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「わたしには何も無い」という傲慢さ

モブ、と思っていました。
わたしなんて、子どもたちの卒業後は真っ先に忘れ去られるモブだろうと。成人式や同窓会で再会したかつての教え子たちの話題になることもなく、彼らの記憶から抜け落ち、ひっそりといなかったことになる、そんなとるに足らない人間だと。

元気いっぱいに子どもと関わるわけではない。
無敵のコミュ力で職員室中に気軽に話せる仲間を作るわけでもない。
誰の心にも鮮烈な印象を残す、何か秀でるものがあるわけでもない。
並々ならぬ情熱や理想を掲げて教師になったわけでもない。

ないないない。何もない。わたしには、特技も、熱意も、なーんにもない。


先日、コーチングセッションを受けました。
休みの日には何をしているか、という話題になり、「ピアノを練習しているか、ボイトレに通っているか、ゲームしているかですね」という何ともモブらしいつまらぬ返答をしたのですが、「ボイトレ」というワードには、割と興味をもってくださる方が多いようです。

「えー! ボイトレ! それはどうして?」

「支援学級の担任になってから、ずっと音楽の授業を担当しているんです。でも、音楽教育を専攻していたわけでもなく、子どもたちに対してしっかりとした裏付けのある授業ができていないなって思っていて……。
歌は誰でもできる音楽表現の方法なので、専門家の力を借りて、自分に裏付けが欲しかったのと、習ったことで子供に還元できることがあればと思いまして」

「すごい! 教育に対する情熱があるんですね!!」


…………( ゚д゚)ジョウ...ネツ……?新しいスイーツの名前デスカ……??

えー……ワタクシ、未だかつてそういう評価を自分に下したことがないのですが……
ボイトレだって、エセ音楽教師ゆえ「経験なし」「知識なし」「自信なし」の3なしからやり始めたことだし……
自分に情熱があるとか考えたこともなかったし……

「……そう……なんですかね……」

「そう思いますよ! だって、自分を高めて授業に活かそうってことは、情熱がないとできないと思います!」

なるほど。人はこのような姿勢を「情熱がある」と表現するのか。

わたしにも、もっているものはきちんとあったんだなぁ。

セッション後、改めて内容をノートにまとめながら、「わたしには何もない」という自己評価がいかに自己中心的なものかということにも気がつきました。

わたしにとって、「自分には知識も技術もない」と思いながら、その分野の授業をすることは、とてもストレスになります。子供たちに申し訳ないと思うのと、申し訳ないと思うならどうにかしろよっていう自分がいるのとで……。
だから、ボイトレに通っています。
AOコーチングの講座の受講を申し込んだのも、そう。特別支援教育コーディネーターに指名されてから、自分の学級の子以外の保護者の教育相談を受けることが増えました。何度か相談をしていく中で、うまくいかないこともあり、コーチングの技術が活かせるのでは、と気づいたからというのも理由のひとつ。

でも、これって「教師なら誰でもできる」という部類のものではないなあと思いました。
プロから何かを教わるには、お金も時間もかかる。
わたしには子どもや介護すべき家族がいないので、自由になるお金も時間もあるのです。
だから、こんなふうに趣味と実益を兼ねて自己投資ができる。
これってとてもありがたいことです。

ここまでで、少なくとも今のわたしには、
・情熱
・時間
・お金
・音楽楽しい! って気持ち
があるなぁと気がついたのです。

それなのに、「何もない」っていうのって、本当に本当に傲慢!
何もなくない! めっちゃある! 自分に対して失礼すぎる。

いつもの同僚や友人、家族、ピアノの先生、ボイトレの先生、指名している美容師さん以外の人と話すって本当に大切なことですね。
自分の思考がそこで凝り固まってしまうから。
たまには違う風を吹き込まなくてはね。

最後までお読み下さりありがとうございました。

参加しています。14日め。ひとまず2週間終わりました:)

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