて。

料理以外にも細かいパレスチナの忘れられそうな消えた町のことや西エルサレム(イスラエル側)に残るパレスチナを記録したりもしている。特に力を入れているのはエルサレムの入り口リフタ、そして高級住宅地カタモン。過去そこに住み難を逃れた人や、そこの場所をイスラエル政府から与えられたユダヤ人、どちらにもインタビューをしている。研究に限りなく近い趣味だ。

写真の門扉(場所:カタモン)はMの文字が隠されている。それはMohammed かもしれないし、Mahmudかもしれない。1948年(イスラエル建国)以前に住んでいた人のイニシャルMだ。

このような好きを邁進した結果、少しずつパレスチナ料理研究家というものが認知されてきた。認知された結果

明日は中学校でパレスチナ料理の調理実習の講師します!

信じられますか?パレスチナ料理研究家と勝手に名乗り出して、公立の学校からお呼ばれがかかるって!ゲスト講師ではあるけど、県の仕事なので、この仕事のギャラはみなさんの税金から支払われるのです。ありがとうございます。これは税金からお給料がもらえる自慢ではなく

なにその仕事(笑)?

から、県や市から公共の仕事としてご依頼頂けるようになったという実例の1つだということを言いたいのです。だって、税金って重要じゃないですか?それを使ってまでパレスチナ料理研究家を学校に呼ぼうとなるわけですよ!驚きじゃないですか?

明日授業を受けてくれる生徒たちは明日のためにパレスチナについて調べているそうです。どんな国なのか、本やネットを使って想像して発表をしてくれるそうです。

わたしの第一の目標はパレスチナに興味を持ってもらうためのきっかけになること。

目標に近づいてきているではないか!

そして担当の先生から

生徒たち、一生懸命たくさん調べてましたよ。興味津々です。

とご連絡いただいたのです。もうわたしの資料もいつも以上に気合が入ります。

初めて勤めた会社は誰もが知っている会社だった。だから会社名を言えばそれ以上聞かれなかったけど、その分、会社のイメージが先行して誤解もあった。でもお給料は断然よかった。仕事自体も嫌いじゃなかったし、同僚や上司、他部所の人たちにも恵まれた。数百億の売り上げ達成した時は達成感も充実感も味あわせてもらったし、未達の時は悔しくも思った。

今日のこのワクワクは全く別物なんです。だから職業って自分で編み出してもいいんじゃないかなーって思います。(どっちの選択もアリってこと!)

数値では計れない充実と昂揚。


しかし今年はもっと数値も向上させたいと思っていることをここに記しておく。



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