現実を受け入れるのは痛い

こんなポストをしました。

悩んでいる時に誰かにアドバイスをもらいたいと思うのは自然なこと。

けれど、他人に意見を聞くとたいてい
他人が他人の価値観、主観から「自分ならこうする」
という答えが返ってきます。

その時に
「そうか、そういう考えもあるのか」と思えず、無意識にでも自分の中にある「こう答えてほしい」が表にでてきて
「いや、でもね」「この場合は状況がこうこうで」みたいな言葉や後だし情報がでてきてしまうなら

それは他人の意見を聞き参考にする段階ではないということです。

そんな時には自分の中でもう答えが既に決まっているので、それと一致しない言葉は受け取れません。

それが考えても仕方ないことならいったん考えるのをやめる。
またはそのことに真剣に向き合ってみる(他人のサポート有りでも可)
のどちらかを試してみてください。

考えるのをやめて他のことに目を向ける。
一種の現実逃避ですが、とりあえず悩みにフォーカスすることが少なくなるので、ネガティブになったり起きてもいないことに想像で一喜一憂することも少なくなるでしょう。
多くの場合、こちらを選択することが多いのではないでしょうか?

ただ、それでも悩みや不安が消えない場合は、真摯に真剣にそのことと向き合うことも必要ではないでしょうか?
でも多くの場合、こちらを選択することは少ないでしょう。
なぜなら向き合った場合、どれだけ自分に都合が悪いことが内面からあぶりだされてもそれを受け取らざるを得ないからです。
これには苦痛や痛みを伴います。

それでもあえて私はお伝えしたい。

どれだけ自分に都合の悪い結果であっても受け取り難いことであっても、それは現実そうなのだからまずは受け止めてください。
認めとください。
現実をみてください。

そして受け止め認めたあと、どうすればより幸せな状態になれるのかを考えてください。

人間、感情があります。
諦めきれない想いを抱くことだってあるし、杓子定規に割り切れないこともあります。

でも、どうにもならない現実を嘆き、いつまでもそこに留まり、他人に話を聞いてもらい「いや、でも、だって」を繰り返しても、時間は待ってくれません。

時間は有限であり、命と同じです。
なぜなら人に限らず生きとし生けるものは皆生まれた瞬間から死に向かって歩いているからです。

時間が過ぎるということは、死に近づいているということ。

それならば苦しくても嫌でも悲しくても痛くても。
受け止め認め、新しい方向を向いて歩いていってほしい。
その歩く先に素晴らしい幸せが待っているかもしれないのだから。
そこにいつまでもとどまっていたらそれに出会うことなんてないのだから。

本音と向き合うのは痛みを伴います。
認めたくない現実を受け入れるのは痛みを伴います。

足踏み状態でそこにとどまっていたいなら、それが自分と向き合って出た本音なら。
本音が「動こう」となるまでとどまるのもいいでしょう。

でも本音が「もう動いた方がいい」となっているのにそれに気づかない振りをしているのであれば。
もう動く準備をしてもいい頃ではないかと考えてみてくださいね。

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