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参考程度・同化ユダヤ五波(修正版)

♪西洋史の無駄メモ

8年くらい前、図書館で、サクサク分かる!とか、初心者系の
本を何冊か、半紙にメモした、無駄テキストである。

半紙を、テキストで打ち込んで、非常に
無意味な労力を使っており、捨てるのも
抵抗があって、取っておいたのを晒す。

前の年表等もそうだが、面倒臭そうな
部分は飛ばし、誤字脱字、見間違い等、
そのまんまにしており、正確性はない。

ところどころ、修正と補足している。

とりあえず、参考程度であるが、
ユダヤ人が、5回くらいに渡り、縄文~日本に移動
した時期
を、あやふやだが、それなりに書いてみた。

♪ヘブライ人と華僑

書いてる最中、思いついたので、
メモの前に挿入してみた。

当方の仮説で、深い意味はない。

以下は、前々回の復習。

BC4000年前くらいまでの時期は、褐色、青目土人
方が多勢で、白人の狩猟採集民族は、少数派だった。

BC3000年前、西ユーラシア系統土人の、コーカサス
狩猟採集部族とやらが、シナイ中東の、イラン農耕民
と混血した。

こいつらを、ステップ(草原)地帯遊牧民と言い、
アナトリアに、ヤムナ文化を形成した。

ヤムナは、馬の家畜や荷車を開発して、
家畜の元祖を作った。

ヤムナ草原遊牧民は、高身長で、褐色よりは
明るい色の肌、黒、茶色の髪をしており、騎馬で
狩猟をしていた。

イランら辺の、ヤムナ草原遊牧民は、インド
にも進出し、いわゆる、アーリア人と呼ばれ、
先住インド人を支配した。

ユダヤ人とシュメールが、どっから来た民族なの
かは、ウィキを見ても全く分からん。

ユダヤ人は、伝説上では、シュメールのウルが
発祥だが、エジプト人、フェニキア人(地中海)、
アーリア人
など、いろいろな説がある。

ここから仮説でごじゃる。

仮説だが、ヘブライ人なる部族は、方々、諸地域
で混血、土着しており、最初から、原型が存在
してないのではないか、
とも思う。

もとより、方々で分散して部族を
形成しておる民族であるということだ。

なので、エジプト、ギリシャ、バビロン
などの、帝国の中枢に入り込んだり、その
一角に居住地を作ったりしている。

縄文人とユダヤ人だけに残ってる、民族のルーツ、
YAP遺伝子が、イスラエル人に少ないのは、分散民族
と、戦争で、大部分が死んだのが原因である。

現代の華僑みたいなもんである。

が、ユダヤ人は、部族同士仲が悪く、都合が
悪くなれば、他の部族を陥れたりする。

聖書を読めば分かるが、ユダヤの預言者の
何人かは、帝国の神官を務めていたり、
他民族に入り込んでるエピソードがある。

部族同士で仲が悪いエピソードも、
確か聖書にあった筈である。
(気が向いたら確認してみる)

エルサレム建国まで、ヘブライ諸部族として、
各地で混血して、狡賢く生存していたのである。

その一部が集結して、国家らしき場所を
やっと作ったのが、イスラエルと、カナン
(華南)こと、倭の出雲王国
なのでがるる。

で、仮説2である。

エジプトのピラミッド建築に従事した
ユダヤ人技術者が、フリーメーソン(ギルド)
を作ったのである。

エジプトの部分、田中教授の
動画にあったか不明である。

こいつらもまた、各地に分散して、各王朝や
帝国で、ピラミッドの技術で、伽藍を建築
していたのである。

クノッシス宮殿、バベルの塔、ファロスの大灯台
なども、フリーメーソンこと、ユダヤ人技術者の
作品なのである。

倭においては、出雲の空中神殿や、前方後円古墳、
藤原京
などが、石工から木造に建築方法を変更した、
こいつらの作品である。

建築のフリーメーソンだけでなく、モーゼの
ような、剣士や、預言(密教)に秀でた人物
も、
各地の中枢に入り込んでおり、聖書に出てくる
のは、こういう連中である。

フリーメーソンは、聖書ではカットされて
おり、優れたユダヤ人との格差で、奴隷従事
させられていた、大勢のユダヤ人の部分だけが、
強調されていたのである。

♪西洋史メモ 大きく修正


五波の部分、かなり修正した!

見てなかったので、田中教授の動画に
基づいて、五波を修正した。

トップページに、唐突に出てきたので、
今、拝見して知ったww。

モーゼの時代まで遡ると、学会から
追放される
ような感じである?

そこから先は、我々、オカルト集団の領域であるようだ。

キリストやモーゼは、オカルト領域。

オカルトだから、何を空想しても構わないと
思うのだが、アテン神革命は、オカルトではない。

モーゼの実在は、田中教授ではなく、副島隆彦氏の
で初見しているのだが、縄文まで来たとは書いていない。

考古学的証明が無いから、到達は、
信じる信じない、の、レベルであるww。

雑学ミステリーの、宇宙人の方は信じていない。

そこまでいくと、キチガイだと思うので、
モーゼが、ギリギリのラインかもしれないww。

で、科学的な方の、ボーダーが、バビロン捕囚の頃らしい。

それが第一波と話している。

一応、モーゼの頃も、小さい波として入れてみた。

中央アジアから、ユダヤ人の大集団が
移動した時期が、5波で、それ以外の時期は、
カウントしていないようである。

に、しても、いきなり大勢来るわけがないから、
小集団が、多分、来ていた時期として、スモール・
イミグレーション
で入れてみた。

小波(スモール・イミグレーション)と、大波
(ラージ・イミグレーション)
に分けてみた。

ちなみに、ネットでは、渡来と移民は、共に
イミグレーションが使われており、帰化は、
ナチュラリゼーションである。

国籍の取得といった意味合いなので、国家が
出来て以後の、移民的行為が、帰化と考えて
いいのかもしれない?

↓ 修正した五波だが、西暦以後は、詳しく
  話していないから、曖昧である。

再度修正するかもしれない。

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ここはオカルトの領域

・小波1

BC3000年以後、ノアの箱舟やアブラハムの時代。

シュメールや、宇宙人説もあり。

・小波2

BC1250~1000年頃、アテン革命で追われたユダヤ人。

関西のっどかまで来た、という仮説は、マイノリティである。

信じる、信じないのレベル。

ソースは、カルト教団ではないぞ、
当方の、野生の勘である。

===============

ここから学問の領域

・大波ー第一波

BC660年頃、と話しているが、ユダヤ史では、
イスラエル王国が、BC722年にアッシリアに
征服、ユダ王国が、BC586年に新バビロニアに
征服
されており、年代から言うと、イスラエル
王国の移住者
ということになる。

ダビデらのイスラエル王国は、北イスラエル王国
と、南ユダ王国に分裂し、イスラエルは滅んだ。

イスラエルが滅んだ際、クビ長クラスの、
10支族が、追放され、行方不明になった。

ウィグル、キルギス、タジキスタンら辺に、
追放ユダヤ人の土地が出来て(出来ていた)、
後に、月氏国と呼ばれる。

BC660年に、神武天皇が即位した。

田中教授は話してないが、補足として、BC700年頃、
アケネメス朝ペルシャ王国で、ゾロアスター教が起きた。

ゾロアスター教は、ユダヤ教のモデルになった?

ゾロアスターは10支族の誰か?

保江博士は、ゾロアスター教徒の誰かが、岡山
まで来て、ピラミッドを作った
と話している。

そいつもユダヤ人か?

・小波3

BC221年頃、徐福が2000人程度の小集団で何故か移民。

ユダヤ人のルートは、10支族で出来ており、探検ではない。

==============

またオカルト枠。

・小波4

AD30年~、キリストが沖縄のどっかに来た。

===============

ここから学問枠。

・大波ー二波

AD68~73年、第一次ユダヤ戦争。

AD135年、第二次ユダヤ戦争で、ディアスポラが起きる。

AD173年~、卑弥呼登場。

年代不明、九州あたりで倭の大乱。

AD184年、黄巾の乱。

キルギスーウィグルの、月氏国から、18000人
規模の、最大のイミグレーション
が起きる。

ユダヤ人の移動は、第二次ユダヤ戦争以後と思われる。

ユダヤ人の大移動、倭の大乱、卑弥呼、黄巾の乱(三国志)
が連動しており、タイムテーブルの特定は、困難である。

田中教授の本や有料動画を視聴していない
ため、重要時期でありながら、不明である。

メモに崇神と書いてたが、天皇が不明である。

卑弥呼の頃が、応神天皇だとすれば、景行天皇、ヤマト
タケル、神功皇后(仲哀天皇)、三韓征伐、応神天皇

活動が連動しており、非常に複雑である。

ディアスポラのユダヤ人(弓月)ー班超ー黄巾の乱ー
道教ー三国志ー倭の大乱ー卑弥呼ーヤマトタケルー
神功皇后ー三韓征伐ー応神天皇?????

壮大な話になりそうだ!

・大波ー第三波

不明。

AD342年頃、満州の高句麗族が、南朝鮮に大移動した時期か?

高句麗族=ユダヤ人??

・大波ー第四波

三波か四波か不明。

AD400年~、朝鮮の、秦氏、漢氏が帰化する、
ユダヤ・フリーメソンにより、前方後円古墳が作られる。

教科書に載ってる、秦氏の移動時期。

・大波ー第五波

不明、藤原京の頃か?

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メモ、こっから!

年表は、シュメールから開始しておる。

ですます調で書いておる。

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◆オリエント◆BC3500年前頃

BC3500年前頃、黒海に、多分、地震による津波で、
海水が押し寄せ、洪水伝説(ノア伝説)の元話に
なりました。(或いは、隕石かもしれません)

洪水は、トルコのアララト山まで
達するような大氾濫でした。

というわけで、西アジア、アナトリアら辺で、
何らかの気候変動や、災害が始まります。

砂漠化などもおこり、被災した集団がウルク
(シュメル最南部ウル市の近く)
に移動して
ウルク期(5500年前~5100年前)が始まりました。
  
BC3300年前頃には、集団が大規模集落になり、
ウルクの人口が1万人を突破しました。
  
ウルク中期からウルク文化人が北イラク、
シリア、イランなどに進出して、地域の支配や
他民族との、鉄鉱石の交易を開始しました。

イラクのワルカなる場所では、石灰岩の神殿、でかい
列柱の神殿、白神殿なる複雑な造りの神殿が建てられ、
そして何故か豹、ライオンの骨が神殿に埋められました。

ウルク後期文化では、工芸(土器)職人や粘土板での
文字情報の伝達(最古の粘土板書)が発達しました。

絵文字が1200文字くらいあって、
これらがシュメル語(文字)になりました。

シュメル語は日本語や中国語に似た(膠着語)
独立言語なので、他の西アジア言語(セム言語など)
とは区別されます。

ウルク末期に向うほど、公共建造物がどんどん発達して、
ウルクの文字盤には、官職名や職業リストなどが載せられました。

複雑かつ大規模な公共組織が運営され、シュメル
都市国家
らしきものが発祥しました。

また、シュメルの初期創作神話(小説)
エヌマ・エリシュが成立して、エジプトや
オリエントの、多神教神話の原点になりました。
  
この前後期、イラクのチグリス・ユーフラテス
両岸流域に、メソポタミア文明らしきものが発祥しました。

◆オリエント◆ウルク期後のジャムダド・
ナスル期(5100年前~4900年前)

粘土板の文字など、シュメル都市文化は、
各地に広がりました。
  
この頃にイランでは、原ナムル文字が成立しました。

交易による、ウルク文字の影響から、エジプト
でも同時期くらいに、ヒエログリフ(聖刻文字)
が成立しました。
 
◆エジプト◆BC3000年前

エジプトで、シュメルから電波した、初期
創世神話(小説)が、この頃成立しました。
  
ヌーン(水の神)から発生した、
太陽神(アトン)が登場しました。

*ひょっとしたら、縄文文化の電波か?
 
この頃、エジプト王メネス(ナルメル)氏が、ナイル川
各地域の部族(王国)を、(武力?)統一して、第一王朝
が始まりますた。
  
ファラオ(大きな家の主)による、
エジプト神権政治が、開始されますた。

ファラオの王都(白い壁)が建設され、ネメス王朝
は、リビアやシナイ半島に遠征軍を送りました。
  
こやつらは、シナイ半島の銅山を独占支配
したので、貿易が弥栄えました。

この後に続くエジプト文明では、神殿(伽藍)事業
こと ピラミッドの土木工事を開始しますた。

この時期から、サハラ地域以外のアフリカ
南地方に、農耕が広まりました。
 
◆オリエント◆4900年前~4750年前

シュメル初期王朝1期時代、アッカド(セム系
(西アジア、北アフリカの人々)遊牧民族)

地域に、強大な王権(支配政治)が出来ますた。

その王朝を、キシュ地域第一王朝といいます。

◆オリエント◆4750年前~4600年前

シュメル初期王朝2期時代、ギルガメシュ王が誕生
し、ウルク地域第一王朝が開始されますた。

この時期に作成されたギルガメシュ叙事詩(神話)
には、ノア神話の元になったらしき、大洪水のエピ
ソード
や、アダムとイブ神話の元になったらしき、
大地の神ナームの神話が記載されました。

ナーム神話は、乱暴なギルガメッシュ氏が、反省
するのを、ナームの神が、我慢して耐えていましたが、
最後は神の方が切れて、必殺「禊の大洪水」(洪水
神話)
を発生させて、滅亡させるという内容ですた。
  
ナームの、立替建て直し(大峠)を生き延びた
ギルガメシュ氏は、不老不死の人物に合いますた。

むむ、宇宙人か?

わたいも不死になれまっか?と、氏、自ら、
永遠の命を探す旅に出ましたが、ガセ情報
だったので普通に死亡しました。

むむ、どっかで聞いたような?

で、これらの、シュメル冒険神話は、
ギリシャ神話等、後の英雄神話の源流になりますた。

◆エジプト◆BC1650年前

エジプト第3王朝ジェセル王が、階段ピラミッド
(ジグラット)を建設しました。
  
そして王=神的な、神権政治(支配政治)をしますた。

◆オリエント◆BC2600年前~2350年前

シュメル初期王朝3期時代、イラク(ウル地域第一王朝)
の、シュメル地域とアッカド地域の諸都市間抗争が激化しました。

女性祭儀官の息子でユーフラテス川に葦の籠で流された・・
みたいな、どっかで聞いた経歴を持つアッカド人サルゴン王
が、シュメル民族や、乱立していたセム系(中東)部族
(メソポタミア南部地域)を、武力で統一すますた。

サルゴン氏は、統一王朝を立ち上げました。(シュメル滅亡?)
  
こいつらは、王の権威として、ウルの王墓
(ジグラット=人口建築の丘)を、設立すますた。

ウルとは、旧約聖書に、カルデアのウル
記述された古代都市でした。

妄想かと思ってたら、バクダット南東にある、
「テル・アルムカイヤル」なる遺跡で、都市の
実在が確認されますた。
  
最初のウルの王墓(ジグラット)は、
ウル第一王朝アバルギ王の墓でした。

王の王妃シュブ・アド嬢の墓からは、黄金の
兜など、色々な財宝が発掘されました。

王墓は、高度なドーム構造技術が、
建築に施されました。

かつ、シュメル建築なる、平凸煉瓦が、使用されました。
 
◆ギリシャ◆BC2600年前

ギリシャ・エーゲ海(クレタ島)で、
古クレタ文明が発生しました。
 
◆エジプト◆BC2568年前

エジプトで、クフ王が即位しました。

クフ氏は、神殿伽藍事業で、ギザの
大ピラミッド
を建設しました。

クフ王の頃、サケバウ地域(ピラミッドの近く)
なる場所の、地域信仰らしき太陽信仰が、アトン
から、太陽神ラーに、変更しました。
  
  
そしてクフ王の息子、ジェデプラー王が、
サケバウ地域の、ラーを、神権に採用、自ら
「ラーの息子」と称しますた。
 
◆エジプト◆BC2478年前

エジプト第5王朝の頃、ウセルカフ王が、太陽神ラー
のお告げで?、太陽神殿を建設しました。
  
最後の第5王朝ウナス王の頃、ピラミッド・テキスト
なる、神話小説が創作されました。

テキストには、マントラ(呪文)や物語が
書かれており、統治に組み込まれました。
  
物語には、西アジア各地域部族の伝承や、植物の神
を神格化(人格化)した、オシリス神が登場しました。
  
第3王朝時代に、オシリス信仰と、ホルス信仰を
融合した物語が完成しますた。

◆オリエント◆BC2370年前

アッカド第一王朝が設立されました。

そして、BC2290年前には、ナラム・シン王が即位
して、支配地域が最大になりました。

シン氏は「俺様は神の代理だ」と言い張り、
神権政治を実行しました。
 
ナラム・シン氏の戦勝碑には、シュメル16弁菊
(太陽マーク)
が、彫られますた。
  
マークは、月、太陽、金星を現した象形文字でした。

シュメルの、太陽マークは、日本国に、
天台密教の曼陀羅として輸入されますた。

後醍醐天皇が菊好きだったことから、
菊の文様(16弁菊)で使われました。
  
◆インド◆BC2300年前~

ハラッパ(南インド)のトラヴィタ語族系遊牧民(海洋民族)
らしき部族が、インダス川流域に青銅器、象形文字(インダス文字)、
城塞、倉庫、舗装道路など、高度な文化を開始しました。
  
で、インダス川文明が突然始まりました。

ハラッパや、モヘンジョ・ダロなる巨大なハイテク
(当時の)都市が、文明の中心でした。

都市の最盛期では、人口3万人くらいが住居しました。
 
◆オリエント◆BC2000年前~

西セム系遊牧民のアムル人や、中央アジア方面にいた
印ー欧語族系遊牧民らが、砂漠化のせいで異動しました。

移動したこいつらは、我も我もと、メソポタミア各地に
移住(侵入)して、王朝を次々と打ち立てました。

この頃、穀物に集る鼠を駆除するため(山)猫らしき
生物
が家畜として飼われました。(飼い猫が誕生しました)

4000年前頃、テラ氏なる人物がクビ長の、セム系(北西セム語)
ヘブライ遊牧民(ヘブライ人の祖先)
が、カルデア(シュメル)
地域
に移動して、ウルに定住しました。
  
テラ氏は、ウルで、シュメル人(イラク人)
の嫁をもらいました。

その息子を、アブラハムと呼びますた。
  
アブラハムは、キリストと一緒で、固有名詞(人名)
ではなく、氏族(部族)をまとめる族長という意味でした。

アブラハム(族長)氏は、ウルのシュメル人と、
エジプト奴隷の嫁を、ダブルでもらいました。

氏の死後、部族の末裔が、イラクのウルから、
エジプトとパレスチナに分裂して移動、定住しました。

エジプトの末裔は、奴隷になりますた。
  
エジプトの、イサク氏なる息子が、ヘブライ
12氏族(分家)
の祖先になりました。
  
パレスチナの、イスマエル氏なる息子が、
アラブ12氏族(分家)の祖先になりました。

アラブ部族とヘブライ部族は一緒である。

 ので、単純に、エジプトとパレスチナら辺を
 12氏族がウロウロしていた
、と考える。

◆ギリシャ◆BC 2000年前~

ギリシャのクレタ(ミノワ)文明、トロイア文明を
総称して、エーゲ文明といいますた。

エーゲ文明は、オリエント地域(エジプト、シリア)
との交流(交易)で弥栄えました。
 
◆オリエント◆1900年前頃

鉄器や戦車(馬車)で戦う、乱暴な遊牧民族 、
ヒッタイト 族( 人 )が、アナトリア(トルコ周辺、
小アジア)地域
に進出しました。

ヒッタイト人は、印ー欧語族の遊牧民でした。

ヒッタイトの祖先達は、黒海東岸、北岸方面から
南下して、アナトリアで、非印欧語族の原住民
(ハッティ人等々)を制圧、吸収しました。
  
ハッティ人は、高度な製鉄技術で、
鉄器を製造していました。

  
ヒッタイトは、ハッティを征服後、
こいつらの鉄器を主武器にしますた。
  
そして、無敵のヒッタイト社会が形成されました。

◆オリエント◆BC1800年前頃

古代バビロニア(イラク)王国第1王朝6代王ハンムラビ王
(セム系遊牧民族アムル人)
が即位しました。

ハンムラビ氏は、ハンムラビ法典を制定して、シリア
各地の部族を服従させた後、メソポタミア全域を支配しました。

各地の交通網を整備して、中央集権国家を確立しました。
  
奴隷の、監視体制を強化し、バビロニア言語
を共通語として、支配国に強いました。

バビロニアの神こと、エンリル氏が、メソポタミアの
守護神として、マドゥクなる英雄を指名しました。

マルドゥク氏は、蛇女ティアマト嬢の息子達の一人ですた。

母親ティアマト嬢の虐待にブチ切れた
マルドゥク氏は、戦争で母親を殺しました。

お亡くなりになったティアマト嬢の尻尾から、
星座、太陽、月が生まれますた。

マルドゥク氏は、強大な母神を倒したことで
地位が上がり、最高神として崇敬されました。

バビロニア王ハンムラビ氏は、英雄マドゥク神の召使
(神の代理)として、大神のご神託(占い)をしました。
  
ハンムラビ法典は、旧約聖書、中央集権国家、
カースト制度(貴族、平民、奴隷)、商法(経済)
規定
などの、元祖になりました。
  
その他、「目には目を」でお馴染みの、
復讐の原則が、法典に記載されました。

◆オリエント◆BC1730年前

西アジアから来たセム系遊牧民、ヒクソス族が、
地中海付近のデルタ東部に定住しました。

ヒクソスは、バアル神(シリア・パレスチナ
地域神)
を拝みました。
  
バアル神(ヴェリアル)は、本名をバアル・ゼフォン
といい、悪魔ではありませんですた。

こやつ、北シリア地方(シリア・パレスチナ系)
の、嵐や船乗りの守護神ですた。
  
で、バアルを拝んでるヒクソスは、武力に優れていました。

騎馬戦、戦車(馬車)、青銅のエン月刀、弓、
などを駆使して、電光石火で、北エジプトの
一部地域を占領支配しました。
   
そしてテーベを拠点にして エジプト・ヒクソス
王朝
を立ち上げました。

エジプトの歴史で、ヒクソスは
「恐怖の(西)アジア人」と呼称されました。

ヒッタイトは、鉄器を扱う部族ですたが、
ヒクソスは、謎が多い部族で、エジプトか周辺
の、異民族の混成集団
ともいわれますた。
     
第一王朝の頃から、西アジア系の移民者がチマチマ
いたらしいので、エジプト内部の、移民(異民)族
クーデター
かもしれません。
  
ヒクソスの一部に、ヘブライ人(ユダヤ人)がおり、
ギリシャ、クレタ島クレタ文明とも貿易してますた。

◆エジプト◆BC1650年前

ヒクソス=エジプト第15王朝が始まりました。

エジプト正規軍は、侵入者のヒクソスと戦いました。
  
そしてBC1542年前、アアフメス1世氏に鎮圧され、
ヒクソス軍が負けて追っ払われました。
 
◆オリエント◆BC1600年前

ヒッタイト王朝(トルコ)ムルシリ1世が、鉄製武器
を駆使して、バビロン王朝を攻撃して滅亡させました。
 
◆ギリシャ◆BC1600年前~

ギリシャ・クレタ島のクレタ(ミノワ)文明
(~BC1400年前まで
)が、造船(海上貿易)や
オリーブ売買で経済発展しました。
  
こいつらは、儲けた資産で、石建築の3~5階建てや、
住居者8万人の、超豪華なクノッシス宮殿を建造しました。

宮殿は、入ったら迷って出られない、みたいな、
ラビリンス神話に比喩されました。
  
他に、ミノワのミノタウロスなる、遺伝子
操作された、キメラ生物が居住しました。
 
クノッシス宮殿内の、牛の石像に、シュメル
の、太陽(惑星)神マーク(16弁菊)
が彫られました。

*クノッシスを建設したのは、ヒクソスのユダヤ人?

 こやつらが、フリーメーソン(ギルド)である?

◆エジプト◆BC1500年前

エジプト王朝で、トトメス1世が即位しました。
 
氏は、第2のヒクソスが発生しないように、西アジアに
出兵して、シリア・パレスチナ地域を占領しました。
  
そして、ワディなる場所に、世界初の王墓、
王家の谷を建設しました。
 
◆中国◆1500年前以後

中国で、夷人の夏王朝を滅ぼした殷王朝の、
神権政治が興りました。
  
世界を支配する、天帝の仲介者(代理人)
として、殷王が支配しますた。
  
この頃(か以前に)漢字の元になる、
甲骨文字が開発されました。
 
◆インド◆BC1700年前~BC1500年前頃

突然、インダス文明が謎の消滅をしました。
  
伐採大杉やインダス川の洪水、若しくは
砂漠化が原因か、別の説では、インド先住民族の
ドラヴィタ人が、東アジア(東南アジア)に大量
移動したのが原因ですた。

BC1500年前、西アジアの印ー欧語族系遊牧民、アーリア人
がカイバル峠を越境して、北インドのパンジャープ地域に
侵攻しました。

北インドに定住して農耕、放牧、や、
雷や太陽を信仰する、原始ゾロアスター教を始めますた。
  
そして、ドラヴィタ人らしき先住民族を征服し、
多数のアーリア族国家を形成しました。

土地をかっぱらわれたインドの先住民は奴隷になりました。

で、民族がアーリアに組み込まれたか、東アジアに
逃走して、インダスが終了しますた。

  
王制(ラージャ)で、インドを支配した
アーリア人(イラン人)は、当初は多神教派でした。

アーリア族は、東南ヨーロッパ(バルカン地方)地域を
祖先として、BC2000年前、西アジアに南下してきました。
  
こいつらは、インドまで南下(侵攻)して
来たので、印ー欧語族といわれました。
  
アーリア人は、北インドに侵攻したBC1500年前、
インド=アーリア族に分岐しました。

更にインド=アーリア族が、BC13000年前に分岐して、
現代イラン人の祖先になりました。
  
一方、欧州方面に進出したアーリア族は、
ゲルマン民族やスラブ民族に分岐しました。
 
◆ポリネシア◆BC1500年前

発祥不明のラピュタ人(海のモンゴロイド)が、水没した
スンダランド海域を船で渡り、オセアニア地域(ポリネシア)
に到達しました。

ラピュタ人は土器文化(ラピュタ文化)を開始しました。

*ラピュタ人の一部が、東南アジア伝いに、海路で日本に
上陸したという仮説であったが、縄文の方が、魚を追って、
ポリネシアに移動したのである。

更に一部は、南米に上陸した。
 
◆エジプト◆BC1490年前

第18王朝トトメス3世の嫁の母親、ハト
シェプスト女王
が無理やり戴冠式を敢行して、
トトメス3世とのダブル治世をしました。
  
トトメス3世氏は軍拡、ハトシェプスト女王は、
アフリカとの資源交易を重視しました。

しかし、女王の有能な側近(ブレーン)が
死んだ(暗殺?)ので、官僚がハトシェプスト
離れしました。
  
その後、女王は、トトメス3世氏に権力を
奪われ、死んだか隠居しました。

倭には、来日しませんですた。
 
トトメス3世氏は、ヒクソスの支配してた
テーベ地域の、地域神ことアメン神を、
王朝の国家神に採用しました。
  
第17、18王朝の頃に、アメンは、戦勝の神
に変化し、カルナック宮殿に戦利品を沢山御納品しました。

アメマ~~~~~、血ぃ吸ったろか

◆オリエント◆BC1450年前頃

遊牧民族や、オリエントの全地域が、
王朝部族乱立状態で、ちょっとした
多国籍地帯になりました。

◆ギリシャ◆BC1600年前か以前~BC1200年前

ギリシャ、ミケーネ(ペロポネソス半島)に
移住してきたらしき一族こと、アカイア人が、
ミケーネ(ミュケナイ)文明を興しました。

ミケーネ国王は、ペロポネソス原住民出身の
アガメムノン王なる人物ですた。

アガメムノン氏は、貪欲に黄金の宝物を溜め込みました。
  
◆ギリシャ◆BC1400年前

海の民(海賊)とアカシア人の混成軍団が
クレタ人を襲撃して、クレタ文明が滅びました。

その後はミケーネを中心にして、
アカシア人達が海上貿易を独占しました。
 
サントリーニ島火山の大噴火が、
文明崩壊の遠因になったのかもしれません。 
  
◆オリエント◆BC1300年前頃

イサクの頃からエジプトに移住していた
ユダヤ(ヘブライ)族は、異民族差別で、
奴隷状態になっていました。

BC1250年前頃、アメン神神官のモーゼ氏は、アメン
ホテプ王のアテン神革命に反感して、奴隷のユダヤ移民
と、パレスチナ方面に脱出(亡命)しました。

その後、カナンの漢字版の、華南方面に移動しますた。

==============

小波1(オカルト枠)

=============
  
◆ギリシャ◆BC1200年前頃

ミケーネ族は、叙事詩「オデュッセア&イリアス」
の一説、トロイの木馬でお馴染み、トルコ沿岸のトロイア
(トロヤ文明4600年前~3200年前)とトロヤ戦争を、
10年に渡って争いました。

ミケーネ軍団が辛勝しましたが、ミケーネ人も、
ドーリア人との戦いで、直ぐに滅びました。
  
以後ギリシャは、小国家(ポリス)が乱立して、
カオス状態(暗黒時代)に変化しました。
 
◆インド◆BC1200年前
 
BC1200年前頃、謎の人物、ザラスシュストラ・
スピターマ氏
なる人物が、一神教の原始ゾロアスター教
(=聖なる火を信仰した拝火教)
を立ち上げました。

更にその後、(ザラスシュトラ氏と同一人物説)
ゾロアスター氏なる教祖が、善悪二頂論、絶対神
アフラ・マズダ氏(親神)と子神(手下)を階級化、
体系化
して支配の絶対教義にしますた。

ゾロアスター教が、バラモン教の元祖になりました。

◆オリエント◆BC1200年前頃

初期ヒッタイト王朝が、トルコ(バルカン)やシリア方面の  
沿岸地域で、謎の集団「海の民」(海賊)の襲撃を受けました。
  
加えて、アッシリアや他の部族も侵入してきた
ので、国力が弱まり滅亡しました。
  
ヒッタイト滅亡後は、バルカン半島から移住してきた
フリュギア人が、アナトリア地域を支配しました。
  
ヒッタイトが滅亡して、部族の高度な鉄器技術が
オリエント全域に広がりました。

◆エジプト◆

エジプト、メルエンブタハ王~ラメセス3世の代に、
海の民とリビア人の連合軍と激戦しました。

エジプト軍が、海の民連合軍を2度撃退しました。

海の民は、ギリシャのアカイア人や、他の複数の部族で
混成される、地中海沿岸かその周辺に根を張る遊牧民族で、
海戦、陸上戦に長けた集団ですた。

◆オリエント◆BC1080年前頃

異常気象で、オリエント地域に広範囲の大飢饉が発生しました。
 
◆インド◆BC1000年前~BC700年前

王様、貴族、奴隷に、階級(ヴァルナ)が分別されて、王族
カースト制度(バラモン教団)
が執行されますた。

カースト最上位(アーリア人)を、
バラモン教団の、形式的司祭にしました。

そして民族の神(雷神インドラなど)
賛美しました(褒め称えますた)。

更に、バラモン層特権主義を正当化する、
ヴェーダなる書物を作成しました。
 
◆イスラエル◆BC1100年前~BC960年前

イスラエル12支族

https://convivia.co.jp/conviviacolor6/conviviacolor6.pdf

エジプト方面に移動した、イサク12氏族の、
ユダ族の末裔、サウルなる人物が、諸部族が
ウロウロしていた、カナンなる場所で、
イスラエル王国を立ち上げますた。

初代サウル王の息子、ダビデなる人物が、エルサレム
に、イスラエル統一王朝(ダビデ王朝)を立ち上げますた。

上記、表によると、レビ族のモーゼは、
出エジプト、カナンに向かった後は、消息不明

さて、モーゼ君は、どこに行ったのかなww。

で、サウルとダビデから、イスラエル王朝
の歴史が始まります。

◆イスラエル◆BC960年前~925年前

ダビデの息子、ソロモン(イスラエル王三代目)が、
南アラビア(エチオピア)のシェバ女王との
貿易で儲けました。
  
ソロモン氏は、小国にしては豪華な、
ソロモン伽藍神殿を建設しました。

氏の死後は、お決まりの内紛になって、
南北に王朝が分裂しました。
(北イスラエル国とユダ王国)
  
◆ギリシャ◆BC800年前~BC600年前

ギリシャ小国家で、アクロポリス(丘)
神殿が建設されました。
  
小都市国家ポリスなるものが100箇所以上濫発したあげく、
あちこちで貴族・平民・奴隷に、カースト化されました。
  
人口増加や農地不足などで、一部の貴族や
平民は、ギリシャ(都)落ちしました。

下野したこいつらは、ギリシャ周辺の地中海、
黒海沿いに、自分らで都市を建設しました。

◆中国◆BC770年前

内紛状態の周王朝が、異民族(匈奴)に
攻撃されて滅びました。

以後、春秋(斉、普、呉、越、楚)の五覇、
戦国(斉、燕、趙、魏、秦、韓、楚)の、七雄
の、
春秋戦国時代が延々(半世紀)と続きました。

◆ローマ◆BC768年前頃

ラテン人(イタリア人)の一部が、ティベル川下流に、
ローマ国を建国しました。
  
ローマ国では、コンスル(執政官)や元老院による
共和制貴族政治が執行されました。
 
◆イスラエル◆BC720年前頃

ニネヴェのアッシリア軍(北イラク)が、領土拡張
のために、パレスチナを占領しました。
  
そして返す刀で、エルサレムも包囲しました。

ピンチのおり、民族神のヤハウェ氏が現れて、一晩で、
包囲したアッシリア軍18万人を、電撃と地割れで殺しました。
  
実際は、破壊される前にイスラエル人が、あっさり
降伏
したので、アッシリアが包囲網を解いて、エルサレム
から引き上げました。(アッシリアの史料による)
    
降伏した北イスラエル(分裂)王朝は、アッシリアの
統治国になった後、すぐに滅亡しました。
  
そして、イスラエルの10支族(幹部)が追放されて、
離散し、小国家として機能しなくなりました。 

南ユダは、何故か助かりました。

10支族のうちの、幾つかの部族は、ステップ
ルートを東に移動し、カナン(華南)で同化しますた。

===========

大波・第一波

============

◆オリエント◆BC700年前以後

前期アケネメス朝ペルシャ王国では、アーリア人が
立ち上げた、ゾロアスター教(拝火教)を国教としました。

そして後に、ユダヤ聖書や、方々に影響を与えました。

◆オリエント◆BC671年前

アッシリア軍エサルハドン氏が、エジプト帝国を征服して、
オリエント最大領土を記録(アッシリア帝国完成)しました。

氏は領土を州に分割して総督を置き、
重税や奴隷労働で、エジプト人を統治支配しました。
 
◆オリエント◆BC689年前

バビロニアが、アッシリア帝国に対抗したので、
センナキルブ国王が鎮圧しました。

センナキルブ氏は、バビロニア神殿を破壊しました。
 
◆オリエント◆BC655年前

アッシリアが弱まり、エジプト支配が終了しました。

◆オリエント◆2625年前

バビロニア南部で、通称「海の国」なる、クビ長の、
ナポポラッサル氏が、アッシリア勢力を封じ込めました。

そしてナポポ氏は、バビロン(イラク)
新バビロニア王朝を立ち上げました。

海の国とは、バビロニア急進派(武闘派)のクビ長
シュマティ氏の他、カルディア族、アラム族、エラム族、
西アジア系スラブ族の諸部族連合のことでした。

◆オリエント◆BC612年前

新バビロニアのメディナ連合軍が、
アッシリアを滅ぼしました。

アッシリア帝国終了。
  
以後、オリエント地域は、新バビロニア、エジプト、
メディナ、リディア
の4国支配になりました。
 
◆オリエント◆2605年前

新バビロニア王国の、ネブカドネツァル2世氏が、エジプト軍を
撃破して、シリア・パレスチナまで領土を拡張しました。
  
◆オリエント◆2597年前

新バビロニアが、アッシリアの領土
だった、エルサレムを占領しました。
  
更に、南ユダ(イスラエル族系ユダヤ民族)国王と
幹部を、バビロンに連行しました。(第一回バビロン捕囚) 
  
その後、洗脳したクビ長を、南ユダ国王に指名しました。

しかし何やら、そやつが反抗したので、今度は、
南ユダ市民も一緒に強制連行して、奴隷従事させました。
(第2回バビロン捕囚)
  
ネブカドネツァル2世氏は、神殿事業(や戦争経済)
に熱心で、バビロンの主神マルドゥク氏を祀った、
マルドゥク神殿を建設しました。
  
その他、豪華なシュメル16弁菊(太陽)入りの
イシュタル門や、ハイタワージグラットことバベル
(バビロン)の塔
を建設しました。

*16弁菊は、ユダヤ人の仕業。

ユダヤ族(ユダ族)と、他地域の奴隷は、
ジグラット事業に強制従事させられました。

ユダ族の預言者は、シナイ山の氏神
(ヤーヴェ氏)の、救済を説きました。
  
この時、ユダヤ民族に、救済思想
らしきものが発生しました。

ユダ王朝滅亡以後、ラビ(僧、律法学者)が、
ラビのユダヤ教なる聖典(小乗仏教っぽい戒律)
を作成しました。

この頃以後、言語が統一されて、ユダヤ人は、
古ヘブライ語を使わなくなりました。

            *こいつらがラビ↓


千葉芝山遺跡


◆オリエント◆BC600年前

バベル・ジグラットに続き、ネブカドネツァル
2世氏は王妃のために、バビロンの空中庭園なる、
全長110mの神殿事業を完成させました。
  
が、BC539年前、アケメネス朝ペルシャ軍が
侵攻した時に、空中庭園だけ、残骸が後世に
残らないほど粉々に壊しますた。
 
◆ギリシャ◆BC600年前以降

クソ状態のギリシャが、アテネと、ドーリア人が
建設したスパルタの、主要2大ポリスに統合されますた。

スパルタでは爺(長老会)が実権を掌握しました。
  
そして反乱防止のため、徴兵制や軍国主義
(スパルタ教育)
で、領民を支配しました。
 
◆オリエント◆BC600年前以降~

(創設年不明)東欧、南ロシア、中央アジアを
往来する遊牧騎馬民族の交易ルート、ステップ・ルート
なるものがいつの頃からか使用されてました。

*ルートを作ったのは、ヘブライ遊牧民。

◆インド◆BC566年前頃

ネパール(ヒマラヤ付近)で、釈迦が誕生しました。

釈迦は35歳くらいの時、菩提樹の下で、
悟りを開いて、カースト(バラモン)や
ゾロアスター教を否定する釈迦教団を立ち上げました。

同じ頃、ヴィルダマーラ教祖が、前世の宿業抹消
のために苦行をする、ジャイナ教を立ち上げますた。

◆オリエント◆BC536年前

アケネメス朝ペルシャ(イラク南西部、スサの印ー欧語族)
の、キュロス2世氏が新バビロニアを征服して、ペルシア帝国
を立ち上げました。

ペルシャは勢いに乗って、BC525年前頃、次のクビ長、
カンピュセス2世氏が、エジプトも征服支配しました。

で、アケネメス朝ペルシア帝国は、
オリエント地域を統一しました。

ペルシャは、アッシリア帝国を真似た、
中央集権国家を建設しました。

そして交通整備(王の道)、貨幣、
公用語の統一をしますた。
  
カンピュセス2世氏は、バビロン捕囚政策
の廃止(ユダ奴隷解放)
をしました。

そして領民(奴隷)に寛容政策を実行したので、
インド付近まで領土を広げることが出来ました。
                   
しかし、黒海沿岸のスキタイ族や、ギリシャと
戦って、その後弱体化しました。

◆ギリシャ◆BC500年前~

ペルシア帝国とギリシャの戦争は、軍船に
長けたギリシャが2勝1敗で勝利しました。
(ペルシャ戦争)

戦勝後は、内紛になりますた。

アテネ地域・スパルタ地域・地方小国家テーベ
覇権争いに発展して、スパルタ軍が勝利しました。
  
その後、スパルタとテーベが揉めて、
連合軍のテーベが勝ちました。
  
このような、相次ぐ戦争で、ギリシャの
政治が衰退していきました。

BC480年前、ペルシャ帝国は、弱体化したギリシャ
を攻撃して、アクロポリスが破壊されました。

その後、豪華なパルテノン神殿(お馴染みの柱、
ドーリア式建築)
を建築して、復興させました。

この頃、ギリシャ文化なるものが発生しました。

ギリシャ文化では、ギリシャ悲劇物語や、
ギリシャ神話
が創作(小説化)されました。
  
ギリシャ神話の元は、シュメルか以前からの
各地域信仰(伝承)ですた。
 
その他、アテナ神像の建設、ヘロドトス氏著作の、
国家高揚戦記や、自然哲学などが興りました。
  
学問では、知者(ソフィスト)といわれる、
プロタゴラス氏や三大哲学者(フィラソフィスト)
こと、ソクラテス氏、プラトン氏、アリストテレス氏達
が、政治や人間の正体を論じました。

◆ローマ◆BC500年前

共和制ローマが、他のイタリア・ラテン人
都市国家と合体しました。
  
ローマはBC300年前過ぎまでに、
イタリア半島を統一しました。

◆倭◆BC400年前以後~(或いはBC700年前)

新石器縄文文化圏に、弥生人らしき集団(漢人と朝鮮人
の武士や商人
)が、水稲技術、青銅・鉄器技術、武器
を、小規模で持ち込みました。

*↑ ユダヤ人ww。
 
◆ギリシャ◆BC336年前

ギリシャ辺境の小国家、マケドニアの
フィリッポス2世氏
が、衆愚政治で
堕落・弱体化した、アテネ・テーベ連合軍
と戦闘して、破りました。
  
勝者のフィリッポス2世氏は、ギリシャを統一
したもの、すぐに暗殺されました。
 
氏の暗殺後、息子でアリストテレスの生徒だった
アレクサンドロス3世氏が、マケドニア国王に就任しました。

なお、アレキサンダー氏は、混血ユダヤ人ですた。

◆ギリシャ◆BC330年前

アレクサンドロス3世国王は、領土拡大の為、
マケドニアーギリシャ連合軍で東征しました。
  
イッソスとガウガメラで、政治経済が既に
混乱して弱体化していた、ペルシャ帝国軍を破りました。
  
そして、ペルシャ王朝は滅亡しました。

アレクサンドロス3世王は、ペルシャ帝国の
支配地(エジプト~北西インド)を頂いて
自身の、最大領地としました。
  
が、バビロン新首都建設の最中に、熱病で
急死(享年32歳)
しました。 

*実は、暗殺を感じた大王は、小集団を
 率いて、出雲まで逃げてきたのである。 

アレキサンダー氏と、秦の始皇帝、この両者
には、点と線がある筈だが、ヒントになるような
資料が、まだ何もない。

何か発見したら、また空想してみる。
  
で、アレクサンダ―死後は、
定番の権力争いが発生しました。
  
その抗争で、アンティゴノス朝マケドニア(ギリシャ)・
プトレマイオス朝エジプト・セレウコス朝シリアの3王国

に分裂しました。

その最中、西アジアと地中海の奴隷達が、
あちこちに移住して、ヘレニズム文化
形成しました。(オリエント+ギリシャ東西文化の融合)

◆エジプト◆BC331年前

プトレマイオス王朝に、(倭に逃げた)アレキ
サンダー氏が、アレクサンドリアを建設しました。

氏の死後は、プトレマイオス王朝の
首都ととして弥栄えました。
 
アレキサンドリアの首都は、諸地域の民族が
雑多に住居して、人口80万人といわれました。

都市では、文化や科学技術が発達して、
ヘレニズム文化に大きく影響を与えました。

BC325年前頃、プトレイマス1世氏によって、
全長120mのファロス巨大灯台が完成しました。
 
灯台は、AD796年の大地震で海中に沈みました。

◆ローマ◆BC300年前~AD300年頃

ローマ温暖期といわれる、地球温暖時期
が、600年くらい続きますた。
 
◆オリエント◆

イラン系(印ー欧語族アーリア人)遊牧民の住む
ソグド地方に、サマルカンドなる都市(オアシス)
が、古くから建設されていますた。

そして、サルマカンドから、
道路や駅舎が、方々に作られました。
  
遊牧民や商人が広がり、西域から中国
~縄文までの陸路が延長されました。

倭まで往復できたのは、ヘブライ民族だけですた。

ユダヤ人によって、中国の綿が、沢山取引され
たので、シルクロード(絹の道)なる名称が、
後世につけられました。
  
隊商は、ラクダに荷物を載せて貿易しました。
(隊商貿易)

*と書いていたが、実際の遠路は、騎馬である。
 
◆インド◆BC317年前

アレクサンドロス3世大王の、北西インド侵攻
のドサクサで、モンゴルのチャンドラグプタ氏
なる人物が、北西インドにマウリア王朝を立ち上げました。

チャンドラグプタ氏は、インダス川上流域を
支配しましたが、クシャーナ王朝に倒されますた。
 
◆中米◆BC300年前

メキシコ、マヤで都市文化が発達しました。(マヤ文明)
 
◆ギリシャ◆BC290年前

ロードス島(トルコ)のマンドラキ港で、戦勝記念神殿事業
によって、全長48mの、ヘリオス(太陽神)巨神像が完成しました。
  
しかしBC224年前、地中海地震であっけなく壊れました。

◆エジプト◆BC285年前

エジプト=マケドニア・プトレマイオス朝の頃、
アレキサンドリアのファロス島に、20年以上かけて
大灯台が建設されました。
  
しかしAD796年の地中海地震で倒壊して、海中に沈みました。

◆オリエント◆BC250年前~BC226年前

カスピ海沿岸の遊牧系ペルシャ人(パルニ氏族)
が、西アジア(中央アジア)の遊牧民を征服しました。

そして、パルニは、騎馬民族王朝
パルティア
を立ち上げました。  
  
パルティアは、騎馬戦に優れていたので、
共和制ローマ国が苦戦しました。

イラン系は、モンゴル~中国に近かったのでシルクロード
を駆使して、ローマと中国の貿易拠点になり、東国との
東西貿易で儲けました。

遊牧パルニ人は、太陽神ミトラ
王国の神として信仰しました。

ペルシャ民族(イラン系民族)が崇拝している民族神ミトラは、
BC100年前頃。トルコ東部~シリアの地域信仰されてますた。

*ミトラ=ミトラダテス1世?
  
ミトラは、やがてローマ帝国にパクられ、
ミトラ(ス)軍神として信仰されました。
  
更に、東(ガンダーラ)に電波して、東アジア
弥勒(ミロク)信仰に変化しますた。

◆オリエント◆BC264年前~BC146年前

共和制ローマは、カルタゴ軍(フェニキア人、現チェ二ジア)
と、ポエニ(フェニキア)戦争を敢行しました、

ローマはカルタゴ名将ハンニバル氏のピレネー越え象作戦に
1敗したものの、2勝1敗(辛勝)で西地中海を領土にしました。

◆中国◆BC221年前

七雄を潰して、秦の始皇帝が、黄土高原を統一しました。
  
秦は、シルクロード経由で、西アジア(地中海?)方面に、
大帝国Cina(シナ⇒秦帝国)として知れ渡りました。

(×シナ=中国(チャイナ)、〇シナ=秦帝国)

徐福が、倭に船で来ますた。

================

小波2

徐福や、始皇帝がどっから来たかという問題。

パルティア人=ユダヤ遊牧民なのかは不明
だか、秦国、始皇帝と関係があるようだ?

ユダヤ人がミトラ信仰をしていたとすれば、
クリスマス(キリストの本名、クリストゥス?)の、
キリスト=ミトラは、含蓄が合う?

もう一つのキーは、シルクロードの月氏である。

大月氏は、中央アジアで活動し、広く移動した遊牧民族。

民族系統は諸説あり、パミール高原西部に大月氏国を
建国し、そこからインドに進出しクシャーナ朝を作った。

民族名を、月氏という遊牧民族であるが、その系統は、
イラン系ともトルコ系とも言われる。

モンゴル系説、チベット系説もあり、はっきりしない。

月氏というのは中国での呼称であり、一説にはスキタイを
あらわすアッシリア語のスクジャを移したものとも言われ
ている(榎一雄説)。

もしそうであれば、月氏もまた、
イラン系民族ということになる。

月氏は、中国の戦国時代頃に甘粛地方・タリム盆地東部
(パミール高原の東側)で中継貿易に活動していたが、
前2世紀の末に冒頓単于率いる匈奴が、この地位に進出した
ため、月氏の主力は西方に逃れ、天山山脈の北に移動した。

ところが、さらに北方から南下した烏孫に圧迫されて、
パミール高原西方のアム川下流から上流域に移った。

この移動した部族を大月氏と言い、河西地方(甘粛)
に残ったのが小月氏と言われる。

甘粛省は、シルクロードの重要地で、敦煌などの、
オアシス都市が、幾つか存在していた。

つまり、月氏は、シルクロードの遊牧民である。

青目のイラン系遊牧民に、ユダヤ系遊牧民が
含まれるということか?

=================

◆中国◆BC202年前
  
劉邦が、漢帝国を立ち上げますた。
  
◆中国◆BC190年前

燕国から亡命した武将・衛満氏族(漢人)
よって、半島に、衛子朝鮮王朝が建国されました。
 
◆ローマ◆BC146年前

勢いに乗る共和制ローマは、アレクサンドリア
国王亡き後の、マケドニアを征服しました。

そしてBC64年前にシリア、BC30年前にエジプト
を、それぞれ征服しました。
  
これにてローマは、オリエント地域、
東西地中海を征服して、最大領土にしました。

  
しかし、属国の奴隷(労働力)と市民に、
重税を課したので、ローマ市内がインフレ化しました。

ゼイム真理教で、失業者が続出して、長年の戦争で
疲弊した市民が、精神荒廃、没落していきました。

国家は、パンの無料配給や娯楽(コロッセウムの殺人ショー)、
温泉
などの文化事業で、政策をフェイクしました。
  
ある時、奴隷待遇の不満から、コロッセウムの
剣士、スパルタカス氏が奴隷を手引きして叛乱を起こしました。
  
スパルタカス氏の乱は、すべなく鎮圧されました。

更に、カエサル(シーザー)氏が、政策で対立する
ポンペイウス氏と、ブルートゥス(ブルータス)氏
の共謀で、暗殺されました。

カエサル氏の手下 アントニウス 氏は、エジプト=マケドニア・
プトレマイオス朝のクレオパトラ女王と一緒に共謀しました。

2人は、クーデターで、東ローマ帝国を新たに
立ち上げようとしましたが、カエサル氏の養子、
オクタヴィアヌス氏が、2人を妨害しました。

クレオパトラ女王は、17歳の時に、弟と
形式上の近親相姦をしました。

で、エジプト=マケドニア・プトレマイオス王朝の
国王(女王)に就任したものの、国売り(身売り)で、
カエサル氏の第2夫人になりました。

カエサル暗殺後は、アントニウス氏の愛人になりました。

◆ローマ◆BC31年前

養子のオクタヴィアヌス氏は、アクティウムの
戦い
で、アントニウス氏とクレオパトラ・エジプト
連合クーデター軍を破りました。

◆中国◆BC139年前~

前漢の武帝が、西域36カ国を支配統治しました。
  
そして西域に敦煌郡などの群制を設置しました。
  
中国人を移住(占領)させて、シルクロードで
西域貿易をしやすくしました。

*シルクロードで貿易していたのは、中央アジア
 でウロウロしていたユダヤ遊牧民である。
 
◆中国◆BC111年前

漢帝国が、ヴェトナム北部を征服しました。

◆中国◆BC108年前

漢帝国が、衛子朝鮮王朝を滅ぼして、
北朝鮮を領土にしました。
  
朝鮮に楽浪郡など4国を配置して、漢人を
定住、軍事基地としますた。 

◆インド◆BC100年前

南インドのドラヴィタ系アーンドラ人が、
サータヴァーハナ王朝を立ち上げました。
  
◆エジプト◆BC30年前

クーデター計画が失敗して、アントニウス氏が内乱で
死亡後、クレオパトラ女王も毒殺されて、プトレマイオス
王朝が滅亡しました。(エジプト王国が終了)

クレオパトラは、倭に来ませんですた。
  
◆ローマ◆BC27年前

ローマのオクタビアス氏なる人物が、アウグストゥス
(尊厳者)に指名されて、帝政(元首制)ローマが開始されました。
  
~AD180年まで、ローマ五賢帝時代(別名ローマの平和)が続きました。

帝国は、地中海沿岸一帯、西アジア、東西欧州(ヒスパニア(スペイン)、
ガリア(フランス)、ブリタニア(英国)、ダキア(ギリシャ周辺)) 
を、属州支配(奴隷支配)しました。
  
属国の支配地を、貴族>自由民>>>>>>奴隷
(労働従事者)
に分別、カースト化しました。

そして、植民地の幹線道路を整備しました。

海路か陸路で、インド、東アジア、アラビア半島
と、活発に貿易して儲けました。

◆オリエント◆AD紀元頃

AD2000年から換算して2004年前、キリスト氏
(クリストゥス氏=本名?)
が、パレスティナで誕生しました。

エジプト商人(ブローカー)が、紅海~ペルシャ湾~
インド南端までの海路を発見しました。

そしてローマ~インド間(金貨や綿)の貿易をしました。
  
その後、東南アジアまで貿易ルートを延長しました。
 
◆中国◆AD25年

光武帝が、後漢を再興しました。
 
◆オリエント◆AD30年

キリスト氏が、新ユダヤ教を立ち上げて布教しました。

しかし、ローマ帝国様への反逆者だと訴えられて処刑されました。

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小波3(オカルト枠)

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◆オリエント◆AD50年~140年

キリスト氏の弟子が、キリスト教を立ち上げました。

更にキリスト教信者が、キリスト氏の弟子こと、パウロ氏の書簡
ギリシャ語でまとめあげて、やっと新約聖書なる教義が完成しました。 
 
◆倭◆AD57年

後漢・光武帝の時代に、倭の奴国王(九州の氏族)
使者が貢物を持って、皇帝様に拝謁しました。
  
漢帝国が、漢倭奴国王の金印(印綬)を授けました。

*田中教授によると、嘘話でがるwww。

◆ローマ◆AD64年

原理主義のキリスト教団が、ローマ帝国の祭祀を
拒否したために、異端教団のレッテルを貼られました。
  
以後、皇帝ネロ氏~AD303年の皇帝ディオクレティアス氏
の代まで、ずっと睨まれました。(迫害ともいう)
  
キリスト教信者は、カタコンベなる地下の
秘密基地(墓地)に隠れて、集会をしました。
 
キチガイのネロ皇帝は、自作自演の放火で、ローマ
に大火災が発生しました、が、キリスト教徒のせいに
して、迫害すますた。

若しくは、賢帝、名君らしくありますた。

◆イスラエル◆AD68~73年

キチガイの死後、パレスチナのあたりで、ローマとの
ユダヤ戦争とやらが起きて、70年に、エルサレムが
陥落
しました。

1000人のユダヤ人が、マサダの砦に籠城して、
抵抗しますたが、73年に、全員、自殺して、
戦争が終了しました。

エルサレム陥落のおり、ユダヤ人は四散しました。
  
◆ローマ◆AD79年

ローマ帝国の植民地、イタリアのポンペイ(ナポリ)で、
ヴィエズヴィオ火山
が大噴火しました。

ユダヤの呪いwwwwwwwwww。
  
16000人以上が一瞬で死亡しました。(ポンペイ最後の日)

◆日本◆AD107年

倭王こと 師升王なる人物一行が、部族の地位を
認めてもらうために、洛陽(楽浪郡かも)に赴きました。
 
◆インド◆AD100年

インド洋航路が整備され、インドーローマ帝国
の貿易が活発化しました。
  
西アジアやエジプトに生息するギリシャ商人(ブローカー)を
介して、サータヴァーハナ朝が、海路で儲けました。
  
ギリシャ商人が、仏教に援助しました。
  
この頃以前から、南インドで原始ヒンドゥー教が盛んでした。
  
同時期、匈奴と戦い、追っ払われて北西インドに
定住した、イラン系民族こと、大月氏の支配から、
クシャーナ族が独立して、クシャーナ王朝を立ち上げました。
  
北西インドのクシャーナ王朝に伝わった仏教は、
ギリシャ・ペルシャ文化の、ギリシャ神話(オリン
ポス12神)と融合して、多神教になりました。
  
仏教の一部が、ネストリウス派キリスト教と融合して、
菩薩による救済思想と合体した、大乗仏教に変化しました。
  
大乗仏教(秘密教義)にミクシッドした、オリエント
ー地中海地域の神話と伝説は、後に八百万の神として、
倭の古事記や日本書紀に影響を与えました。
  
釈迦の正規仏教は、ヒンドゥー教、若しくは、
上座部仏教(小乗仏教=出家仏教)として、
東南アジア方面に電波(南伝仏教)しました。
  
クシャーナ王朝近辺の、ガンダーラ (パキスタン・
ペシャワール地方)
に、ギリシャ人モデルのギリシャ
神像(オリンポス12神像)が伝わりました。

ギリシャ(ローマ)神像が、ガンダーラ仏に変化して、
その仏像が僧侶か石造職人に彫られました。
   
弥勒菩薩(ミトラス神)や観世音菩薩(アナーヒター)
として数百年後、大乗仏教と一緒に、日本国まで到達しました。

*石造のモデルはユダヤ人。
   
◆インド◆AD100~AD300年

ヴェトナム、メコン川下流(東南アジア)に、
インドの移住者(布教で?)がプナム王朝なる
王国を立ち上げ、海路で、ローマ帝国と貿易をしました。
 
◆ローマ◆AD132~136年

ローマ帝国とユダヤ民族で、更に揉めて、
第2次ユダヤ戦争(バル・コクバの乱)が勃発しました。

第一次戦争のあと、地中海や西アジアでウロウロ
していた、ユダヤ諸部族が、ローマに腹を立てて、
一斉蜂起しました。(キトス戦争)

ユダヤ人は、バビロン捕囚の頃から、救世主を
待望しており、キリストではなく、シメオン
(シメオン支族?)
なる人物を、革命のクビ長
にしますた。

シメオン氏は、自ら、ダビデ紋章の、星の子
(パル・コクバ)
を自称しますた。

シメオン氏は、一回勝ちましたが、135年、
ローマに逆襲されて、負けました。

エルサレムは陥落して、関係者は戦死、処刑、
残りのユダヤ人は、四分五裂しました。
  
  
そして、離散の民になりました。(ディアスポラ)

離散したユダヤ人は、方々に逃げて定住しました。
  
イタリア半島、北アフリカ沿岸、北アフリカ沿岸から移動して、
ガリア地方(スペインやフランス)から西欧州各地域(イングランド、
フランス、ドイツなど)に広がりました。

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大波・第三波

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◆中国◆AD150年過ぎ

後漢の班超なる人物が、シルクロード経由で北匈奴を
制圧しながら、西アジア、クシャーナ朝まで進出しました。
  
貿易か何かで、ローマ帝国(大秦国)に使者を
派遣したものの、到達できませんでした。

*大秦国=秦国、秦氏のことである。
  
その後、ローマ側の使者が、漢帝国の属国こと、
ヴェトナムに来て交易が成立?しました。
 
◆ローマ◆AD166年

ローマに疫病が発生、パンデミックで、
人口の半分が死にました。

ユダヤの呪いが続くwwwww。

ローマの天文学者プトレマイオスが、地動説に
対抗して、天動説を説きますた。

◆倭◆時期不明

九州や近辺で乱立していた100以上の諸部族で、
大規模な部族間抗争が発生しました。(倭の大乱)

この頃から、兵器(金属器)大量生産や建築のため、
森林の伐採がしきりに行われ、大陸式の騎馬戦らしき
ものが始まりました。

*大陸式=騎馬民族式。

◆中国◆AD184年

異常気象による大飢饉や、地方豪族の力が強大化
して、漢帝国の威信が弱まりました。
  
太平道教団(道教)が大陸中に広がり、張角なる教祖が
百姓を率いて、クーデターを起こしました。 (黄巾の暴動 )
  
以後、三国志の時代に移行して漢帝国が衰退しました。
 
◆倭◆AD173年~183年(漢の霊帝、光和中時期)

倭国の騒乱後、邪馬台国の 卑弥呼(卑巫女)
なる女王が登場しました。
  
卑巫女嬢は神霊能力で、幾つかの国を統治しました。

◆インド◆AD192年

ヴェトナム(大越国)南部のチャム族が、漢帝国の
植民地支配に反乱を起こしました。

チャンパーなる王朝を立ち上げてインド方につきました。

◆オリエント◆AD226年~AD651年

前パルティアを倒し、ササン朝ペルシャが誕生しました。

ササン朝ペルシャは、弱体化した
ローマ帝国に何度も勝ちました。
  
皇帝やローマ兵を捕虜にして、
カッパドギアまで領土を広げました。
  
東部戦線では、モンゴル~インド北部のクシャーナ朝
を滅ぼして、最大領域にしました。
 
ササン朝ペルシャは、古代アケメネス朝部族の神こと、
ゾロアスター教の光明神アフラ・マズダ氏を復活させました。
  
神の僕としての神権政治、大規模な
官僚政治システムで、王朝を支配しました。

戦略的にシルクロードを抑えたので、
東西貿易の拠点になって儲けました。
  
ササン朝のゾロアスター教が、インドで仏教と融合しました。

新宗教のマニ教が、中国や西ヨーロッパ、
アフリカまで電波し、一大ブームを起こしますた。
  
ペルシャ、ギリシャ、ローマの工芸品や文化は、色々な
尾ひれがついて変化しつつ、インドや東方(中国や倭)に、
神話、宗教、仏像などとして奇妙に伝わりました。

ペルシア壺のデザインは、東に行くほど変化して、
最東端の倭には、和風壺として電波すますた。

 
◆中国◆AD234年

諸葛孔明が司馬仲達との戦闘中に五丈原で病死しました。
 
◆ローマ◆AD235年~

ローマ帝国は、軍人が皇帝になる軍人皇帝時代になりました。
  
そして、定番の権力争いで混乱、弱体化しました。
 
◆倭◆AD239年

卑弥呼が、魏に使者を派遣し、男の奴隷4人、
女の奴隷6人を献じました。
    
明帝(曹ひの息子、曹叡)が卑弥呼を親魏倭王に任じ、
銅鏡(三角縁神獣鏡)100枚を奴隷のご褒美にくれました。

◆中国◆AD249年

司馬仲達がクーデターを起こし、丞相になって
政治の実権を掌握しました。
 
◆インド◆AD250年以前

インド、クシャーナ朝カニシカ王の頃、ガンダーラ~中央アジア
(モンゴル)まで勢力を伸ばして、大帝国になりました。
  
陸路の東西貿易で儲けましたが、
クシャーナ王朝はすぐに衰退しました。
  
そしてAD 250年以後、東西クシャーナ朝に分裂しました。
 
◆中米◆AD250年以後

メソアメリカにマヤ文明が発祥、後にマヤの
ピラミッドや神殿が建設されました。

◆中国◆AD265年

司馬炎が晋王になり(西)晋帝国を建国、魏が滅びました。
 
◆中国◆AD280年

呉の国が西晋に滅ぼされ、三国時代が終了しました。
 
◆倭◆AD300年頃

奈良に前方後円墳(石室)なる、部族間でも権力を
持った首長(上位帰化人)の墓が、いくつか作られました。

*建造したのは、秦氏である。
 
◆オリエント◆AD4世紀以降~

トルコ・アナトリア高原のカッパドギアなる火山で侵食された
奇岩地帯に、多くの修道士が出家して住むようになりました。

そこは、ローマの迫害で逃げたキリスト教徒の住居跡でした。

後に修道士が掘って、大規模住宅にカスタマイズしました。
 
◆ローマ◆AD313年

ローマ帝国が官僚制度に戻り、復活しました。
  
カソリック教徒のコンスタンティヌス皇帝が、戦争の前に
明晰夢で、キリスト氏の十字架を見ました。
  
そして盾に十字架を掘り込んだら勝ちました。
  
何か閃いたのか、ローマが異端扱いしていた
キリスト教に、突如白羽の矢をたてました。
  
そして軍国主義で弱っていた民衆統治(皇帝権の神聖化)
のために教団の活動を黙認(採用)しました。
 
◆中国◆AD313年

高句麗(満州)のツングース系遊牧民族、
高句麗族が、前漢の武帝が出張所にしていた
楽浪郡を滅ぼして、高句麗の勢力を拡張しました。

◆中国◆AD316年

西晋が滅亡しました。

五胡十六国時代(304~439年)と、東晋時代(317~420年)
⇒南北朝時代=南朝の宋(420~)と、北朝の北魏(386~)

に分裂しました。

五胡は匈奴(モンゴル・チベット・ツングースの遊牧民)支配の
帝国になって、北朝の北魏は、内モンゴル(鮮卑)が支配しました。

東晋時代の頃、インド貴族の鳩摩羅什が、
長安に移住して、仏典の翻訳を行いました。
  
以後、大陸に仏教が興隆しました。
 
◆インド◆AD320年

ガンジス川中流にマウリア王朝の血を引くらしい、
チャンドラグプタ1世氏がグプタ王朝を立ち上げました。
  
分裂した東西クシャーナ王朝の東側を グプタ 王朝に統合しました。
  
西側はササン朝ペルシャが支配地としました。
  
グプタ王朝チャンドラグプタ2世が、北インドを統一しました。
  
非ガンダーラ(ギリシャ)美術(グプタ美術)が興りました。
  
西洋人仏像から、インド人っぽい仏像に矯正されました。

梵語(古代インドサンスクリット文字)の民族叙事詩こと、
ラーマーヤナ ・ マハーバーラタなどが、聖典(神の世界、
宗教的解釈)として完成しました。
  
グプタ王朝では、アラビア数字(数字)の元になる
インド数字や、人類史上初のゼロ(0)概念を発明
したり、高度な文化が展開されました。
  
同時期、バラモン教の宇宙輪廻仏(ブラフマー=創造神)、
太陽&宇宙神(ビヌシュ=救済の神)、再生&破壊神
(シバ=産業や権威の神)
・・・の3神と発祥不明の
インド地域信仰であった原始ヒンドゥー教を合体しました。
  
そして多神教版ヒンドゥー教が完成しました。
  
多神教版ヒンドゥー教は、マヌ法典なる教義にまとめられました。
  
法典を、カーストや社会の規範としました。
 
◆ローマ◆AD325年

ローマ=キリスト教が、教義内容でもめました。
  
神 = キリスト同一論(アナタシウス派=カソリック)を正規教義、
キリスト → 神の代理論(アリウス派)を異端教義にしました。
  
この頃、エジプトのアントニヌス氏なる人物が、
右脳言語野の神の声に従って、家財を売り払いました。
  
そして、砂漠で隠者思想(禁欲)を実行しました。

氏は修行しやすいように、修道院(寺、出家)
制度を設立しました。
 
◆朝鮮◆AD342年

馬韓・弁韓・辰韓(三韓、南朝鮮)は、百済、新羅、
伽耶諸国 (任那)
に統一されました。

百済や新羅に、満州の高句麗族が大量移動しました。
 
◆倭◆AD366年

倭王(人名不明)が、百済に使者を派遣しました。
 
◆倭◆AD372年~

百済王が、倭王に七支刀なる宝剣(祭祀の道具)を献上しました。
  
帰化人(漢人や朝鮮人)政権らしき、部族の
合議政権が誕生しました。
  
出雲(馬韓、新羅)王朝(⇔出雲蝦夷)が、
倭朝廷らしきものと、同盟を結びました。

*出雲(同化ユダヤ諸部族)の国譲り。

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大波・第三波(不明)?

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◆欧州◆AD375年

寒さ(地球寒冷化)のせいで、バルト海沿岸から
移動(西下)して、ドナウ川沿岸(フランス)に定住して
いたゲルマン連合民族(東西ゴート族、ロンバルト族、
フランク族、ブルグント族など)
が、中央アジアに住む
匈奴(フン族)に追っ払われ(攻撃され)ました。

ゲルマン民族は、西ヨーロッパ各地に散らばって
勝手に王国を立ち上げたり、ローマ帝国に大移動して暴れました。
 
同時に、黒海あたりで暴れていた印ー欧語族のスラブ連合民族
(東スラブ族=ロシア人など、西スラブ民族=ポーランド人など、
南スラブ民族=セルビア人など)
も同様に、地球寒冷化の影響で、
フン族が来たので、大移動しました。

スラブ民族は東欧州やバルカン半島に割拠しました。

◆ローマ◆AD382年

キリスト教信者の、テオドシウス皇帝がゲルマン民族
(西ゴート族)
を懐柔政策して、西ローマ帝国の軍隊
として雇いました。
  
その後、西ローマ帝国内に、傭兵のゲルマン国家を認めました。
 
 
◆倭◆AD390年

河内王朝なる場所を、?応神大王が支配しました。

◆倭◆AD391年

倭人が海を渡り、百済、新羅と一戦交え勝ちました。

*?神功皇后の三韓征伐

朝鮮南端の任那に拠点を構えました。

*最初から、倭の拠点であるww。

◆ローマ◆AD392年

テオドシウス皇帝が キリスト教を国家教義に正式採用しました。
  
その他の教義を、異教徒、厳罰扱いにして国内政策
をまとめましたが、既にローマ帝国は弱っていました。 

◆ローマ◆AD395年

ローマ帝国は植民地が大きすぎて統治困難になりました。

皇帝テオドシウスがギリシャ~イタリアで境界線を引いて、
ギリシャ東ローマ帝国(ビザンツ帝国)とラテン西ローマ帝国
に分断しました。

◆倭◆AD5世紀

倭朝廷が、朝鮮から、養蚕や機織の、
元中国人らしき技術者集団を招聘しました。
  
秦氏や漢氏らの、専門職グループ(品部という)
で、政権の基盤を整えました。

◆倭◆AD400年

河内平野に仁徳、応神らの巨大前方後円古墳が造られました。

==================

大波・第四波

いわゆる、一般説で言われてる、秦氏の
大量移動時期
である。

===============

~中略~

◆倭◆AD663年

皇子の中大兄皇子が、斉明女皇の
代理で朝鮮に出兵しました。  
  
しかし唐・新羅連合軍に負けて、
百済王朝は、唐に降伏しました。
  
これにて大和政権の朝鮮支配が終了しました。
(白村江の戦い)

  
◆日本◆AD7世紀後半

高温乾燥、少雨で旱魃、飢饉と疫病(マラリアや
各種風土病)が、多発するようになりました。

◆日本◆AD689年

大和朝廷が、大陸の行政法令を真似て、飛鳥浄御原令
なるものを施行して、行政府を整えました。

国号が、中華が勝手に呼んでいた倭(大和)から、
太陽神(倭名では天照大神)に肖り、日本という
名称に改名しました。(ここから日本がスタート!)

◆日本◆AD694年

奈良県に、本格的な大陸風都城である、
藤原京が建設されました。

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大波・第五波(不明)?

白村江の戦い、この辺で、朝鮮や黄土高原の、秦氏の
痕跡が消滅したのではないかと思うが、定かではない。

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◆予備知識◆

ユダヤとは関係ないが、行き場を失って
いるので、これも貼ってみた。

あくまで、量販本に書いてた記事である。

(・ω・)部族社会(BC3000年前~)

幾つかの、有力氏族が統合した部族が
発生して、部族社会になりました。

富が蓄えられ、裕福な部族と貧乏部族が自然に
出来始め、それが部族間抗争に発展しました。

最底辺の部族が、奴隷や土人です。

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(・ω・)階級(カースト)社会(BC1000年前~)

部族同士の合併吸収から集落の規模が拡大したせいで、
部族間や部族内で、貧富の差が発生しました。

労働は、家畜から端を発した分業制
(管理者と労働者)
になりました。

管理統率者(貴族)と労働者(奴隷、家畜)
に、キッチリ分かれました。

宗教思想、社会思想、技術者と
奴隷労働者などに、階級分けしますた。

神権では首長、祭主、貴族を中心に、
神殿が建設されました。

階級支配社会で、中心都市と周辺地域から形成
される、都市国家(王様社会)が発達しました。

文明国周辺(中央アジア~アフリカ)の乾燥地帯では、
家畜を放牧しながら移動(遊牧)する遊牧民の活動が
活発になりました。

遊牧民(ブローカー)の活動で、物資の交換(交易)や
情報伝達などを都市や地域間に形成しました。

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メモはここまで!

で、神と王の、評価レビューに続くのである。

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