白雪千夜について最近考えたことと自分は黒埼ちとせのPなんだと思った話

最近流れてくる千夜ちゃん関連のツイートで「そう言われるとたしかに」とか「なるほど」と思わされることが多くて。
とくべつ深い考えはなく全然ツイートで済ませていい内容なんだけど140文字×nで収まらない予感がしまして。要するにチラ裏です。チラ裏。

先日のシンデレラガールズ劇場へもやもやを抱えている人が少なからずいたのにびっくりしたのがはじまり。千夜は現在自身が置かれている境遇に負の感情を抱いていないはずだといった趣旨のツイートを見かけて、ちとせと千夜のことはちゃんと見てるつもりだったのにそんなに千夜のことわかってなかったのか……とわりと自分にショックを受けていたのですが。そっから自分の目に映る千夜ちゃんについていろいろ考えた。そしたらひとつ気づいたことがありまして、それが自分なりの結論かなと。

私が千夜について考える(千夜をアイドルとしてプロデュースすると言い換えてもいいかもしれない)ときの、思考回路の土台が黒埼ちとせの影響を大きく受けてる。
千夜ちゃんには生きがいが必要で、僕ちゃんじゃなくしてあげること。そのためのプロデュース。そのためのアイドル。大前提にそれがあった。なぜならちとせの言葉に共感したところから私のVelvet Roseのプロデュースは始まっているから。だからあの劇場を見ても私の考える在るべき形と大きく違いなく感じたのだと思う。

ぶっちゃけPから千夜にかけられる言葉なんてアイドルの作法のほかにないでしょう。あの娘の心に踏み込もうとしたって響かないのは目に見えてる。ウサンくさいオトナよりは同年代の言葉のほうが期待できる。その中で千夜が自ら気づき、あるいは無自覚のうちに変化していくことを待つほかないんじゃないかなって今は思ってます。そのためにアイドルの仕事をもってくる。まあ誰となら面白い化学反応が期待できるかくらいの計算は当然するだろうけど。

そんなふうに考えていたら、もしかしてちとせに寄り添うPと千夜に寄り添うPって相反する存在なんじゃって思ったんです。
私は物事を二元論的……というか極論で考えがちなので、千夜の事情も知らないだろうに余計なお世話では?って言うけど、それじゃあ事情をよく知るちとせが望んだ”それ”はどうなの? だってそれって千夜ちゃんは今のままではだめだっていうちとせの想いにほかならないでしょう?って少し脳内をよぎってしまったり。
語弊があるのを承知で言うなら、千夜の現状をよしとするならばどうしてあなたは彼女をプロデュースするんですかって、角の立つ言い方に聞こえるかもしれませんけど純粋に興味があるんです。絶対そこには私には抜け落ちてる視点があるはずですから。
まあ私の「ちとせの口車に乗っただけ」なんて回答はズルだってわかってますけど。

主題からはズレますが、だからちとせはエゴイストだって思っていたり。たとえどんなに博愛主義的な思想を持ち合わせていようともね。だって千夜の意向と関係なく「私の信じる善い事」を為そうとしている。まあそこが好きなんだけどね。ちとせはそれが許される人間だから。

私がちとせの口車に乗ったのは間違いありませんが目指す結末はおそらく違う。私のプロデュースは、千夜が自身の価値に気づき、自分というものを取り戻し、あらためて自らの意思でちとせの傍らにいるのだと直接ちとせに伝える瞬間のためでありVelvet Roseとはそれを為すための舞台装置である。アイドルでいる間は、ふたりはお嬢様と僕ちゃんではなく対等、もしくはそれ以上の関係になる。それはちとせの願望の一端であり千夜の変化への一穴である。……と、まあ私はVelvet Rose担当としておきながらそれ以上に黒埼ちとせのPらしい。

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