見出し画像

【リレー小説】(承前)グレースと伝令者テオリア、そしてしばいぬ【外伝】

⬇️まずはこちらを読んで酩酊してからどうぞ⬇️


その屋敷の敷地は、あまりに広大だ。
由緒正しき庶民の血筋のグレースの人生において、このような立派な屋敷に住んだ経験はない。
住んだ経験どころか、屋敷というものに立ち入ったことすらなかった。
あまり気後れしない性質たちではあるが、それでも格の違いというものをまざまざと見せつけられたようで、重厚なドアを前に思わず身構えてしまう。

大丈夫。大丈夫。
わたしは招かれてここに来たのだから。
何もおどおどする必要なんてない。堂々としていなさい。

自分に言い聞かせるように大きく息を吐く。
傍らにおとなしく座っていたピテュスが、くぅん、と喉の奥で小さく声を上げる。
グレースはしゃがみこんでピテュスの頭をだきしめ、ついでに耳の中に低い鼻をうずめて深く息を吸った。
落ち着かない時には犬を吸うに限る。
これはグレースが40年弱の人生で獲得した、唯一確実であると言ってよい精神安定法である。

よし。

グレースは再び立ち上がり、きのこの被り物をした牡鹿の頭という不思議な意匠の施されたノッカーに手をかけ、高らかな音を響かせ扉を叩いた。
ドアがひとりでに開く。吸い込まれるように歩みを進め、寿司柄のスカートをなびかせながら屋敷の中に入ってゆく。
赤茶の柴犬がその足元を追いかけ、尻尾を揺らしちょこちょことついていった。


その屋敷の中は外から見る以上に明るく、そして、多くの人が思い思いの飲み物や軽食を片手に談笑していて賑々しい。
主人の姿もすぐには判然とせず、どの人々も一様に表情は晴れやかで、好きなことを語り合っているようだった。

これじゃお屋敷の中、というより。

「まるで路地裏ね」

ひとりごちながら、グレースは赤い絨毯のふかふかした感触を靴底で確かめながら、一歩一歩屋敷の中を進んでゆく。
脳裏に、カドゥーホイ随一の歓楽街、キノッススの目抜通りから一本奥に入った怪しげな路地の光景が鮮明によみがえってきて、若い頃に随分と無茶をした記憶が掘り起こされる。
それほどまでに、屋敷の中はごった返す人々でさざめいており、それでいて不思議な一体感に包まれていた。

「呼びかけに応えてくれましたね」

背後から声をかけられ、グレースは思わず歩みを止める。
細い、それでいて芯の通った女の声だった。
大きな声ではないが、このざわめきの中でもはっきりと捉えることができる、そんな声だった。

ああ、この人は。

それはもはや確信と言ってよい直感をもって、グレースは振り返る。
背後に立っていた女は薔薇色のドレスを品よく着こなし、形の良い唇の両端を僅かに持ち上げ、柴犬とグレースを見つめていた。
女はきゅっと結ばれた唇をやおら上下にぱかっと開き、大きく息を吸う。

「ハイノン国の首都、
世界樹植樹予定地、
古都ラーナに住まい
咳払いで邪念を振り払うことを
提唱する
絶対に目立ちたくない女
私の名!

それh」

「あ、大丈夫です。初めまして、テオリアさん」
グレースに遮られ、行き場を完全に失った挨拶文を無理やり飲み込んだテオリアは、唇を再びきゅっと結び、微笑みの形を作る。
「わたし、グレースです。初めましてって感じがまったくしないですけどね」
「ええ、本当に……。そちらのワンちゃんが、ピテュスさん? ピテュスさんも初めまして。

ハイノン国の首都、
世界樹植樹予定地、
古都ラーナに住まい
咳払いで邪念を振り払うことを
提唱する
絶対に目立ちたくない女
私の名!

そr」

「Yelp!」

テオリアの挨拶文は、ピテュスの甲高い一声により、再び阻止された。


「神はなぜこの3人を引き合わせてしまったのだ。理解できんよ、まったく」

楽しそうに談笑する2人と1匹に近づきながら、ため息まじりにつぶやくひとりの紳士がいた。
仕立ての良いクラウドグレーのコート、ウエストコート、ブリーチズで盛装をしてはいるが、よく見るとそのスーツにはきのこ柄の織り模様が入っており、見る角度によってはきのこが光沢を帯びて激しく主張する。
こんなものを誂えることができるのは、紳士がひとかどの人物であることに他ならない証でもあった。
紳士が天井から吊るされたシャンデリアの真下を通ったその瞬間、スーツのまつたけ模様がキラリと光り、テオリアとグレースの目を射た。
2人の女は、紳士に体を向けると、この日のために練習してきたカーテシーを披露した。
ピテュスは二人の間に伏せながら、退屈そうにあくびをしている。

「リトル・ウエスト・マッシュルーム卿、本日はお招きいただきありがとうございます」
「お目にかかれて光栄ですわ」
「whine...」

誰からともなく紳士に声をかけたが、彼はそれを鷹揚に頷きながら聞き、そして大事なことを話すかのように、小声で女たちに言った。

「よく来てくれた。この柴犬ピテュスの件について、君たちにおりいって頼みたいことがあったのだ」
「……と言いますと……」
「ピテュスが実は人間であるということは、あの帳面を読んでいた君たちならもう知っていると思う。彼女を、人間の姿に戻してやりたい」

テオリアとグレースはお互いに顔を見合わせ、そして足元のピテュスを見、最後にマッシュルーム卿の顔を見た。
話が見えない。

「すまない、唐突だったね。柴犬ピテュスの物語は、私が収集した逸話の中でも特に反響が大きかったものだ。しかしながら、あまりの人気に、一定数の読者が彼女は犬であると思い込んでしまったようなのだ。彼女は人間に戻る機会を逃し、そしてついには戻る方法を忘れてしまった。伝令者テオリア、そして貴婦人ぶった庶民のグレース。君たちの歌でしか、この呪いは解けない」

「わかりました」言うが早いか、テオリアが一歩前に進み出る。

「ハイノン国の首都、
世界樹植樹予定地、
古都ラーナに住まい
咳払いで邪念を振り払うことを
提唱する
絶対に目立ちたくない女
私の名!

s」

「ピテュスのためなら」と再び挨拶文を遮り、グレースも前に出た。「やりましょう、わたしたちのホーミーで!」

二人の女は顔を見合わせて頷き、ピテュスを挟んで向かい合う。
まずは、テオリアが朗々と声を響かせる。
頭上のシャンデリアがカタカタと細かく振動し、足元の絨毯の毛足がザワザワと波打つ。
グレースは圧倒されながらも、テオリアの重厚感のある声に己の声を重ねていく。
二つの声が柴犬になってしまった女を、リトル・ウエスト・マッシュルーム卿を、好き勝手になんのはなしをしているかわからない人々を、屋敷を、カガワーナーの街を包み込み、全てを揺さぶってゆくーー。


その後の顛末については、ピテュス自らがジューランドーニ帰国後に綴った手記に詳しい。
その場に居合わせた者たちの中には、ピテュスが人間に戻れたと言うものと、いや柴犬のままだったというもの、人間かと思ったら怪人になったと言うものとが入り乱れ、正確なことは判然としない。
しかしながら、彼らは一様にセンター分けヘアに柴犬の耳を生やし、黄色いパンツを掲げるビンテージ風ジーンズの女を目撃していたという。
その女の正体は、誰も知らない。


[アンカーはまっ子さんです🩷]
まっ子さんはしば犬になったり怪人になったりしている素敵なお姉さんです。

記念すべき連続投稿50日目がこの記事ってわたしは幸せ者だなぁ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?